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第1話 元勇者のおっさんは牢獄を出るそうです

「最悪の目覚めだ……」


 嫌な夢を見た。

 あらゆる出来事に夢を抱き、希望に溢れていた過去の行い。そのリプレイ。

 男は重い体を動かし、カーテンを開いた。

 温かな日光が差し込む。窓を開ければ、清々しい風に乗った緑の匂いが鼻を通り抜ける。

 誰もが称賛する素晴らしい朝だ。だが男の心には何も響かない。むしろその光景は胸を抉る毒にしかならなかった。


「はぁ……」


 雲一つない晴れ空とは異なり、曇天の気分で男は部屋を出た。


「おはようございます、ノルバ様。お食事のご用意が出来ております」


 廊下に出ると白と黒のメイド服に身を包んだ、いかにもな恰好の若い使用人が声を掛けてくる。


「あぁ、おはよう。ご飯どうも」


 ノルバと呼ばれた男は目線も合わさずに返事を返すと、堪えきれずに出てきた欠伸を殺しながら食堂へと向かった。


 【ノルバ・スタークス】それが男の名だ。

 かつて魔王を倒し、世界を救った英雄。


 彼は現在、町一つが容易く収まるほどに広大な土地の中に建てられた豪邸で過ごしていた。

 外に出る必要もなく、使用人に申し付ければ全てが揃う。悠々自適、順風満帆な誰もが夢見る最高の生活……なのだが、現実は違う。

 広大な土地も豪邸も、全てはノルバを外に出さない為の王の策略。魔王を打ち滅ぼすほどの力を持った人間が、自身に牙を向くことを恐れた王による迫害だった。

 土地から出ることは許されず、人との関りは使用人のみ。

 そんな中でノルバは19歳から35歳になるまでの16年もの間、過ごしていた。

 逃げようと思えば逃げられただろう。だがノルバは一度も脱走を企みはせず、囚われ続けていた。

 それは何故か。平和を願っているから。自分が外に出れば人々を不安にさせてしまうかもしれない。それでは魔王と同じだ。

 ノルバは勇者としての責務を果たす為、自身を犠牲にする道を選択した。


「ごちそうさん」


 孤独な朝食を終えたノルバは自室へと戻った。

 そして力なくベッドに倒れこむ。

 今朝の悪夢がまだ心を覆っている。

 あの時、魔王を倒したのが自分ではなければ、こんな生活を送ってはいなかったのだろうか。

 毎日並ぶ豪華な食事も、使い道のない金銀財宝にもとっくの昔に飽きた。


「あの頃は楽しかったなぁ……」


 堪えきれない想いが雫となりベッドへと消えていく。

 皆でバカ笑いして過ごした日々。

 どれだけ辛く険しい道でも、仲間となら苦ではなかった。笑い飛ばして突き進めた。

 だが今はどうだ。孤独に16年。心は蝕まれてしまった。もう全てがどうでもよくなってきた。

 頑張っただろう。そろそろ終わってもいいのではないか。

 そんなよからぬ考えが脳裏を過ったその時、部屋の扉がノックされた。

 扉を開けると、そこには先ほどの使用人が立っていた。


「あの、王国兵の方がノルバ様に御用だと」

「国がオレに……?」


 ここに閉じ込めてから一切干渉してこなかった。そんな王国が今更何の用事だというのか。

 疑心を抱きながらもノルバは玄関へと向かう。

 そして巨大な玄関の扉を開けると、そこには二人の男兵を引き連れた女兵が威風堂々とした姿で立っていた。

 全員が国章の施された鎧を身に纏っている。

 使用人の発言通り、王国兵であることは確定だ。

 そしてその中で女兵の兜にだけ赤い羽根が付いている。

 二人の上官といったところか。


「何の用だ?」

「ノルバ・スタークスだな。国王陛下がお呼びだ。共に来てもらおう」


 ノルバの質問に女兵は感情のない声で事務的に返した。

 ノルバの意見など聞く気はないと言わんばかりの態度。

 だがこれまでの扱いもある。ノルバも「はい分かりました」と素直に従いはしなかった。


「嫌だね。何でオレが行かなきゃいけねぇんだ。用があるならそっちから来いって、あのジジイに言っとけ」


 そう言いノルバが扉を閉めようとすると、女兵は扉を掴み阻んだ。


「キサマに拒否権などない。封書を送り、事前に通達してあったはずだ」

「封書だぁ? 知らねぇよ、んなもん。オレに連絡よこす奴もいねぇから、ゴミだと思って燃やしちまったんじゃねぇか?」


 突き放す様に答え、ノルバは扉を閉めようと力を込めるが、女兵も負けじと扉を押す。


「オレは行かねぇ……ッ。だから帰れよ……ッ」

「そうはいくか……ッ。国王陛下の命だ……ッ。必ずキサマを連れていく……ッ。それとキサマは一つ勘違いをしている……ッ。エルデル王は逝去され、現在はリーヴェル様が国王に即位されている」


