浜松市長『徳川家康』年頭のあいさつ
新年。
明けましておめでとうございます。
浜松市長の
徳川家康です。
昨年は
わたくし。
徳川家康をモチーフにしました
マスコットキャラクターが
全国1位を獲得する快挙を達成するなど
良い1年でありました。
これもひとえに
浜松市民の皆様からの厚い支援と
(……勝つためには
絶対に自分が勝つことの出来る土俵に
相手を引き摺り込むことである。
ただ強いだけでは。
や
勢いに任せてでは。
三方ヶ原のような惨敗や
局地戦は優位に進めることは出来たのでありましたが
信雄が勝手にいくさを辞めやがって……
の小牧長久手の結果を招いてしまうことになる。
故に
キャラクター共々
ナンバー2に甘んじて来たのでありましたが)
それら
艱難辛苦を糧に変えまして
今回の
第1位獲得に繋がったのでは無いか?
そのように感じております。
今年度の浜松市の施政方針につきまして
以下述べていこうと思います。
今年度。浜松市の施政方針は
浜松市100万人都市化計画であります。
浜松市は
いわゆる
平成の大合併時に作成しました
合言葉の1つでありました
『天竜川遠江地区全てを浜松市に』
を着実に進めることにより
70万人に要件が緩和されました
条件を満たし、
晴れて政令指定都市の仲間入りを果たすことが出来ました。
ただし
以前、必要とされておりました
人口100万人には
まだ到達するところまでには至っておりません。
そこでわたくしは
これまで背水となることを恐れ、
進出することを躊躇っておりました
天竜川を圧し渡りまして
磐田市16万人を
浜松市に編入する施策を進めて参る所存にございます。
具体的な方法につきましては
相手もあることでありますので
詳細を述べることは
差し控えさせていただきますが
ヒントと致しましては
可美村を併呑する時に用いました
合併を拒むのであれば
可美村のど真ん中に
生活するのに支障を来す
大規模な道路をねじ込むぞ。
……はしないほうが良いのかな(苦笑い)?
ただし
首尾よく磐田市も。
となったとしましても
まだ人口100万人に到達することは叶わないのが現状であります。
そこでわたくしが打ち出しますのがこちら。
浜名湖が 円くなるまで 浜松市
政策であります。
こちらも
天竜川同様
平成の大合併の際、
用いました政策なのでありましたが
残念ながら
自弁で経済活動を完結させることが出来、
かつ
浜松市のほかに
国境を越えまして
三河との繋がりも大きい
湖西市を取り込むことが出来なかったこと。
更には
公営競技があるから。
と新居の関所に拒否されてしまいまして
実現することは出来なかったのでありました
この施策。
その後。
経済状況が変わりまして
公営競技の売上低迷
(バブルと比較してではございますが)
により、
悲鳴をあげました新居町が
よりによって
湖西を選択してしまいました。
いづれなんとかせねば。
と考えているのでありますが
ただ彼らを併呑するだけでは
のちのちの選挙に影響が残ることが懸念されます。
そこでわたくし。
浜松市長徳川家康が
新たな仲裁案を提示することに致しました。
それがこちら。
湖西・水窪交換条約であります。
水窪は
湖西に比べ
面積が3倍超
と言いました広大な土地。
天竜川が真ん中を貫くなど
水資源豊富。
少し下りましたところに
佐久間ダムがあるなど
電力にも恵まれました
浜松市の中でも
好立地に位置します
この水窪の地。
しかも水窪は
湖西同様
三河の国と接しているほかに
信濃の国にも境を為し、
秋葉街道
と言う幹線道路が町の真ん中を貫いている。
今は浜松の一部となっております
この水窪の地を泣く泣く手放すことによりまして
湖西の地を。
面積としましては
狭くはなってしまいますが
湖西側有利の
不等価交換と言う
浜松市民の皆様の支持を失ってしまうことになるのかもしれませんが
実行に移して参りたい。
そのように考えております。
今年1年。よろしくお願い申し上げます。
浜松市長の徳川家康でした。