其ノ肆
月読命の口から、諦めたような呆れたような響きを含む声が溢れる。それを耳にした風神は、木の幹にすがるように眠る童男を除き込み肩を竦める。
「おいおい、正気か? たかが人間だぜ? 助けて何の価値がある」
風神の冷徹な台詞に、咲耶姫は彼を睨み付ける。彼女の鋭い眼光に、彼は一瞬怯んだ。
「価値など関係無いわ。私は先程、この童男に木を切りつけられ、痛みに呻きました」
「はぁ。だったら尚更助けたくないんじゃないか?」
風神は奇妙な生物を見つめるような目付きで咲耶姫を見、咲耶姫は悲哀を帯びた面持ちで首をゆるりと振る。
「いいえ。私が感じたように、この童男もきっと胸を痛めたに違いないわ。彼は母を亡くせば、天涯孤独になってしまう。私に人間の願いを叶える力はないけれど、少しでもあのような痛みを感じる者を減らしたいの」
切に訴える彼女を嘲笑するように、風神はふんと荒く鼻息を吐き、声を激しく打擲させる。
「馬鹿らしい。人間に同情するのか」
「……言ってしまえば、そうかもしれないわね」
「はっ。俺は嫌だね。そもそも人間ってのは数が増えすぎたんだよ。その数を減らし均衡をとるのが、今回流行り病を蔓延させた目的なんだ。もし風邪を追い払えば、その均衡が崩れかねない」
風神の厳しく生真面目な声音に、咲耶姫は俯く。彼女はそれきり、何も言おうとはしなかった。
「諦めな、姫様。俺らは人間を淘汰しているだけでいいんだよ。人間なんざ結局は神の創造物でしかない。生かそうが殺そうが、創造主である神の勝手だ」
「では、助けるのもまた神の勝手ということにはならないか?」
唐突に発せられた声に、咲耶姫ははっと月読命を見つめる。彼の声に遮られるように口をつぐんだ風神は、呆れと憤りに大袈裟なため息をつく。
「俺の話が聞こえなかったか? あんな奴ら助けるに値しない。人間なんざごろごろ居るんだよ」
「しかしこの童男には家族は一人しかいない! 頼む。某も、咲耶姫の意見を尊重したい」
月読命の言葉に、咲耶姫の瞳が涙に揺れる。
「だから何だってんだよ。俺らにとっちゃ、老若男女関係なくただの人間に過ぎねぇんんだよ。変な感情を抱くな」
しかし風神はあくまで冷たく、月読命の言葉を受け入れようとはしなかった。
強風にさえびくともしない巌のように頑なな彼の意思に対して、咲耶姫は息を整えるように深呼吸した後、腰を折り瞼を伏せる。
「お願いします。私は彼を、病に苦しむ人々を、救いたいの。自己満足だと言われても構わない。もし均衡が崩れるようなことがあれば、――私が、すべての責任を負うわ」