願いごと
それは、「ごあ」と鳴く。
それは、願いを叶える。
宮代桃は、悩んでいた。
バイト先で仲良くなった相手が、少しだけ重く感じてきていたのだ。
最初こそ、話も合うし、遊ぶ場所も同じだったから、よく二人で出掛けたものだが、徐々に桃の行動を監視するような言動が増え、それを上手くかわそうとすると敏感に察知し、泣き出すのだ。
──バイト、辞めたいけど……時給高いしなぁ。
バイト先のコンビニエンスストアは、繁華街の近くということもあり、同じ業種の中でも時給が高く設定されている。
学校の帰りに寄りやすいし、程よく忙しいから時間もあっという間に過ぎるしで、桃にとって理想のバイト先だった。
しかし、新しいバイトの怜奈が入ってきてからは、辞めるべきか、と悩む羽目になっていた。
──何でもかんでも話さないと駄目とか、何でもお揃いにしようとか、ホント無理。
帰宅途中の桃は、ふと、通りかかった『森の公園』のある噂を思い出した。
森の公園──正式名称は『S市みどり公園』なのだが、広い敷地内に森と呼べる程の木々が乱立しているせいで、この辺りで育った子供達は『森の公園』と呼んでいる。
その外れにある大きな岩。
由来は判らないが『神様の岩』と呼ばれている大きな岩。
いつからか、その岩の前に食べ物やおもちゃを供えて願い事をすると〝神様〟が叶えてくれるという噂が立った。
その願いは、決して軽い気持ちでしてはいけない。
そして、願いが叶った時には〝神様〟に目一杯の感謝を表さないといけない。
さもなければ──。
ハッキリしたことが判らないことと、『神様の岩』が人気のない少しだけ不気味な所に在るせいで、どちらかと言えば丑の刻参りのような雰囲気を持つ噂だった。
──やってみようかな。
「桃ちゃん」
森の公園の街頭に照らされた道をぼんやりと見つめていた桃は、その声に振り返った。
「……怜奈」
道の先に、怜奈が立っていた。安心したように笑みを零し、軽い足取りで駆けてくる。
「遅いから心配しちゃった。店行った時にはもう桃ちゃん居なかったんだもん。何処寄ってたの? 本屋さん? それともこの間気になってるって言ってたカフェかな?」
「……何で、此処に居るの?」
桃の問いに、怜奈は当然のように答える。
「お家に行けば会えるかなって。でも、居ないみたいだったから戻ってきたら、此処で会えちゃった。次に店で会えるのは三日後だし、最近桃ちゃんが忙しくて会えてないでしょ?」
「何で、此処が家だって知ってるの?」
怜奈は他の路線を使うから、遊ぶとしても現地で解散が殆どだった。
高校生にもなって、自宅で遊ぶということもない。桃は怜奈の家が何処にあるかも知らないのだ。
当然の疑問に、怜奈はニヤリと笑った。
「この間、お休みの日に桃ちゃん見つけてね、尾けちゃった」
ドキドキしたぁと笑う怜奈に、桃は瞬間的に怒りが湧くのを感じて叫んでいた。
「ねぇ! 尾けちゃったって、笑って言うことじゃないの判ってる⁉ 変だよ!」
怜奈はビクリと体を揺らし、縮こまって、顔を歪める。
──しまった。
「どうして……そんなこと言うのぉ」
涙を流し、ゴシゴシと拭いながら怜奈は見せつけるように泣き続ける。
──もう、騙されない。
「もう無理だから」
桃は怜奈の横を駆け抜けた。「待って!」という声を置き去りに、自宅へと帰り着くと、転がるようにして中に入った。
その瞬間にスマートフォンが鳴る。
画面には『怜奈』の文字。
苛立ちながら通話ボタンを押す。
『ねぇ、出てきてよ』
玄関扉の向こうからも、全く同じ声がする。
「どっか行ってよ!」
声を上げると、カリと微かな音が扉越しに聞こえた。
『何で? 酷いよ……どうしてそんなこと言うの?』
「桃? 何騒いでるの?」
その時、廊下の先の居間から、母が怪訝そうな顔を覗かせた。
「お母さん……!」
靴を脱ぎ捨て縋りつくようにすると、異変を察したのか母が玄関に向かって「誰ですか」と声を上げた。すぐに足音が遠ざかっていく気配があった。
「何があったの? 警察呼ぼうか」
そう聞く母に、桃は首を振った。
「大丈夫。相手は判ってるから。自分で何とかする」
バイト先の相手とは言えなかった。言ってしまえば、バイトを辞めさせられてしまう。悩んでいるとはいえ、自ら辞めるのとそうでないのでは、意味が違う。
しかし、次の朝、スマートフォンの画面を見た桃は、げんなりと気分が沈む思いがした。
怜奈からの怒涛のメッセージが入っている。
「ごめんね」「許して」「こんなつもりはなかった」と言っていたかと思えば、「返事しろよ」「傷つけやがって」「謝れ」と責め立てるような文言が続いている。
はぁ、と息を吐いた桃は、何処か静かな気持ちで朝食を食べながら考えた。
バイト先の店長には、怜奈とのことは少しだけ話してあった。だから徐々にシフトが被らないようになっていたし、怜奈自身のシフトも減っていた。
──このメッセージ見せれば、流石にクビかな。
まだそうと決まった訳ではないが、軽い足取りで駅までの道を行く。
ふと『森の公園』を通りかかった桃は、足を止めた。
──やっていっちゃおうかな。
時計を確認すれば、まだ登校までには十分時間がある。
