6-3
バックルームにて店長と向き合うと、店長は何とも言えない様子で嘆息した。
「私は間違ったことは言ってませんけど」
向き合って座るなど不愉快だったので、早く話を終わらせるべくマナは先に切りだす。
「まあ、確かにその通りと言えばそうなんだけど、他にやり方があるでしょ。香澄ちゃん、もうちょっとでいいから、柔らかい言い方にした方がいいと思うよ?」
実際、マナの言い分自体は間違っていない。レジのシステムとしては、客に画面を押してもらわなければならないことになっている。
が、もちろんそれはほとんど形式的なもので、問題を起こしてまで守られるルールではないだろう。20歳以上かどうか怪しい場合は直接年齢確認を行うし、コンビニ以外の多くの店では店員側のレジで処理できるし、必要な機能かどうか疑わしい代物ではある。
とはいえ、あんな態度の悪い客に対して譲歩してやるつもりなどマナにはなかった。もっともあの客でなくとも、ユイ以外に何かを譲歩などする気はないのだが。
「悪くないのに謝るなんて、その方が間違ってます」
もっともあの客でなくとも、ユイ以外に謝る気など毛頭ないのだが。
マナが誰かに謝ったことなど、ユイと出会って以降は自らの意思で行ったことは皆無である。当然、ユイに言いつけられた場合はユイの言に従うが。
店長はうーん、と唸って、それ以上どう言っていいか分からないようだ。
言うまでもなく、マナは満場一致で店内いちの問題児である。
「まあ、とりあえず、お願いだから、もうちょっと協調性を持とう?」
それでもマナが解雇されないのは、強く言いきれない店長の人柄と、なにより慢性的な人手不足が原因である。そして、それを見越したうえでユイがここにマナを斡旋したということは、ユイ当人以外は知る由のないことだった。
マナは「考えておきます」と心にもないことを淡白に答えて、レジへと戻っていった。店長と2人きりでいるより、氷雨といる方がよほどマシだ。
「まーなーちゃん」
と、店先に戻った途端腕を組んだ氷雨に名前を呼ばれる。珍しく怒っているようだが、その怒り方には一切の迫力が伴っていない。
「ダメじゃない、あんな態度とっちゃ」
「あいつが悪いです」
「だから、そういう態度がいけません」
氷雨はぷりぷりと怒りマークを生成しながら、マナを叱りつける。マナは悪びれなくそれをさらりと受け流す。
「確かにあのお客さんはあまり褒められた態度じゃないわ。でも、わざわざ問題を起こすことはないでしょう。あそこで言い返しちゃったら、マナちゃんも同じ土俵の上よ。怒りたくなるのも分かるけど、ああいう時は笑顔でさらっと「失礼しました~」って流しちゃうの。腹黒いとか媚びるとかじゃなくて、それが働くってことなの。日本の社会事情なの。ジャパンで働いてる以上は、そういう適応をしなくちゃダメよ」
冗談なのか本気なのか分かりづらいが、一応本気のようである。
「そんな一言だけで事を荒立てないで済むんだから、お互いにとって悪いことじゃないはずよ。別に、何があっても譲れないほどのことじゃないでしょう? マナちゃんの彼氏くんだって、マナちゃんに嫌な思いして欲しくないって思ってるわよきっと」
「ユイくんのこと言わないでください」
他人がユイの話をするのは不快だ。マナが鋭く睨むと、氷雨はあらあらと嘆息する。
「そうは言っても、そのユイくんだって――」
「ユイくんって呼ぶな!」
マナは激しく怒号し、氷雨の言葉を遮った。マナは瞳に先程以上の剣呑な光を宿し、氷雨を睨みつける。
ユイのことを「ユイくん」と呼んでいいのはマナだけだ。マナのことを「マナ」と呼んでいいのがユイだけであるように。マナ以外の誰かに「ユイくん」と呼ばれるのは、ユイが汚されるようで、許せなかった。
氷雨は驚いて目を丸くし、すぐに小さくため息をついてごめんね、と謝った。本気の謝罪というより、それが先ほど語ったマナに対する適応の一つである。
「でもねマナちゃん、わざわざ問題を起こしていいことなんてないわよ。事なかれを尊ぶことは、生活する上でも必要なことなんだから」
「分かってます」
それは、いつもユイが言っていることに近い。何度言われてもマナは抑えきれず問題を起こしかけユイに呆れた目を向けられるけれど、たとえ同じことでも氷雨に言われるのは不愉快だった。むしろ、同じことだからこそ不愉快だ。だからと言って否定してしまえば、ユイの言葉まで否定することになってしまうので文句を言うこともできない。どうしようもないもやもやとした鬱憤が腹の底に溜まっていくようだった。
