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第8話 元勇者のおっさんは奴隷を助ける方法を考えるそうです

 大きく息を吸い、長く、そして静かに吐き出す。全身に酸素を行き渡らせ、肉体を活性化させる。

 精神を落ち着かせ、神経を研ぎ澄ませる。すると目の前に本来いない筈の敵が見えてくる。

 細身の体躯に自身と同じ両刃の剣。相当の猛者だ。打ち込もうにも隙がない。ジリジリとノルバは弧を描きつつ距離を詰めていく。

 微かな風の動きを、呼吸を、視線の動きを感じとりながら敵の出方を伺う。

 緊張が走る中、ノルバはカッと目を開くと同時、地面を蹴り、懐に潜り込んだ。

 敵も動きに反応して剣を振り下ろすが、それよりも速くノルバは剣を振り上げる。そして腕を斬り落とすと、頭の上で剣を持ち直して目の前の敵の体を斬り下ろした。


「ふぅ」


と額の汗を服で拭い、ノルバは剣を鞘にしまった。


※※※


 日課である一時間の朝練を終えたノルバが宿に戻ると、ロビーでシャナと見知らぬ女が笑いを含みながら会話をしていた。

 僧侶が頻繁に使用する白い杖を携えた若い女性は、後ろ姿しか見えないが、佇まいから高貴さが滲み出ている。


「あら。おはようございます」


 ノルバに気が付いた女は聞き心地の良い声で振り向いた。新雪を集めて紡がれた様に白いボブがフワッと揺れる。


「シャナから話は聞かせていただきました。ノルバ・スタークスさんですね? ワタクシ、エルノ・ハーネットと申します」


 ニコリと微笑み差し出された手は、か細く容易く折れてしまいそうだった。

 だがこの世界において線の細さなど強さの証明にはならない。特に魔力に完全依存する魔法使いや僧侶ともなれば尚のことだ。


「あぁそうだ。アンタがシャナの言ってた王立研究所とやらの職員か?」

「えぇ、そうです」


 握手を交わしたエルノは再度微笑んだ。

 そんな微笑みがノルバはとても気持ち悪かった。隙間から覗く琥珀色の目が笑っていないからだ。

 品定めするかの様に見られている。嫌悪感を抱かない方がおかしいというもの。

 しかしノルバは黙ったまま終わるのを待った。

 奴隷を解放するにはエルノの力が必要だ。

 ものの一瞬。しかしノルバにとっては長く不快な時間が終わると手が放される。


「流石……としか言い様がありませんね。これならばキマイラを倒すのも納得です」

「そうかい」


 いわゆる達人と呼ばれるレベルになると、相手と握手を交わすだけでその人の力量が分かるのだという。つまりエルノはその域に達した者という訳だ。そしてそれはノルバも同じ。