 その発言を聞いて、ノルバの扉を押さえつける力が緩んだ。

 体重を乗せて扉を押していた女兵は、そのままの勢いで屋敷内へと頭から突っ込んでしまった。

 その衝撃で兜は外れて転がっていく。


「キ……キサマァ! いきなり力を抜くな!」

「え? あぁ悪い」


 すぐさま顔を上げた女兵はノルバを怒鳴りつけた。

 しかしノルバは気持ちのない謝罪をするだけだ。

 声色で分かっていたことだが、随分と若い見た目だとノルバは思った。

 20代だと思われるが、童顔な造形は10代だと言われても分からないだろう。

 それよりも目を引くのは、兜の中にどうやって収めていたのか謎な、腰まで伸びた艶やかな銀の髪だ。鎧を着ていなければ、誰からも愛される街娘という立ち位置にもなれるポテンシャルがある。

 だが女兵の紅い眼光がそれを許すことはないのだろう。

 修羅場を潜り抜けてきた目をしている。それだけでなく研鑽を積み続けている者の目だ。


「……何だ。私の顔に何か付いているのか?」


 訝しげに女兵は立ち上がると、鎧に付いたホコリを払いながら聞いた。


「いや別に。それよりもどういうことだ。あのジジイが死んだって」

「キサマ……先程から言葉を選べよ」


 ノルバの無礼きわまりない発言に苦言を呈しつつ、女兵は兜を拾って被り直した。

 そしてノルバの態度に不満を抱きつつも説明をする。


「ひと月前のことだ。エルデル前国王は急死なされた。持病の悪化だそうだ」

「ハッ、ザマァねぇな」

「キサマ! いい加減にしろ!」


 度重なる無礼な物言いに、女兵はたまらずノルバの胸ぐらを掴んだ。

 そして刺し殺す様な目でノルバを睨み付ける。


「何だよ。放せよ」


 しかしノルバは怯むことなく睨み返した。

 互いに引かず一触即発の状況。そんな状況に、それまで静観していた男兵達が慌てて仲裁に入る。


「リッカ隊長、お止めください!」

「我々は争う為に来たのではありません!」


 その言葉にハッとしたのか、リッカは手を放した。


「感情的になってしまったことは詫びる。だがキサマの言動は許されざるものだ」

「へいへい」


 ノルバは首元に上がった服を直しながら適当に返事をした。

 その反省のない態度にも腸が煮えくり返る思いだったが、リッカは何とか堪えて話を進める。


「改めて、ノルバ・スタークス。我々と共に来てもらおうか」


 振り出しに戻ってしまった。

 ノルバは手で顔を隠しながら、天を仰ぎ、嘆息を漏らす。

 短いやり取りで理解した。ここで断ればまた同じことの繰り返しになると。

 どちらを選ぶか。思考の末、ノルバは向き直り、答えを返す。


「分かった。行ってやるよ」

「ほぉ。心変わりしたか」

「あのボンボンがどれほど立派な王になったか見てみたくなってな」

「……今の発言は聞かなかったことにしてやる。早く準備をしてこい」

「へいへい」


 ノルバは踵を返すと、雑に手を振りながら、その場を後にした。

 そして暫しの時が過ぎた。


※※※


「遅い! 一体何をしているんだ、アイツは!」


 腕を組んで待っているリッカは、イライラした様子を見せながら足で床を叩く。

 部屋に突撃してやろうかという考えが脳裏をよぎったその時、準備を終えたノルバが姿を現す。


「悪い悪い。遅くなっちまったか?」

「遅いに決まっているだろう! 1時間だぞ1時間! 人を待たせておいて、のんびり準備するとは何事だ! それに……」


 リッカは上下に視線を動かすと、更にヒートアップした様子でノルバに詰め寄る。


「何だその格好は! ボサボサの髪に伸びた髭、ダルダルの服! 常識というものを持ち合わせていないのか⁉ 1時間も何をしていたんだ!」


 寝癖まみれの髪に手入れのされていない髭、使い古された伸びに伸びたシャツ、色褪せたブカブカのズボン。そしてサンダルという散歩にでも行くかの様な恰好。

 長時間待たされた挙句に出てきたのがこれでは、リッカがもの申したいのも納得でしかない。

 しかし、ノルバは怒るリッカを気にする様子もなく横を抜けて、庭に停められている馬車へと向かう。


「おい待て!」


 思わずリッカはノルバの肩を掴んだ。


「何だよ。いいだろ? これがオレの正装だ。長年世間と隔絶されていたんでな。これ以外の正装を知らん」


 そんな訳があるかと怒鳴りたかった。

 だがここでそんなことをしていれば余計に遅れてしまう。陛下の貴重な時間をこれ以上奪うことなど許されない。

 リッカは震える拳をなんとか抑え、深呼吸をした。


「もういい、それで行け」

「どうも」


 ノルバは背を向けたままリッカに軽く手を挙げると馬車へと乗り込んでいった。


「何という男だ……。我々も行くぞ」

「「はっ!」」


 ノルバの行動に呆れつつ、リッカ達も馬車へと乗り込むのだった。


※※※


 手綱が揺れると軽快な足音と共に馬車が歩み始める。

 いつ以来の馬車だろうか。

