第16話 理論派の少女
学園の空気が、わずかに変わり始めていた。
結界実習の区画制限が続き、代替として座学と小規模演習が増えている。理由は明言されない。だが、生徒たちは察していた――何かが起きている、と。
廊下を歩けば、囁き声が耳に入る。
「解析のログ、真似した班が失敗したらしい」
「危険だって話も出てる」
「でも、使わなきゃ分からないこともあるって……」
評価は、また割れ始めていた。
◆
その日の午後、魔法理論の選択講義。
普段より人数が少ない教室で、ノイン教授が淡々と黒板に式を書いていく。風属性の応用理論。流体魔力の干渉計算。
俺は、いつも通りノートを取りながら、式の“前提”を追っていた。
――前提が、強すぎる。
魔力は安定している。
外部干渉は微小。
観測可能である。
どれも、現場では崩れやすい仮定だ。
「……そこ」
隣から、低い声がした。
視線を向けると、知らない少女が座っていた。黒に近い灰色の髪を肩まで伸ばし、涼しい目で黒板を見ている。
「その式、第二補正が抜けてる」
唐突だった。
「抜けてるというか、意図的に無視されてる」
俺は一瞬言葉に詰まり、それから小さく頷いた。
「……風量が一定じゃない前提だと、破綻する」
「そう」
少女は、何でもないことのように言った。
「だから、実技では“勘”で補ってる。でも、それは理論じゃない」
ノイン教授がこちらを見た。
「何か問題があるか?」
少女は、躊躇なく手を挙げた。
「教授。この式、再現性が低いです。現場条件を考慮していません」
教室が静まり返る。
ノイン教授は、少しだけ眉を動かした。
「……名前は?」
「リィナ・クロウフェル」
聞き覚えがある。座学トップ。理論特化。実技は平均。
「続けろ」
「現場条件を排除するなら、この式は美しい。でも、使えない。使うなら、条件を限定すべきです」
正論だった。
だが、踏み込みすぎでもある。
教授は、短く息を吐いた。
「……講義の後で話そう」
それで、この場は終わった。
◆
講義後。
人の少ない廊下で、リィナが俺に声をかけてきた。
「あなたが、解析適性?」
「……そうだけど」
「噂は聞いてる」
感情の起伏が、ほとんどない声。
「間接観測。共有ログ。危険だけど、面白い発想」
褒めているのか、評価しているのか、分からない。
「ただし」
彼女は、歩みを止めた。
「やり方が甘い」
はっきりと言い切る。
「共有するなら、制御すべき。誰でも触れる状態は、事故を招く」
俺は、言い返さなかった。
「……独占するべきだと?」
「選別するべきだと」
リィナは、こちらを見た。
「理解できる者だけが扱う。そうでなければ、解析は“思想”になる」
その言葉は、胸の奥に静かに刺さった。
前世で、何度も聞いた響きだ。
正しさを守るために、線を引く。
混乱を避けるために、門を閉じる。
「あなたは、どうしたいの?」
リィナが聞く。
試すような目。
俺は、少し考えてから答えた。
「……まだ、決めきれてない」
正直だった。
彼女は、小さく笑った。
「でしょうね。だから、危うい」
歩き出しながら、続ける。
「でも、嫌いじゃない。あなたの解析は、まだ人を向いてる」
最後の一言が、妙に残った。
◆
夕方、寮に戻る途中。
俺は、立ち止まって空を見上げた。
解析を、誰に渡すか。
どこまで開くか。
共有は、正義じゃない。
独占も、正義じゃない。
その中間に、答えがある。
リィナ・クロウフェル。
彼女は、理解者だ。
同時に――最も近い分岐点。
歯車は、また増えた。
しかも今度は、逆回転する可能性を持った歯車だ。
慎重に噛み合わせなければ、全体が壊れる。
俺は、深く息を吐いた。
次の選択は、もう避けられない。
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