異世界においてリュカは懸命に生きる
リュカは七歳だった。
母は美しかった。陽の光を受けると、まるで淡金の髪が溶けるようにきらめいた。けれど、今その横顔には疲れの影が濃く刻まれていた。父のために、家のために、昼も夜も働きに出ていたからだ。
父はかつて、防御魔法の達人と呼ばれた。幾多の戦場で仲間を守り抜き、誇り高く立っていた。
だが、二年前。巨大な魔獣の牙に防御を砕かれ、片足を失った。誇りも砕かれ、以来、酒に溺れ、家の奥に座り込むだけの人となった。
リュカは母を助けようと街に出た。小さな体で荷物を運んだり、掃除をしたり、時にはただお使いを引き受けるだけの日もある。運が良ければ銅貨を、あるいはパンを幾つかもらえた。
だが街には、彼を見つけては面白半分にいじめる少年たちがいた。生活に不自由のない子供たち。退屈しのぎに弱い者を痛めつける彼らを、誰も本気で咎めはしなかった。
その日も、運が悪かった。
貰ったばかりの小銭の袋を抱えて角を曲がった瞬間、笑い声と共に腕をつかまれる。
「よぉ、リュカ。また必死に働いてんのか?」
「坊主のくせに金なんか持ってると危ないぞ。俺らが預かってやるよ」
嘲り声と共に、拳が飛ぶ。小さな体は簡単に地面に倒れ込んだ。蹴られる。奪われる。声をあげても、周囲の大人は目を逸らした。
少年たちは高笑いを残して去っていった。
リュカは地面に顔を伏せ、震える手で泥を握りしめた。どうして自分ばかりが、こんな目に。どうして。
その背に、不意に声が落ちた。
「はっ。最低な奴らだ」
リュカが振り返ると、そこにいたのは背の高い大男だった。
分厚い胸板、無精髭、腕には大きな袋を持っている。だが目だけは、驚くほど澄んでいた。
「おい坊主、負けるんじゃねえぞ」
低く響くその声は、理不尽な世界をも叩き割るように力強かった。
「世の中、ああいう連中は必ず報いを受ける。現世でダメなら来世だ。……根拠? ねぇよ。立証もない。だがな、信じてりゃ心は折れねぇ」
大男は買ったばかりの食料の入った袋を、リュカの胸に押しつけた。
「これ食って元気だせ。大丈夫だ。坊主なら」
何故だか、その言葉は胸に深く染み渡った。
大男は笑みも浮かべず、ただ背を向け、足音を響かせながら去っていった。
リュカは嗚咽をこらえきれず、袋を抱きしめて泣いた。
――家へ戻ると、酒に酔った父が椅子に崩れ落ちていた。
瓶の匂い、虚ろな目。かつて憧れた英雄の姿は、もうどこにもなかった。
リュカは震える手でナイフを握った。
「父さん……もう死んでよ」
父が目を見開く。
「僕も死ぬよ。母さんが可哀想すぎるんだ。毎日働きづめで、泣きもせず、笑いもしない。……足手まといなんか、いらない」
涙で視界が滲む。声が震え、胸が痛んだ。
「できないのなら……僕が父さんを殺して、ここから出ていく」
父の頬を伝ったのは、酒ではなく涙だった。
「……バカヤロウ」
その声は、掠れていたが確かに父親のものだった。
――翌朝から、父は酒を断った。
不器用に杖をつき、仕事を探すと言った。片足ではできないことが多いが、まだできることもあるはずだと。
リュカも街で必死に工夫した。少年たちを避ける道を覚え、時には逃げ切れず痛めつけられながらも、決して泣き寝入りしなかった。
母はそんな二人を見て、少しずつ、少しずつ、笑顔を取り戻した。
夜、寝床に潜り込んだリュカの胸に、あの大男の声が蘇る。
――負けるんじゃねえぞ。
根拠もない、立証もない。
だがその言葉は、魔法よりも強く、剣よりも鋭く、確かに彼を支えていた。