 男兵に挟まれて座るノルバは馬車の縁で頬杖をつき、外を眺めていた。

 16年間出ることのなかった敷地を馬車は悠々と進んでいく。

 見慣れた光景。見飽きた風景。

 そんな代わり映えのない景色の移ろいも、目線が変われば新鮮に思える。

 考えてもみなかった。外に出られる日が来るだなんて。

 あの日、王は言葉巧みにあれこれ言っていたが、ノルバは企みには初めから気付いていた。

 もう二度と外へ出ることはないと覚悟して受け入れたのに。


「あんまりじゃないか?」

「何か言ったか?」


 つい言葉が漏れてしまったらしい。

 ノルバの独り言にリッカが反応した。


「何も?」

「まぁいい。ところでキサマは何故、エルデル前国王が逝去なされたことを知らなかったのだ。辺境の地であろうと使用人や紙面で知れるはずだ」

「つまりそういうことだよ」

「俗世には興味がないということか」


 別に興味がなかった訳ではない。

 昔は毎日届く新聞を読んで世の中を理解していた。

 だがそれは外の世界の話で、牢獄にいる自分には関係ない。

 知ったところで何の影響もない。それを実感させられる度に心が死んでいく気がした。

 だから次第に楽しみだった新聞も読まなくなった。


「あぁ、思い出した」


 不意に電撃の様な衝撃がノルバの脳裏に走った。


「何がだ?」

「手紙だよ。送ったって言ってただろ。適当言ったけど合ってたわ。新聞と一緒に着火材代わりにしんだよ。チラッと新聞じゃないやつあった気がしたんだよな。あースッキリ」


 話を聞いた時から気になっていた。喉につっかえた小骨が取れた様な感覚だった。

 一人清々しい様子を見せるノルバだが、それとは対照的な様子の者が一人。


「キ……キサマァ! あの封書には国王陛下直々に執筆なされた手紙が入っていたんだぞ! それを着火材だと⁉」


 正面に座るリッカは怒り立ち上がる。


「悪かったって。オレに連絡寄越す奴なんていねぇからさ。まさかあるなんて思わねぇじゃねぇか」


 慌てて弁明するが時すでに遅し。

 怒りのボルテージが上がっていくのが見て分かる。

 言わなければ良かった。

 王国兵になるほどだ。リッカは国王を崇拝しているのだろう。

 それに加えてそれまでのストレスもある。

 そんな輩に手紙を燃やしたなんて言えば、結果は目に見えていたはずだ。


「落ち着け。落ち着けよ。な? やめろ! 来るな! 悪かった! 悪かったって!」


 ゴンッと、漫画で言うなればコマいっぱいにオノマトペが描かれるのではというほどに盛大な拳骨がノルバの脳天に降り注いだ。

 たまらずノルバは頭を押さえて悶え苦しむ。そして痛みの中、何とか視線をリッカに向けた。


「テメェ……加減しろよ。オレは善良な市民だぞ」

「善良な市民?」


 その言葉を聞いてリッカは思わず笑い飛ばした。


「キサマのことを知らないとでも思っているのか? 魔王殺しの英雄、勇者ノルバ。エルデル前国王のキサマへの仕打ちも全て我々は知っている」

「知ってる上でこの扱いかよ。礼儀のなってねぇガキだ」

「敬うべき相手は敬っているさ」

「だといいがな」


 一触即発。なんてことにはならず、リッカは席に戻り、ノルバも視線を外に戻した。

 そこからは特に会話もなく馬車は進んでいった。

 更に1時間経ち、漸く馬車は敷地外へと繋がる正門へと到着する。

 2人の門番により巨大な門が重々しい音を立てて開かれていく。

 遂にその時が来た。

 足を踏み入れたきり越えることのなかった境界線を越えていく。


「久し振りに出たな」


 だがしかしノルバは至って冷静だった。

 感慨深いものはない。一時の外出だ。また戻ってくる。

 結局ノルバの心は殻に覆われたままだ。

 真の救いはどこにもない。

 それよりも、遠くなっていく我が家を見ることで、己の置かれた状況を突き付けられる。


「そういや王都までどれくらいだ?」


 ノルバはリッカに聞いた。


「6時間ほどだな」

「ろっ……」


 王都と離れていることは覚えていたが、そこまで距離があったとは。

 予想以上の時間にノルバは絶句した。


「ちなみにどこかで休憩とかって……」


 恐る恐るノルバが聞いてみると、リッカはどこか誇らしげな様子で答える。


「王室御用達の強靭な馬だ。休憩など必要ない」

「いや……そうじゃなくてだな。6時間座りっぱかって」

「当たり前だ、諦めろ。この馬車だから6時間で着くんだ。それくらい我慢するんだな」


 休憩もなしで六時間もこんな所にいるなんて正気じゃない。

 ノルバは頭を抱え俯く。


「さ……」

「さ?」


 そして心の底からの想いを吐き出す。


「最悪だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 だがしかし、ノルバの絶望の叫びは、森の木々に反響するだけだった。

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