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クルイアイ  作者: くらうでぃーれん
1・愛と憎悪
2/37

1-1


 マナは淡々と仕事をこなしていた。

 学校からほど近いコンビニの制服に身を包んだマナは最低限の微笑だけを顔面に無理矢理張り付け、必要に迫られたときだけ渋々「いらっしゃいませ」と悪い感情を乗せないように声を出す。ただし、明るい感情も乗っていないが。


 マナはアルバイトをしなければならなかった。

 理由は平凡にして単純、お金が無いからだ。


 先述の通りマナは両親の許可を得ることなく、ユイとの同棲を強行している。無許可というだけならまだしも、この2年間一切実家と連絡を取っていないほどその関係は決裂を極めている(取れないようにしている、と言ったほうが正しいかもしれない)。

 そのためマナは仕送りはおろか、大学の学費すらも両親から得ることはできていなかった。


 マナは、ユイさえいれば後は何もいらないと思っている。しかし煩わしいことに、生活の様々な部分でお金というものは不可欠だった。


 そのため、マナは渋々ながらもバイトをすることにした。

 そこまではまだ良かったのだが、未だに納得しきれないのが、ユイと別のバイトをしているという点だ。そしてそれは、ユイが提案したことだった。


 マナは大抵のことはユイに従う。けれど、こればかりは大反対だった。絶対にユイと一緒がいいとかなり長時間言い合いをした。もちろん険悪になどなるはずもなく、マナが抗議していたのはずっとユイの腕の中だったけれど。


 ユイの言い分は、少しくらい離れる時間があったほうが一緒に居られる時間をもっと幸せに感じることができるから、ということだった。

 まあそれに関しては、マナも全てを否定する気はない。確かに少しでもユイと別行動を取った後、再びユイに抱きつく瞬間はこの上なく幸せに感じる。


 が、どう考えたってずっと一緒に居る方が、何よりも幸せに決まっている。瞬間的には幸せは大きくなるかもしれないが、総合的に考えるとずっと一緒が最高に幸せのはずだ。


 それに、恐らくユイにはそれ以外の本当の理由があったのだろう。マナに説明しながらもその論はどこか無理があるように感じられ、マナが反論していると時々論点をずらされているようにも感じていた。


 けれど、それに関してマナは何を言うつもりもなかった。ユイが隠し事をしているのであれば、きっとそれには何かしらの理由があるのだ。

 そしてそれは、マナの為のことであるはずなのだ。だってユイもマナと同じく、いつだってマナのことだけを考えてくれているはずだから。


 だからユイのその行動自体には、何を言うつもりもない。ただ、ユイと一緒にいられるべき時間を離れて過ごさなければならないということが納得いかないのだ。

 マナは最後まで駄々をこねたが、結局押し切られる形で別々に働くことになってしまったのだった。何を言ったところで、ユイにお願いされてマナが断れるはずがない。


 そのせいで、バイト中のマナは基本的に不機嫌だ。言うまでもなくユイに怒っているわけではなく、ユイがいないこの空間が不快でならないというだけの話。


 ちなみにマナは現在、週2で働いている。当然その程度では貯金を駆使したところで生活費と学費を賄うことなど不可能だが、足りない部分はユイが補ってくれていた。


 ユイはマナと違って普通に家を出てきている。そのため学費は家が出してくれるらしいし、多少は仕送りももらっているそうだ。それでも2人の貯蓄は減少の一途を辿っているが、卒業までは十分持ちこたえられそうだった。ユイに頼りきりの今の状況は、少しくらいは負い目もないこともないのだが、それ以上に心地よくもあった。


 ともかくそんな事情もありつつ、マナは今日も笑顔を張り付け不機嫌だった。


 そしてそんなマナとは対照的に、隣では「いらっしゃいませ~」と語尾に♪でもついていそうなほど無駄に楽しげな声を上げているのは、氷雨(ひさめ)翡翠(ひすい)という女性。

 緩やかなウェーブをまとった長い黒髪に、透けるように白い肌。平均よりわずかに低い身長でおっとりとした表情が崩れた所など見たことが無い、年中気楽そうな人だ。


 始めは腹黒い女なのかと疑っていたが、どうやら本当に天然で頭の中に花畑が広がっているような女らしい。その柔らかい雰囲気は従業員・客を問わず人気があるようだが、マナにはやはりどうでもよかった。


 彼女は今もふわりとロングスカートを揺らしながら、客と取りとめのない会話を交わしている。確かスカートは禁止だったはずだが、「だってこのほうが可愛いじゃない」という一言で黙認が成立したそうだ。もちろん、マナには興味のない話だが。


「マーナちゃん、また表情が強張ってるわよ。せっかく可愛いんだから、もっと笑顔でいた方が素敵よ?」


 一通り客が捌けたところで、氷雨がふわりとマナの隣に立った。彼女はいつも身が軽いというか、ふわふわしているというか。どことなく浮世離れしているというか、現世離れしているというか。彼女が笑顔で「実は私、幽霊でした~」なんて言い出しても、普通に信じてしまいそうな人だった。色んな意味で。