桃は、散歩をしているらしき人々とすれ違いつつ徐々に道を外れると、『神様の岩』の前に立った。
鞄から「お揃い」と怜奈に渡されたマスコットを取り、岩の前に置く。
作法がよく判らなかったので、とりあえず手を合わせた。
「怜奈ともう会いませんように。あ、でも仲良く出来るなら会ってもいいですけど、このままなら会いたくないです。お願いします」
そうしてから、妙に畏まった自分に笑い、桃は登校路へと戻って行った。
益々気分は軽く、まだ怜奈とは普通に仲良くしていた頃と同じような気分にさえなってきていた。
しかし、スマートフォンを見れば、追加のメッセージが届いていて、知らず重い息を吐く。
桃はそれを読むことなく、怜奈をブロックした。
バイト先に怜奈のメッセージを見せると、事態を重く見た店長は「こっちで話してみる」と請け負ってくれた。
そうして、軽い気持ちになった数日後。
桃は、店長から「怜奈と連絡が取れない」という知らせを受けた。
何度電話をしても繋がらないという。
桃のこととは関係なく警察に通報したが、一人暮らしをしていたらしいその家は、もぬけの殻だったそうだ。地方に居る両親に連絡が行き、捜査が始まるという。
──もしかして……。
桃は帰り道に再び『森の公園』へ寄ると、『神様の岩』の前に立った。
地面には、数日前に置いた筈のマスコットが、ひしゃげて落ちていた。
まるで鋭い爪や牙で裂いたようだった。
もしかしたら、野生の動物かもしれない。この公園には猫が多く住んでいる。
でも──。
「もしかして……神様が、私の願いを叶えてくれたんですか」
答えはない。
木々がざわざわと音を立てるだけだ。
暗くなり始めた公園で、その木々の陰が暗さを増していく。
桃は、『神様の岩』に向かって頭を下げた。
「有難うございました」
怜奈が何処に行ったのかは判らない。でも、もうきっと怜奈に困らせられることはない。
──これで、良い。
「ごあ」
踵を返そうとした桃の耳に、不思議な音が届いた。
振り返り、『神様の岩』を見回す。
その奥の森の中に、丸い闇のようなものが潜んでいるように見えた。錯覚か、と目を瞬くが、その闇はゆっくりと近付いてくると、岩の陰から顔を覗かせた。
「ごあ」
最初に現れたのは人の顔──ではなく、よく見ればそのように見える模様だと判った。それは、猫のようでイタチのような姿をして、覗いていた。妙に艶のある体毛が、殆ど沈みかけた夕陽を照り返している。
あまりのことに硬直していた桃は、それがゆっくりと歩み出て来ても、少しも動くことが出来なかった。
「ごあ」
それは、口元をもごもごとさせていたかと思うと、何か小さなものを吐き出した。
唾液で濡れたそれには見覚えがあった。
怜奈のスマートフォンだ。
桃と色違いのカバーに、ストラップ。画面は割れていたが、間違いはなかった。
何より、スマートフォンには、見覚えのある手がしっかりとしがみついていたのだ。
指には「お揃い」と言って、勝手に真似をされた指輪がはめられてる。
確かに怜奈の手だった。
しかし、手首からその先は、なかった。
スマートフォンにしがみついた手だけが転がっている。
「ごあ! ごあ!」
それは、何故か嬉しそうに声を上げる。潰れた片目が、気味が悪い。
これは……生き物なのか。神様ではないのか。
桃の中で、疑問が飛び交っていく。
「ごあ!」
それは、そろそろと気遣うような動きで桃の体を掴み上げた。
「ひっ……」
思わず息を呑んだ桃に、ぎょろりと目を向けると、不思議そうに瞬いてから、それは岩の後ろを示した。
その先に広がっていた光景に、桃の視界は歪み、意識が遠くなっていくのを感じた。
裂かれ、ぼろきれのようになった服が散らかっていた。それには、おびただしい量の赤黒い染みがついていた。
どれも、見覚えがあった。
怜奈の制服だ。
桃が「似合うね」と言ってからずっと着ている桃色のベスト。
それは今、くしゃくしゃと赤黒く地面にへばりついている……。
「ごあぁ」
突然、それが頬を擦り付けてきた。頭に生えた角が時折顔の近くを過ぎる。
ごあごあと鳴くそれに構わず、桃は地面に散らばるそれから目を離せなかった。
確かに、もう会いたくないとは願った。失踪したと聞いて、何処か安心もした。
だけど──。
あぁあ、という、自分でも驚くような声が出ていた。
びくりとしたそれを強く何度も叩くと、それは悲しそうな声を上げ始めた。
その憐れそうな様子に、桃の中で苛立ちと悲しみと恐怖は入り混じって、様々なものが絡み合いながら、溢れた。
「被害者ぶってんじゃねぇよ! 離せ、怪物!」
その瞬間、それの様子が一変した。
ぞわり、と全身の毛が逆立つ。
「あ……」
それは、牙を剥き出しにし、唸っていた。
そうして、勢いよくその口を大きく開けた。
「桃ちゃん」
聞こえる筈がないのに、怜奈の声が聞こえた気がした。
──あぁ、そっか……。
桃が下校途中で消息を絶ったことは、怜奈のことを知る者達の中では関連づけて考えられた。
しかし、二人の姿はもう何処にもない。
それを知る術は、誰も持っていなかった。
いつしか、その出来事も忘れ去られていき、『神様の岩』の噂も、いつの頃からか、全く聞かれなくなってしまった。




