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それ以降彼女と彼、香澄マナと水波ユイは時折言葉を交わすようになった。
そんな風に言うと親交が深まりつつあるように聞こえるかもしれないが、当時の2人の間柄はとても仲が良いと言えるものではなかった。
話しかけるのはいつもユイからで、その内容もタイミングも、ひどくいい加減だった。ついでに態度もいい加減だった。
声をかけてくるくせに、ユイの言動にはおよそ興味と呼べるものを感じることができなかったのだ。会話内容は常に目の前にあるどうでもいいことばかりだし、マナのことを見ていることすら稀だ。
場合によっては会話の途中で不意にどこかへ行ってしまうことすらある。全てに対して無関心という様子だったし、後から聞いたところ実際にそうだったらしい。
ただ、マナは少しずつユイに興味を持ち始めていた。
人付き合いが極端に苦手なマナは1人でいることが多かったし、その時間は他にすることもなく本を読んでいることが多かった。だから同級生からは基本的に嫌われていたし、キモチワルイと言われることもよくあった。陰口をたたかれることはいつものことだったし、ちょっとしたイジメを受けたことだってあった。無視や忌避は日常的だったので、いつでもイジメられているといってもよかった。
マナはいつも嫌悪の視線に晒されていた。誰もがマナを蔑んで忌避した。6組の友達だって、仲が良かったというよりはお互い嫌われ者だったから、他に話し相手がいなかったというだけだ。ただお互い、選択の余地が無かっただけ。
だけどユイは違った。イジメられているという様子ではないし、同情とか正義感とか偽善とかで近づいてきた風でもない。その証拠にというべきか、マナが少々酷いことを言われていても素知らぬ顔をしていたし、「あいつと仲良いの?」と聞かれた時は「いや全然」と平然と答えていた。
でも、そんな態度だけど、ユイはマナのことを貶めることも無視することもなかった。どうして話しかけてくるのかは全然分からないけれど、マナは少しずつユイと普通に会話ができるようになっていった。ユイがマナに向ける視線は相変わらず温度を感じなかったけれど、冷淡でないだけで十分だった。
3年になって、進学先の高校をどこにするか悩んでいた時マナは何気なくユイに志望校を尋ねてみた。ユイはどうでも良さげに1つの高校の名前を挙げて、そしてその高校はマナの考えている候補の1つでもあった。
ユイが選んだから、というワケではなかった。ただ、どの高校にも決め手が無く選びあぐねていたので、深く考えずにその高校を受け、合格した。入学式で生徒名簿にユイの名前も見つけたけれど、特に嬉しいとは思わなかった。
マナが友達だと思っていた女の子は、別の高校に進学していた。だけどその頃には会話をすることも珍しくなっていたので、結局友達ではなかったのだろう。執着もなかったので、追及する気もなかった。
そしてマナは、早々に孤立した。
相変わらず人と話すのは苦手だったし、誰にも話しかけられず声をかけられても上手く答えることができず、気づくとまた1人になっていた。
それなりにレベルの高い高校を選んだおかげか、中学と違って下らないイジメを受けるようなことはなかったが、楽しい学校生活とはお世辞にも言い難かった。
そうなって気にしてみると、ユイも孤立しているようだった。しかしそれは嫌われているとか無視されているという様子ではなく、近い言葉を探すなら「素通りしている」。ユイも、その周囲の人間も、互いをほとんど意識していないようだった。
恐らくユイは以前から、友好的な態度にも敵対的な態度にも、マナとの会話の時と同じようにして応じているのだろう。マナのように他人を避けたり避けられたりしているわけではなく、目の前にある状況を受け入れたり受け流したりしている。
だから、注視していなければユイが孤立していることには気づけない。適度に歩み寄りつつも、友達の一歩手前で足を止めているような、そんな印象だった。
きっとそういうのが、ユイに友達がいるのかと尋ねた時の「よく分からん」という返答の答えだったのだろう。
ともかくユイは、1人でいる時のほうが圧倒的に多いように見えた。そしてそんなユイは、相変わらずマナに声をかけてくれるただ1人の人間だった。そして相変わらず、マナを見る目は無機質だった。
