雨は涙
間に合ったか?
小さく呟きながら周囲を見渡してみる。
よし、まだいない。よ、良かった。
肩で息をしながら小さくガッツ・ポーズをとる俺に通りがかる町人たちが声をかける。
「おおっと、ロタール。またデートかい? おアツイねぇ〜」
「ヒュー! ヒュー!」
「うっせー! 黙れ!!」
俺は、というか、俺とあいつはこの町で知らないやつがいないくらい有名なカップルだ。
小さな町だからではない。あいつ、俺の彼女が特殊だからだ。
「今日こそは晴れのままで終わらせるさ」
町の一番大きな広場の百年前に立てられた開放記念碑の前。
ここが今日の待ち合わせ場所だ。
見上げた碑の上には雲ひとつない青空にそびえる国の英雄の白い像。
それを仰ぎつつ俺は息を整えた。さすがに肩で息をしたままでは格好悪い。
息を整え終え、体を伸ばして深呼吸。
風が頬をなぜる。少し長めの髪がふわりと浮いた。
はっきり言ってこの髪形はうっとおしい。でも、あいつが喜ぶんだから仕方ない。
顔にかかった数本を払った。と、向こうの通りから学校の友人たちが声をかけてきた。
「今日も決まってるわね、ロタール!」
「格好良いよ〜」
「おう、ありが」
“ありがとう”が最後まで言えなかった。
ドビシャ!!
ひどい音を立てて俺の頭に樽の中身を一気にぶちまけられたような大水が落ちてきたからだ。
俺の上だけに降った一瞬の雨に周囲にいた町人たちは行動をとめた。
その行動を再開させたのは教会の鐘の音。これは待ち合わせの時間の音だ。
女友達たちは顔を見合わせてから、俺に謝るように手を合わせただけで行ってしまった。
止まっていた人達も『またか』という顔をしながら去っていく。
そして、しばし呆然としてしまった俺は一人で濡れ鼠。
こんなところに、それも広場のド真ん中で俺にだけ降る雨。ああ、理由は分かっているさ。分かってる。
濡れてべったり顔に張り付いた髪の向こうから見えるのは、怒れる俺の彼女の姿。
今日の格好は白いフリルのワンピース。つばの広い白の帽子もまた似合う。
……その肩は怒りでかすかに震えている。
「なんで? なんで私に気づく前に他の子に声かけてるの?」
真っ赤な巻き毛が乱れてる。可愛い猫目に大きめの口が魅力的だ。まあ、今の顔は獅子並みの怖さがあるけど。
金色に輝く目にはうっすら涙が見て取れる。
強気なくせにちょっと甘えん坊でちょっと嫉妬深い。そんな彼女がかわいいわけだが……。
ヤバいなあ。
そう思いつつも口の端をあげつつ、右手で前髪をかきあげた。
「やあ、カチェ」
間抜けた挨拶しか出てこない。彼女の顔がいっそう歪む。
「もう知らないから!!」
そう彼女が叫んだとたんに、ピシャン!!
ものすごい雷の音とともに俺の上に嵐が起こる。ものすごい風に横殴りの雨だ。
あいつは走り去った。涙は流していなかった。
でも泣いている。俺の上に降り注ぐ雨が彼女の心。あいつは心の天気が現実になる。ただし俺の前だけ。そうして俺だけに雨を降らす。
ああ、なんで上手くいかねぇんだ? 俺としてはあいつの心はいつも晴天であってほしいのに。
空を仰いだ俺の目に映ったのは青を背景に笑う白い英雄の姿。くっ、なんかムカつく。
「早くカチェを追いかけろよ」
「頑張れよ、ロタール!」
「言われなくても分かってらぁ!」
周囲の声援を受けながら俺は彼女のあとを追いかけた。
『本日は晴天なり。一部、大雨のち晴れ。』