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男がふっとベージュのチノパンのポケットから何かを取り出したようだった。一瞬それは黒い手帳のように見えたが、目を凝らしてよく見てみるとスマホらしかった。おじさんが車に寄りかかった状態から特に誰ともコミュニケーションをとらずにズボンのポケットからスマホを取り出したぞ! ということはどういうことだ? ということは果たしてどういうことなんだろう? 儀身は少し興奮を覚えながらも、ますますおじさんの方に目をやりながら考えた。もうこれ以上おじさんのことについて考えるのはやめるんだ。もうこれ以上おじさんのことについて考えを巡らすのはやめるんだな! ほんのついさっき自分で「おじさんを深く観察することに別段意味はない」と言い聞かせたところじゃないか。それなのに俺ときたら、おじさんがズボンからスマホを取り出しただけでちょっと興奮している。ちょっと気持ちが盛り上がってさえいるじゃないか。一体どういうことなんだ。これは果たしてどういう感情の起こりなのだろうか。自分で今思いっきり経験している最中の出来事だけれども、全然理屈やその意図がわからない。こういう不思議な感情にとらわれることってあるもんなんだな。自分以外の他の人が、この状況とまったく同じ状況に遭遇したところで、今の自分と同じ感情を抱いてくれるかどうかはわからないが、それにしても人間生きてさえいればさまざまな状況に出くわすことがあるだろう。そしてさまざまな状況に出くわすとき、人はいつだって自分のもうすでに知りえている感情の中からそのときの感情を選ぶというわけにはいかない。時には理解できないような気持ちの悪い出来事に遭遇してしまったり、またはその真逆で、信じられないほどに幸福な瞬間を目の当たりにすることだってあるかもしれない。そのとき人はまた新しい感情に見舞われて、そしてそれをそのまま記憶して保存するようなことがあるんじゃないだろうか。つまり俺が今何を言いたいのかというと、おじさんにやけに注目してしまい、そのおじさんの一挙手一投足にどうやらこれから軽い興奮を覚えていきそうだけれども、それは自分でもどういうことなのかまったくわかっていない、まったくわかっていないが、かつてこういうわけのわからない感情を抱いたことはもうすでにあるし、多くのほかの人々も、見ず知らずのおじさんに対して今の俺と同じような興奮を覚えることはなかったとしても、もっとほかの何かに妙な、不思議な、何とも言えない興奮を覚えたことはあったずだということなのだ。全然俺の話や気持ちはわかってもらえないかもしれないが、わけのわからない話をせずにいられなくなったり、わけのわからない感情に襲われたりしたことは人間だれしも経験したことがあるはずだ。きっと今のこの状況だって、人生という長い観点から見てみれば全然大したことのない、本当にちっぽけなものにすぎないだろう。
おじさんがスマホを耳に当て誰かと会話をし始めた。「ハロージャクソン?」