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ハロージャクソン! 儀身はそのおじさんの話声を聞いた瞬間、本当になんとも言い難いような、全身を強く縄で締め付けられるような、それでいて足元だけは緩いとか、手足だけは緩いとか、何とか自力でもがけば脱出できそうな、しかし脱出はしない、脱出したところで自分が何をすればいいかわからないからとりあえずこうして適当に縛られたままでいるしかない、みたいなとても消極的な、しかしかといってただ単純に消極的な感情に襲われたのみならず、どこか心の隅で何かが燃え盛るような、急激にいつでも爆発する予感を絶えず持っていて、だがまだその瞬間はやってこない、その爆発の瞬間がやってくるまでそれは地面の底に重く寝そべっていて、本当にいつくるかいつくるかとタイミングだけをじっとにらみながら大人しくしている固くて黒い何かを抱えているみたいな気持ちに襲われた。儀身は結局自分がどういう気持ちに襲われているのか全然わからなかったが、言葉にしてみると「いやハロージャクソンってどういうことなんじゃい」みたいな感じだった。つまりおじさんが唐突に発言した「ハロージャクソン」の意味というかイメージが全然つかみきれなかったのである。儀身はこれから恐ろしいことになるぞ、と思った。これはもう恐ろしいことになるだろう。恐ろしいことになるに違いない。だってハロージャクソンだぞ。ハロージャクソンってマジでどういう意味なんじゃい。ハロージャクソンってどういうときに使う言葉なんじゃい。てっきりこっちとしては、おじさんがスマホをズボンのポケットから取り出したときに、彼の家族か仕事仲間に電話を掛けるものだとばかり思っていた。そして彼はスマホでそういう仲間たちに連絡を取って、自分の居場所やこれからの予定を伝えて、電話を切るや否やこの場から華麗に去って行くものだとばかり思っていた。今から考えてみれば、このイメージだってどうしてそうなったのか、そして電話の後はすぐにこの場を立ち去るだろうなんて考えは自分の都合以外の何でもない意見じゃないかと断言できるけれども、しかしそれにしたってハロージャクソン。ハロージャクソンとは一体どういうことなのだろうか。もしかしたら今の俺は興奮しすぎているのかもしれない。興奮しすぎて頭皮の毛穴という毛穴から汗がまるで噴水のように噴出してきそうだ。もし実際にそんなことになってしまったら、俺はもう自分の頭皮をあきらめてとりあえず近所の市民病院に行き、今後の自分の動向を相談させてもらい、理髪店に行って頭だけでも丸めて来いと言われれば丸めてくるし、薬を塗って様子を見ましょうと言われれば、ちょっと噴水のように頭から汗が飛び出る毎日に耐えながらも、全部薬を塗り終わるまでは大人しく生活することだろう。幸い頭皮の毛穴という毛穴から水が噴水のように湧き出る様子はなかったけれども、それにしたって俺が今本当に普通の人からは考えられないくらいに興奮してしまっているというのはおわかりいただけるだろうか。本当に俺はもうこのおじさんのどツボにはまってしまったといっても過言ではないことだろう。おじさんは特に俺に対して何もしていない、俺が余計な想像さえ膨らませなければ、普通のどこにでもいるような人、本当に休日を家族とこの公園に楽しみにやってきただけの人、ちょっと一服するために家族と離れて車にライターを取りに来ただけの人、ということを発見することだってありえたかもしれないのに、それなのに俺は今本当になんという事態に巻き込まれてしまっているんだ。ハロージャクソンという言葉だって、冷静になって考えてみれば、それは彼の家族の中の誰かを指し示す言葉なのかもしれないし、仕事仲間の、今度一緒に仕事をすることになった外国人に向けて発した言葉なのかもしれない。別にそこまで確実におかしな発言ということもないのである。ハロージャクソンについては、突拍子もない、確実におかしい、狂っている、ユーモラスなエピソードがその裏に必ずないといけない――などといった注文がついていないと成立しないという強烈なキーワードなのではなくて、確かに「もしもし久美子」とか「おお河合」などと比べるとインパクトはあるかもしれないが、それにしたって絶対にこの世界にありえない言葉なのかというとそうではないのである。
そう思うと儀身は徐々に冷静さを取り戻していき、自分も何とか彼のハロージャクソンという言葉を受け入れなければならないんだと感じ始めた。ところが次に発した男の言葉で儀身の心は崩壊寸前の危機にまで追いやられた。「グッドナイトジャクソン」