 とにかく、氷雨は変な女だ。もちろん変だろうが変でなかろうが、マナが他の人間同様彼女を嫌っていることに変わりはないのだが。


「ほらほら、何かのはずみですぐ睨んじゃう癖もなくしたほうがいいわ。もっと柔らかい表情ができるようになれば、きっとモテモテになれるわよ」

「興味ないです」


 すげないマナの返答にも、氷雨はあらあらとさして気にしていなさそうに微笑んだ。


「だめよマナちゃん。もっと楽しそうにしてなきゃ、周りの人まで楽しくなくなっちゃうわよ」

「どうでもいいです」


 ユイさえ笑っていてくれれば、それ以外などどうでもいいのだ。マナの態度が気に入らなければ近寄らなければいいだけの話。というかそもそも、近寄ってほしくない。


 圧倒的な拒絶の態度を見せるマナにも、氷雨は全くめげる様子もなく楽しそうに笑っていた。全くもって、何が楽しいのか理解できない。この女の頭の中には本当に花畑が詰まっているのではないだろうか。もっとも、ユイ以外の誰かのことなど少したりとも理解したいとは思ってもいないが。


 そうこうしているとレジに客がやって来て、氷雨がすぐに反応しマナは不動でいるため、大抵の場合レジは氷雨に丸投げである。

 しかし2人以上来てしまった場合、マナももう一方のレジをしなければならなくなる。以前それでも無視し続けていたら、怒られて鬱陶しかった。

 マナが無言のまま空いたレジへと移動すると、気づいた客がこちらにもやってくる。


「‥‥いらっしゃいませ。‥‥‥‥‥‥430円です」


 最低限の言葉で対応する。ポイントカードのことなど聞くはずもないし、弁当の温めも客から言わない限り何も言わない。ペットボトル1本だけだろうと、とりあえず袋に突っ込んでおく。

 時折不愉快げな視線を向けられることもあるが、全て無視。というより、こちらの方がよほど不愉快だ。どうしてお前らなどの為に何かしてやらなければならないのか。仕事だから、という当たり前の理屈はマナには通用しない。


 しかし「コンビニ店員は態度が悪い」という印象は思いのほか多くの人々の間で浸透しているのだろう。そんなマナに態度にも、文句をつけてくる客はそう多くない。


 マナが言葉と愛想を控え目にレジを打っていると、1人の男がレジに立った。30代半ばくらいの、太っているが体格は良さげな男で、黒いスーツに身を包み、背は高くないが態度のせいで大きく見える。そしてやたら悪い目つきで睨むようにちらりとマナに視線を向けた。ひどく、気分が悪かった。

 男はやや乱暴に缶コーヒーと弁当、お菓子をレジに置くと、マナの背後のカウンター内にあるそれらに目もくれずにぼそぼそと聞き取りづらい、不機嫌さを露にしたような声で呟いた。


「タバコ」


 そしてそれに続く言葉はない。


「‥‥‥‥銘柄は」


 マナは顔を上げず、手元の商品のバーコードを読み取りながら返す。不機嫌さを極力押し殺した冷淡な声で。

 そこ言葉に男は「いい加減覚えろよ」とでも言いたげな視線でマナを睨みつけ、大きく舌打ちしてから吐き捨てるようにタバコを示す番号を答えた。

 それだけ大きな声が出せるなら最初から出せ、と思う。タバコのバーコードを読むと客側のレジ画面に『私は20歳以上です』というタッチパネルのボタンが表示される。


「‥‥‥‥画面のタッチをお願いします」


 一拍置いてから仕方なくマナが言うと、しかし男は手を動かさず視線だけ動かしてマナを睨みつける。


「見れば分かるだろうが」

「押してもらわないと、会計ができません」


 これは必ずしも、嫌味で言っているわけではない。酒・タバコをレジに通すと必ず表示されるものだし、実際その画面のボタンを押さなければ会計に移ることができない。店員側から身を乗り出してその画面をタッチすることもできるが(言うのも面倒だからと無言でそうする店員も半々くらいだ)、マナにはそんなことをしてやる気はさらさらなかった。


 男はもう一度舌打ちすると、殴りつけるように画面のボタンを押した。

 マナは冷えきった表情で仕事を進めながら、しかしその腹中は業火の如く煮えくりかえっている。全ての商品を叩き潰したくなるのを必死に堪え、缶コーヒーで男の顔面を殴りつけるのを理性で抑え、可能な限り無言で会計を進める。


 放り投げるような札を拾って、決して触れないように指先だけで釣りを返す。会計が終わると、男は無言で店を出て行った。マナは無言でそれを見送り、その背中にようやく怒りを込めた視線をぶつけた。

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