「ところで二人は知り合いか?」


 シャナとエルノが互いに見合った。

 そしてエルノは「えぇ」と返事をした。


「幼馴染みなんです。ワタクシ達。てっきり聞いていたとばかり思っていたんですけどぉ……」


 低くなっていく声に矛先が自分に向いていると分かったのか、シャナは気まずそうに目を逸らす。


「シャナ? さっき言ってあるって言ってたわよね?」

「い、いや……。誰が来るかは教えてなくて」


 ジリジリと歩み寄るエルノに、シャナは顔をひきつらせて後退りをするが捕まってしまう。

 そして――


「やめっ! あはは! エルノやめて! あはははは!」


 猛烈なくすぐり攻撃がシャナを襲った。

 抵抗を許さず脇腹をコショコショと触り続ける指に、シャナの声は笑い声から次第に過呼吸へと変わっていく。


「もう……許して……」


 数分続いたくすぐり攻撃の末、エルノは満足げな表情をして手を止めた。

 足元で力尽きているシャナからすれば死神の笑顔だろう。

 そんな戯れに興味などなかったノルバは、終わるまでの間に奴隷の少女が寝かされているソファーの隣に座り、ただただ静観していた。


「終わったか?」

「えぇ」


 エルノは満面の笑みで答えた。


「随分と仲がいいんだな」

「それはもう。だってずっと一緒に育ってきましたから」


 そう言うとエルノは急にしおらしくなりながら、頭に着けているカチューシャを思い出に浸る様に触る。


「このカチューシャはワタクシが王立研究所への所属が決定した際に、シャナがプレゼントしてくれたものなんです」


 漆黒のカチューシャは白い髪と相まって遠目からでも大きく目立つ。

 一番目を引く要素なだけに、人によっては着けるのさえ嫌がるだろう。しかしエルノは対照的にうっとりとした様子でカチューシャを撫でている。


「行く先は違えど、互いを思いやり、こうしてまた道が交わる。ワタクシ達はずっと一緒なのです」


 何やら重い感情がありそうな雰囲気に、ノルバはこれ以上話が広がらないように「よかったな」とだけ伝え、話を切った。

 きっとここで話を広げれば永遠に語ってきそうだとノルバの勘が警告音を出したのだ。

 そんな惚気話にも似た語りを聞かされている間に、シャナは意識を取り戻したのかげっそりとした顔で起き上がる。


「エルノ。そんな話をしに来たんじゃないでしょ」

「あらそうだったわね」


 エルノはパンッと胸の前で手を叩いた。


「シャナが何か失礼なことしませんでしたか? この子、昔から人見知りでワタクシ以外とは付き合いが上手くなくて……」

「エルノ!」


 そういうことは言わなくていいと言わんばかりの真っ赤な顔でシャナは口を挟んだ。

 そんなやり取りにノルバは呆れた様に息を吐く。


「もういいか? さっさと本題いこうぜ」

「あっ……。す、すみません。つい……」


 ノルバのいい加減鬱陶しいんだがという声のトーンにシャナは口を紡ぎ、エルノは漸く冷静になったのか本題に移る。


「ここでお話すると迷惑になりますので外でお話致しましょう」


 ノルバは毛布に包まり眠る奴隷の少女を抱きかかえ、外に停まっているキャビンに乗り込んだ。

 大した内装がある訳ではないが流石は国の品物だ。高級防具にも使われる耐久性に優れた素材が惜しげもなく使われている。並の獣なら傷一つ付けるどころか、逆にダメージを負ってしまうだろう。

 席に着くと早々にエルノは話し始める。


「まず、キマイラに襲われた一団ですが、あれはライオネットアイ商会の輸送車で間違いはありませんでした」


もうそこにはシャナの幼馴染みはおらず、いるのは王立研究所のエルノだった。

 そしてシャナとノルバも、それまでの緩い空気などなかったかの様に話を聞く。


「輸送車の行き先はプライマット公爵邸。あの場にいた奴隷は全てプライマット公爵が買い付けたものだそうです」


 そうなるとそのプライマットを説得して、この奴隷の少女を買い取らないといけない訳だが、ノルバに懸念が過る。

 あそこにいた奴隷は全員が年端もいかない少女ばかりだった。今ノルバの隣で寝ている少女に教えられていた仕事を見るに、そういう用途として購入したのだろう。

 目利きをして選んでいたのであれば、生き残りは譲らないかもしれない。無理に押し通す手もあるが……。

 考え込むノルバにエルノから声が掛けられる。


「ノルバさん。その子を引き取るおつもりなのですよね。あのお方には私も会ったことがありますが、少々変わった方で」


 エルノは当時を思い出して少し眉をひそめる。


「奴隷愛好家……ではあるので、奴隷を無下に扱うことはないという点では他よりは優れた方です。ですが嗜好が特殊で、自身で選び抜いた奴隷を従えているらしく、おそらくはその奴隷も手放そうとはしないかと……」


 ノルバの懸念が当たった。つまりは遠巻きに諦めろとエルノは言っている。

 正直エルノの発言は正しいとノルバも理解していた。奴隷一人を解放したところで何の解決にもならない。ノルバの行為はただの偽善。いや、偽善ですらない、見方によっては悪かもしれない。

 だが関係ない。助けると決めたのだ。その意志が、行為が何となろうとも、それがノルバ・スタークスという男の生き様なのだ。

 しかし解決策が見つからなければ、その生き様も意味を成さない。

 不意にエルノの隣に座るシャナが思いついた様子で提案する。


「だったら奴隷商から直接買い取ればいいんじゃないか?」

「買い手は決まってんだぞ」

「そうよ。今更無理よ」


 即刻入る2人の否定。しかしシャナはそのまま続ける。


「だってプライマット公は奴隷がどうなっているか知らないんだろう? 今、奴隷の位置を把握しているのはライオネットアイ商会だから、そっちを納得させられれば上手いこと言いくるめてくれるんじゃないか?」


 シャナの提案に二人の目から鱗が落ちた。

 差し込んだ希望に「そうか!」とノルバは立ち上がる。

 奴隷はキマイラに襲われ全滅という設定にしてもらえば、獣人の少女を買い取ることが出来るかもしれないという訳だ。


「そうと決まれば、そのライオネットアイ商会に行くしかないな」

「ではこのまま向かいましょう。今回の被害についてワタクシからも商会に報告しないといけませんから」


 シャナの妙案を受け、エルノが御者に指示を出すとキャビンはライオネットアイ商会へと歩み始めた。


※※※


 キャビンに揺られ暫くの時が過ぎた。

 心安らぐ日の光に温められ、奴隷の少女はしばしばと目を開ける。


「起きたか?」


 ノルバの声に少女はぴょこんと耳を立てたのかフードが盛り上がった。

 ゆっくりと辺りを見回してキョトンとした様子で首を傾げる少女。見た限りでは落ち着いている。

 しかしいつ昨日の様にフラッシュバックするかは分からない。

 警戒されない様にノルバは優しい声で聞く。


「オレはノルバ。キミの名前は?」

「フュー!」

「そうかフューか。いい名前だ」

「のるば! のるば!」

「そうだ、オレはノルバだ。よろしくな」


 天真爛漫な笑顔からは、昨日の出来事を、そして少女が奴隷であることを感じさせない。

 だがこれが本来の姿なのか、奴隷として生きる中で備わった身を守る鎧なのか。それとも耐えきれない現実から逃れる為の結果なのかは分からない。

 ノルバは少女の頭を撫でつつ歯噛みした。

 ふと少女の視線がノルバのポケットに向く。


「おねえちゃん!」


 少女はノルバのポケットに手を突っ込むと首輪を取り出した。

 今回はちゃんとしまってあったのだが覚えていたらしい。

 慌てて取り返そうとするノルバだったが、少女が大切そうに首輪を抱く姿を見てその手を引っ込める。

 首輪に頬擦りをする少女の姿は安らぎに満ちていた。姉の形見を傍にすることで悲しみを受け入れているのだろう。

 ライオネットアイ商会に着くまで続いたその行為を、3人は静かに見守っていた。

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