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僕とメルヘンさんは順風満帆でいつでも仲が良くて……なんて、さすがにそうはいかない。
夏休みが明けて少し肌寒くなり始めた頃。
僕は初めて彼女と喧嘩をした。
相手はメルヘンさんなのだから、妖精さんはいるかいないか、くらいの喧嘩ならいいのだが、残念なが らもっと現実的な喧嘩だった。
高校二年の中ごろとは、最も面白い時期だと思う。
受験をさほど意識することもなく、部活はいよいよ自分たちも中心となり始め、友達もだいぶ多くなっ ている時期だ。
それに加え、文化祭の時期でもある。
だから、お互いにそれぞれの時間というのを尊重するようになった。
まぁ、僕としてはちょっと寂しかったわけだが。
とりわけ彼女は遠慮をしていてくれたんだと思う。
その上、遠慮をしている風な素振りは見せず……
まぁとにかく、彼女は僕のことをとても考えていてくれた。
それは分かっていた。
けど、言葉で伝えてくれない分、僕の不安や焦りは募った。
男とはとてもめんどくさい生き物だ。
踏み込まれ過ぎるのを嫌い、踏み込まれなさ過ぎるのを嫌う。
常に♪さ~んぽすすんで、にほさ~がっている状態を好む。
とりわけ僕はそのタイプだったのだ。
それまで毎晩のように電話をしていだが、その日数は減っていき、気づけば週に一回するかしないかになっていた。
さすがにこのままでは……と思った僕は彼女に電話で、明日会う約束をした。
別に会ってどうするということもないが、直接言葉を交わせば何か変わるかもしれないと思った。
待ち合わせの場所と時間を伝えると
「分かった……」
と、彼女はくぐもった声で答えた。
翌日は午前中が部活の大会だった。
国公立に通う僕らが、私立に敵うわけもなく、いつものように午前で帰宅、その後彼女と……なんて思っていたが、その日は運がいいのか悪いのか、決勝トーナメントまで進んでしまった。
遅くとも夕方までに帰らなければ、メルヘンさんとの約束が……なんて思っているときに限って、チームの調子はどんどん上がっていった。
優勝こそできなかったものの、三位となり、気づけばすっかり約束の時間は過ぎていた。
急いでバスと電車を乗り継ぎ帰った。
「ごめん! 僕は急いだんだけど、電車が急いでくれなくて……」
なんて、メルヘンさんみたいな言い訳を考えながら電車に揺られていると、突然雨が降り出した。
約束の時間からは優に二時間は過ぎていた。
昨日のこともあるし、帰っていてくれるかなとも思ったが、彼女のことだ。
この雨の中待っているというのも考えられる。
駅に着くと急いで約束の場所に向かった。
彼女は僕の予想通り・・・いや、予想以上だった。
雨の中ずぶ濡れになって立っていたのだ。
「もう、遅い!」
「……え……何で?」
「何でって、そういう約束でしょ!」
僕が言いたいのはそういうことじゃない。
なぜずぶ濡れなのかということだ。
「だって待ち合わせの場所ってここでしょ?」
たしかにそうだが、一回家に帰って傘を取ってくるとか、屋根になりそうなものの下に逃げるとか。
「だって、ここ離れたら、拓也君が分からなくなると……思っ……たか……」
最後まで言い切る前に、彼女は泣き出してしまった。
そこは小さなブランコが二つあるだけの小さな公園だった。
周りは田んぼばかりで、人通りも少ない。
雨の中こんなところで二時間以上も待たされたら、誰だって不安にもなるし寂しかっただろう。
反射的に僕は彼女を抱きしめた。
今思うと、我ながら大胆なことをしたと思う。
彼女の体は冷え切っていて、その温度から寂しさとか、怖さとか、不安とか、いろいろなものが僕の中に流れ込んでくる気がした。
そのときになって思えば、僕がそうだったように、彼女もずっと不安で、寂しかったのかもしれない。
今日呼ばれたのは、別れ話でも切り出されると思ったのだろうか。
そんなことするはずがない!と、一人で勝手に熱くなった。
僕も気づけばずぶ濡れだったが、遠慮することなく思いっきり抱きしめた。
「ヒック…………。」
彼女は小刻みに震えながら泣き続けた。
彼女の腕が、僕の腰に回るのを感じて、さらに強く抱きしめた。
そして、彼女が泣き止んだ頃、雨も弱くなり、そして止んだ。
僕たちはまだ濡れているブランコに腰掛けた。
どちらも何を話したらいいか分からず、僕は小さな子どものように、ブランコを小刻みにゆすった。
「私ね……」
突然彼女が言った。
「友達からメルヘンって呼ばれてるの」
僕も呼んでいる、とは言わず黙って聞いた。
「おとぎの国に住んでそうなんだって」
彼女は微笑して続けた。
「いつも楽しそうだし、悩みもなさそうって言われるの」
微笑が苦笑いに変わるのが分かった。
「もしかしたら拓也くんもそう思ってる?」
僕は小さく首を横に振った。
「けどね、私だって不安なことがあるし、悩みだってあるよ……。でも、拓也君といるときは、そういうこと全部忘れられる……。私、拓也君のこと大好きだよ」
僕の心の中で題名も分からない壮大なBGMが流れた。
足で地面を軽く蹴り上げるようにして、ブランコを大きく揺らした。
悲しいかな、そのときの抑えきれない感情を表現する方法はそれだけだった。
「ちょっとぉ、何笑っているの?」
思わず笑みがこぼれてしまっていたらしい。
「なんでもない。僕も……メルヘンさんのこと大好きだから」
素直な感情が言葉になりすぎて、思わず彼女のことをそう呼んでしまった。
「あぁ! やっぱり影で私のことメルヘンって呼んでたでしょ!」
「呼んでない呼んでない。でも、いいじゃん。メルヘンでも」
「良くない! じゃあ、私も拓也君のことあだ名で呼ぶから」
「でも、僕あだ名ついたことないし」
「え~、じゃあ…………、拓也でもいいっ?」
僕はまた思わず笑ってしまった。
何をいまさら。
「いいよ。茜」
でも、そういえば僕も彼女を名前で呼ぶのは初めてだった。
少し新鮮な気持ちだった。
空に月が微笑む晩夏の公園で、濡れた学生服の二人は、ブランコから身を乗り出し、そしてキスをした。