それでもマナはユイの存在に安堵を覚えていた。誰もいなくても、ユイはいてくれるんだと安心してしまっていた。
その時になって、マナはユイに恋をしているのだと初めて気がついた。
誰かの存在を求め、誰かに傍にいてほしいと思えたのは初めてのことだった。ずっと1人だったはずなのに、ユイがいないと寂しいと思うようになり、ユイが来てくれると嬉しいと思うようになった。
――ユイくんが好き。
だけどその時は、激情というほどのものを抱いていたわけではなかった。
誰もが抱くような――バカみたいな軽々しい恋心。好きだと言うことに自惚れているような、下らない感情。最初はマナも、ユイに抱いていたのはその程度の憧れだった。
だけど、マナはすぐに気づく。今の自分には、ユイ以外に何もないということに。
家庭環境が劣悪だというわけではない。ごく普通の家庭だったが、両親は孤立しているマナを救ってはくれなかった。
学校で誰かが話しかけてくれること。それはマナにとって、あまりに大きな救いの手だった。
マナに差し出された、たった1本の救いの手。
誰にも見てもらえず、立っていることも苦しくなったマナは、縋ることのできるものを見つけた。そしてそれに縋っていれば、苦しみを感じなくてすむことに気付いた。
その安らぎを知ってしまっては、もう離れることはできそうにない。だからずっとずっと、ユイの側にいたい。側にいて欲しいと思うようになった。
――ユイくんが好き。ユイくんだけが好き。
ユイと一緒にいられるなら、自分はユイに何をしてあげられるだろう。何を差し出すことが出来るだろう。
その疑問に対する答えはすぐに出た。ユイ以外に頼れるものは何も無く、ユイ以外縋るものが何もないというのなら、差し出すものは――自分の全て。
ユイに出会えなければ潰れてしまっていたかもしれない命だから、これからの人生の全てはユイのために使えばいい。
虐げられ続け、自身に対して価値といえるものを抱いていなかったマナには、それはごく自然な発想だった。
恋は盲目という言葉の通り、ユイのことを考えれば考えるほど、マナの視界からユイ以外の全てが消えていった。孤立していることをツラいと感じなくなった。マナの見える世界はユイがいるかいないかのどちらかだった。いつからそうなったかなんてもう分からない。いつの間にかとしか言いようがなかった。
――ユイくんが好き。ユイくんだけが好き。ユイくん以外、何もいらない。
ユイの為に自分の全てを捧げたい。心も体も、人生全てを捧げたい。朝から晩まで、ずっと側でユイのことを見ていたい。触れていたい。そうしていれば、自分は苦しみを感じないでいられるから。それは、とても幸せなことだから。誰かに側にいてもらえることは、とても暖かいことだから。
――私の全てを貰ってください。
――だからその代わりに、あなたの全てをください。
「ユイくん、あなたのことが大好きです。私と付き合って下さい」
高校2年になってすぐ、マナはユイに告白した。
遺憾なことにクラスは別になってしまったけど、放課後になってすぐ、生徒がまだ多く残る教室で、マナは人目を意に介することなく告白をした。
ユイがいてくれるなら、それ以外の人間などどうでも良かったから。
断られた時は、死のうと思っていた。好きなってもらう努力とか、そんなことは考えることすらしていなかった。
ユイのためだけに捧げる人生で、そのユイに必要ないと言われたら後は死ぬしかないだろうと、何の疑問も抱かずそう結論付けていた。
そして出来ることなら、ユイにも一緒に死んでほしかった。せめて死ぬ時は大好きな人と共に死にたい。それが人生最期で最高の贈り物になるだろうと思ったから。
そしてユイはその告白に対して、マナの知る限り初めて、感情を外に出した。
それは恥じらいや戸惑いではなく、ただ純粋な驚きのように見えた。初めて目にするものに対するわずかな好奇心。ユイの瞳は、彼の知らないモノを捉えているようだった。
しかしその光もすぐに失せ、ユイはいつも通りの淡白な調子で答えた。
「俺は別にキミのこと好きじゃないけど」
ユイはそう前置いてから、変わらない口調でそう答えた。
「いいよ」
そしてさらに、やはり同じ口調のままでマナにそれを尋ねたのだった。
「キミって、なんて名前なの?」




