プロローグ2
恐怖は人間を縛り付ける。
それは、全身を茨で縛るように、体の自由は効かず、足はまるで釘で地面に縫い付けられているかのようだ。
絶対的な恐怖を前にして人間は、本能的にその動きを止める。
それは、蛇に睨まれたカエル、猫を目の前にしたネズミのそれと全く同じものといえるだろう。
だから、バッカスは敵を目の前にして硬直する自らの部下達を見ても何も言葉を発することはなかった。
敵は、目前まで迫っている。目測で5キロといったところだろうか。
それは、全長5メートルを超える巨体の機械生命体にすれば一足飛びの距離にある。
その巨大な機械の塊は総じて、獣のような形やとても獣とはいえない何とも説明のつかないものまでいた。
巨体の機械生命体ーーー機械獣。
それは、人間の仇敵であり、人間を虐殺し、滅ぼすことを目的とし、有史以前から人間は機械獣との戦争を繰り広げていた。
眼下に広がる荒れ果てた大地に機械獣の群れとも、軍隊とも呼べる100を超える一団があった。
「隊長…この規模は想定外です。撤退を…」
ついに耐えきれなくなったのか部下のひとりがバッカスに提言する。
「ブルート。それができないことはお前もわかっているだろう…」
バッカスは自分の副官であるブルートに諭すようにいう。
「ここで引けばもうあとはないのだ。我らが学園都市アカデメイアは、王都オリンポスの最後の砦。ここを抜ければ1時間もせずに王都に奴らがたどり着く」
バッカスは、部下の弱音諌めるでもなく、淡々と事実を述べた。
「しかし!!これでは時間稼ぎにもなるかどうか…」
たしかにブルートの言も現実を語っている。
こちらの戦力は見習い機士とも呼ばれる訓練生200人あまり。
ここが学園都市であることからすれば当然のことであるが、だからといって敵が手を抜いてくれるわけでもない。
本来、機械獣を1匹狩るのに熟練の機士5人で当たることが基本であり、それを下回るほどに生存率は低下する。
それが現状、機士2人で機械獣1匹を相手取らなければならない計算であり、さらにいうなれば、彼らのほとんどが実戦経験のない訓練生。
実際に機械獣を倒したことのあるものは、100人いればよい方だろう。
これほどまでの戦力差だ。
いままで感じたことのない大きな恐怖に支配されていてもおかしくはない。
バッカスは動きが緩慢になり、手足を震わせながら自分を見上げる副官を見つめる。
ブルートは決して臆病な人間ではない。
自ら都市を守る壁となり、市民の盾となることを選んだ誇り高い人間だ。
それは、いまもバッカス自身の前に整列している部下達も同じ。自分の部下に怯えて逃げ出すようなやからはいなかったはずだ。
しかし、恐怖からは誰も逃げられないことをバッカスは知っている。
なぜなら、かつての自分もそうだったから。自らを全てを守る盾とし、仲間を護ると心に刻んだあの頃であってもそれは同じだった。
だからあえてバッカスは敵が迫る時まで、部下を叱り付けることはなかったし、奮い立たせることもいわなかった。
ただ現実を現実として、捉えるように諭すに留めていた。
だが、現実はやはり非情だ。部下の気持ちが恐怖との折り合いをつけるまでまってはくれなかった。
突如として、バッカスの耳につけた通信装置がピーという甲高い音を発し、その後部隊の周囲に浮遊していた受信器から焦ったような声が響く。
『…隊長各位へ!緊急通達!機械獣の前衛部隊50が突如加速!高速でアカデメイアに接近しています!至急迎撃を!』
眼下を見ればさっきまで5キロあまりも離れていた機械獣は、その半数を残し、バッカス達の部隊の陣取る城壁近くまで迫っていた。
この状況について文句は言えない。
索敵し補足していた部隊も訓練生であり、ここの学生だ。
人間のロジックから外れた機械の行動を完全に読み解くことは不可能であるだけでなく、学生の経験値も今ひとつ。
相手の性能を読み解き、行動パターンを推測する。熟練のオペレーターの技を期待するだけ野暮ということだ。
迷っている時間も、現実を受け入れさせる時間も、もう残されていない。
浮き足立っている自分の部隊を瞬時にまとめる言葉をバッカスは持っていない。
ならば、いま自分に出来ることをするしかない。そう自分のやり方で…
(やはり俺は、お前のようには、人をまとめることはできないようだ…)
誰にも聞こえないように小声で自分に言い訳をしてバッカスは眦を決し、裂帛の気合を持って命ずる。
「力を与えよーーー。鋼鉄と業火を従えし鍛冶の神よ!」
バッカスがそう叫ぶと同時に腰に傍らに置いていた180センチあまりの自身の身長を有に超える巨大な両刃の剣を片手で持ち上げると呆然とする隊員を置き去りにして走り出す。
隊長のある意味で予想は出来ていたが、急な行動に隊員全員が驚きをあらわにし凝視したまま動けない。
「ゆくぞ!ヘファイストス!全力だ!」
『たまには初めから全力というのも悪くはないのう!どれ…受け取れ!』
どこからともなく聞こえてくる重厚で老齢な声がバッカスの叫びに答える。
その瞬間、バッカスの纏っていた機力が数倍に膨れ上がり、他を圧倒する。
ーーー機内法《瞬脚》
バッカスの機力が足に付与され瞬間的に脚力を高め常人には視認不可能な速度を生み出す。
全身のバネを使って城壁から飛び上がり、大剣を両手で持って大上段に振り上げる。
ーーー機外法《斬鉄剣》
バッカスの持つ大剣が鈍く鋼色に輝き、機力で満たされる。
人外の速度により生み出された加速と重力を引き連れて、バッカスは先頭を走る猪型の機械獣に大剣を裂帛の気合をもって振り下ろす。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ーーーガギィィィィン!!!
振り下ろされた大剣は猪型の機械獣の脳天にブチ当たり、衝撃を拡散させる。
両断とはいかなかったが敵の装甲は陥没し、バッカスの一撃を持ってその機能を停止させた。
「「「「うおおおぉぉぉぉぉ!!!!」」」」
バッカスの行動を凝視していた隊員達から喝采の声が飛ぶ。
それに対し、バッカスの大音声が飛ぶ。
「恐怖を乗り越えろ!我らが怯えてはこのアカデメイアを、国を守れんぞ!」
戦場のど真ん中にいながら城壁の上にいる自分の部隊や他の部隊にまで通る声量。それには、決意と揺るがぬ意志が込められていた。
「「「「うおおおぉぉぉぉぉ!!!!」」」」
再度の喝采。しかしこれには、先程までなかった敵と戦う意志が込められていた。
(…しかしこれでも劣勢に変わりはないな)
城壁から次々の飛び降りてくる味方を横目でみながら、バッカスは考えていた。
近年二度目の大進行を彼抜きでどうやって切り抜けるのか。
死んだ人間であろうとバッカスは願わずにいれなかった。
もし叶うなら、彼がこの戦場にいて、共に剣を振るってはくれないだろうか…と。
(ふっ…なにを考えているのか)
そんな自分の弱気な思考を鼻で笑い、バッカスは己の愛剣を肩に担ぐと再度全身に闘気をみなぎらせる。
機力が続く限り戦うこと。
今はそれしかない。
できるなら自分達の犠牲でこの戦争が終われるように願ってーーーー