と、鋭く尖っていたマナの瞳が、店の前に現れた人影を捉えた瞬間に燦然と輝きはじめ、冷めきっていた表情は満面の笑みへと早変わりした。先程までの鬱憤などは瞬時に霧散し、次の瞬間にマナの胸中を埋めたのは幸福感のみである。現れた人物とは、もはや説明する必要などないだろう。
「ユイくん!」
最愛の人の名前を呼んで、場にわだかまる気まずげな空気などものともせず、レジを出てユイの下へと駆け寄った。
「お疲れ様」
「いらっしゃいませ。コーヒーにしますか? お弁当にしますか? それとも、私ー?」
「はいはい。じゃあコーヒーもらおうかな」
表情の乏しいユイの返答に、マナは不満顔でむくれる。そこはちゃんとマナと答えてほしかった。そうすれば今すぐ帰る口実ができたのに。と、マナは本気でそれが正当な理由だと考えている。
「それよりユイくん、ちょっと遅いよ。さっきね、またあの頭のオカシイ奴が来てたの。だから少しでも早くユイくんに会いたくて仕方なかったんだから」
「‥‥へえ、そうだったんだ」
人目も憚らず店内で抱きつくマナを、ユイはあやすように撫でてから体を離させた。
「うん、早く死んじゃえばいいのにね。あんな奴」
「手は出してないだろうな」
「うん、大丈夫。ユイくんのために我慢して全部無視したよ」
「まあ、マナにしては上出来なのかな」
ユイに頭を撫でてもらって、マナはぽわぽわとご機嫌である。先程までの氷雨との剣呑な様子は、もはや見る影もない。
「あ、コーヒーだよね。すぐ淹れるね」
マナはいそいそとコーヒーマシンを起動させ、ユイの為にコーヒーを淹れる。サイズはユイが注文したものより多い量を無断で淹れて、店の冷蔵庫に入っているカフェラテ用の高い牛乳を無断で入れる。そのままだと溢れてしまうので、何口かマナが飲みつつ、ユイの好みの味になるよう牛乳の量を調節する。
完璧の仕上がりになったそれをユイの下へ持っていくと、やはり呆れた顔をされるが、マナはユイのそんな顔も大好きだった。もちろん、ユイの表情で嫌いなものなんて一つとしてないけれど。
店の休憩スペースにそれを運び、ユイが椅子に腰かけるとマナもその隣に腰を下ろした。ユイがそんなマナの様子を見てぱちぱちと瞬きをするので、マナはにっこりとほほ笑んだ。
「今どうせ暇だもん」
仕事が無くもないけれど、そんなものよりユイが最優先であることは言うまでもない。
「ねえユイくん、最近はなんでよく来てくれるようになったの?」
「別に、なんとなく」
ユイははぐらかすようにそうとだけ答えた。少し気になるけれど、ユイが答えたくないというのならマナはそれ以上の追及をするつもりはなかった。何か隠しているのだとしたら、それには理由があるのだろうから。それになにより、マナはユイが来てくれるだけでも嬉しかったから。
マナは腕の上に顔を乗せて、ユイがコーヒーを飲む様を見上げる。どんなに嫌なことがあったとしても、こうしてユイと一緒に居てユイを眺めていると、全てどうでもよくなってしまう。
ユイと一緒に居ると、改めて思う。ユイのことが大好きだと。ユイのことを愛していると。ユイのこと以外考えたくもないと。ユイに、自分の持ちうる全てのものを捧げたいと。
だからやはり、自分の怒りなんかよりも、ユイのことを優先してあげたい。
あれから少し考えてみたけれど、殺したい奴というのは考えてみればいくらでも思いつく。というより、ユイ以外は全員それに当てはまるのだから当たり前だ。
だけどマナが本当に殺してやろうと思うのは、今はたった1人だけ。ユイを苛立たせる原因になる、あの男。どれよりもまず、あの男を殺すことが先決だ。ユイの平穏を奪うなんて、絶対に許せないから。
ユイと一緒にいるとマナの怒りは抑制され、代わりにユイへの愛が、あの男を殺してあげたいと思う気持ちが助長されてゆく。
ユイはコーヒーを飲みながら、見上げるマナの鼻先をくすぐった。
「マナ、その客以外には嫌な奴は来てない?」
ユイの質問に、マナは笑顔で返す。
「ユイくん以外は全員嫌な奴だよ」
「まあ、そうなんだろうけど、特に気持ち悪い奴とか」
「うーん? ‥‥うん、別に、来てないかな」
正直、どんな客が来ていたかなどマナの記憶にはほとんど残っていない。それに目の前にユイがいるのに、他の誰かのことを思い浮かべることはあまりにも困難だった。
ユイはその答えを聞いて、考えの読みづらい無表情を向けていた。マナが首を傾げて疑問を示すと、ユイは静かに首を振った。
「いや、それならいいんだけど」
ユイはやはり分かりづらい表情でそう言うだけで、それ以上は何も語ろうとしなかった。
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