塩の道
武田信玄にございます。
コメの貿易自由化に関する話は
昨今のTPP以前にも存在しておりまして
その議論をされている様子が
昔、テレビで放送されていました時、
自由化に反対されておりました議員のかたの1人が
世界情勢悪化に伴い
輸入が途絶えた際、
輸入自由化に伴い
コメを国内で自給することが出来なくなった。
と仮定しました場合。
自動車の生産や移動に必要な
鉄や原油が入って来なくても
ヒトは生きていくことが出来るが
コメはそうはいかない。
と仰られていたことを記憶しております。
当時は
減反政策が布かれておりましたように
コメ余りの時期を迎えてはおりましたが
まだまだ需要が旺盛であったこと。
更には
コメ作りの担い手のかたの年齢層も
若かったこともありまして
……さもありなん。
であったのではありましたが
作り手のかたの年齢層が高くなり、
コメの需要そのものが
……以前ほど。
となりました現在におきましては
むしろ旗も
虚しく揺れるのみ……。
の2016年でありますし、
そもそもコメ作りが
国の根幹となりましたのも
(……江戸時代からなのではないのかな?)
今の穀倉地帯の大半は
力による現状変更が許されなくなりました
徳川治世下におきまして
各大名が
支配階層であり、
かつ
純粋な消費者でもあります
武士対し支払う給料でもありました
コメの量的緩和を図るべく
海や湖沼などの干拓事業に
力を入れ始めてから。
そのための治水事業の進展もありますが
それまでは
結構。コメ以外で税を納める選択肢も
多岐に渡っておりましたのでね……。
その結果。
コメ目線で見ました場合の
ハイパーインフレが巻き起こりまして
八代将軍吉宗辺りは
米価の下落
=換金して消費に回す
武士の実質所得が減ることになる。
に頭を悩まされることにも繋がるのでありますが。
(……最初に書こうと思っていたことから
どんどん遠くに離れてしまっているぞ……苦笑い)
(読み返してみまして)
(……輸入が途絶えた場合から
展開する予定だったのでありますね……)
我が武田党が長年に渡り
本貫地と定めて来ましたのが
甲斐の国でありまして
甲斐の国では
コメを作ることは出来ます。
そのコメ作りに必要な水につきましても
扱いに困る程
豊富にありますので
水不足に悩む心配はございません。
別の心配事はありましたが……。
加えて
我が甲斐の国には
コメと共に
不変の価値を持ちます
『金』
が産出されることもありまして
今。皆様がイメージされている
甲斐の国
山梨県よりは
豊かな国であった。
で無ければ
外征もままなりませんからね……。
そんな
皆様が思っているよりは
豊かな
我が甲斐の国におきまして
産み出すことが出来ぬモノがございます。
それは
『塩』
です。
塩は基本。
海から採れるものでありますので
内陸に位置します
甲斐の国で塩を自給することは出来ません。
故に
他国からの輸入に頼らざるを得なくなるのでありまして
これが平和な時代でありましたら
(甲斐の国からは『金』が産み出されることもありますので)
買えば済むこと。
なのでありましたが
世は戦国時代。
ひとたび関係がこじれてしまいますと
甲斐の国に対し、
これの移動を封じてしまえば
相手が悲鳴を挙げることがわかっておりますので。
とばかりに
あっという間に
塩不足。
甲斐全体が
熱中症に見舞われることになってしまいます。
ただ幸いにしまして
我が武田党は
それぞれ塩を産出することが出来る地域に地盤を持っています
今川・北条両党と良い関係を結ぶことが出来ておりますので
塩の輸入に支障を来すことは
これまで無かったのでありましたが
それでも
出来ることなら自給出来る態勢を整えておかなければ。
と信濃から越後へ
兵を進めて来たのでありましたが
思うに叶わず。
そうこうしている内に
東海ブロックで政変が起こりまして
今川党が弱体化。
それならば
と針路を南に向けようとしますと
元々の塩の道が断たれることになりまして、
本当に困ってしまったのでありましたが
何故かそれまで対立関係にありました
長尾上杉家のあります
越後から塩が運び込まれることになった。
と……。
それからわずか2年で
駿河の議席を我がものとし、
塩を自弁出来るようになったことを思いますと
それまで費やしました
30年近い月日は
(……いったいなんであったのだろうか……)
自問自答する今日この頃であります。