70話 「君のハートにリサビーム」
「ああもう疲れた。お前がいると意味わからんくらい疲れる。ちょっと息抜きにチョコケーキ作ろうかな」
ナイフを見つめながら月野がつぶやく。
「びくっ」
カズの目が大きく開かれる。
「お、お姉ちゃん!ご飯の前にそんなの食べたら夕飯食べられなくなるよ⁉それにアイドルなんだから控えないと!」
必死な形相で止めるよう説得し始める。
「大丈夫だよカズ。お姉ちゃんは食べないから。カズの分だけ作るから、頑張って勉強してね」
といい笑顔で微笑む。
「ガーンッ」
と放心状態のカズ。
「俺はチョコケーキよりショートケーキの方が好きだぞ」
「誰も聞いてねえんだよ!そもそもてめえの分はない!お前はトイレットペーパーでも食ってろ!」
そうはき捨てるとルンルンで台所へ向かった
動機の荒いカズとキッチンで待っていると、台所から奇妙な音が聞こえてくる。
「ウィィィィィィィィィィィィンッ!」
「ズガガガガガガガガガガガッ!」
カズの目が更に大きく開かれる。
「おいお前一体なにしてるからこんな音が―――」
台所まで行ってみると、そこでは、作業着を着た月野が顔全体を覆うマスクを着けており、、台の上にはノコギリにチェンソーに、ドリル、銅板とありとあらゆる工具が散らばっていた。
「何作る気だてめえは!なんでケーキ作るのに工事現場みたいな道具が散乱してんだよ!」
「うるさいなあ。普通の料理道具だったら火力が弱くて料理できねえからちょっと強めのやつ使ってんだよ」
「火力が強すぎるだろうが!のこぎりなんかで切ったらまな板まで半分こになるわ!料理ヘタどころのレベルじゃねえぞてめえは!」
「だからまな板じゃなくて銅板敷いてるんだろう」
「それまな板の代わりだったのかよ!聞いたこともねえよ!怪物のご飯作ってんのかてめえは!まずその溶接マスク外せ!火花出るんか⁉玉ねぎ用のゴーグルでいいんだよ!」
なぜか不満げな顔で俺を睨みつけてくる。
「わかったよ。ちゃんと安全なように道具も変えるからあっち行って」
「頼んだぞマジで。カズがあんな顔するわけだ」
しかし。数分後。
「ズガガガガガガガガガガガッ!」
「グイングイングイングイングインッ!」
また耳をつんざくような音が聞こえてくる。
「おいうるせえよ。何をどう変えたらそうなるん―――」
また月野を見に行ってみると、さっきとまったく同じ光景が広がっていた。
「何も変わってねえじゃねえか!お前は料理じゃなくて料理道具作ってんのか⁉それとも台所をリフォー
ムしてんのか⁉」
「変わっただろ。ちゃんと熱が伝わりにくく、耐久度も増すように銅板から鉄板に替えた」
「そういう問題じゃねえんだよ!ほとんど変わらねえし!お前料理してる人見たことねえのか⁉工事現場で飯作ってると思ってんの⁉」
「自分で効率を求めて、オリジナリティあふれる料理法を画策していくのが楽しいんだよ。普通に料理してたら退屈な平凡な味にしかならないってね」
「そういうのは最低限の料理の常識を学んでから言え⁉お前のはオリジナリティとか生ぬるい言葉で片付けていいレベル越えてるんだよ!いいか⁉その工具をやめろ!そんなもので食べ物はできあがらねえから!それは食べ物を調理するやつを作るやつだから!」
「わ、わかったよ」
渋々といった感じで返答する。数分後。さっきのような激しい音は聞こえなくなった。しかしあのレベルはもともとの狂い具合がすさまじいため改善してもまだ大分おかしい気がしてならない。なので念のためまた見に行ってみると。今度はペンチやアイスピック、六角レンチ、ハンマーなどが散らばっていた。さっきの溶接マスクの代わりに工事用ヘルメットを被っている。
「さっきより火力落とせばいいってことじゃねえんだよ!結局ものづくりの作業から離れられてねえんだよ!お前がやってんのはDIYなんだよ!まじで何を作りてえんだお前は!作業道具をやめろ!ボケなのか⁉ああ⁉」
「だって調理場は戦場だってテレビでやってたし。普通の調理道具じゃ頼りないし」
「そういう意味じゃねんだよ!武装が過ぎるだろうがよ!どんな覚悟で台所立ってんだお前は!ヘルメットの顎ひもを締め直すな!」
こいつこんないかれた一面隠してやがったのか。恐ろしい。
「もういい!俺が道具は準備する。お前は俺が出した道具を使って作れ。分かったか?」
「偉そうに。大体お前料理できるのか?あたいより下手くそなくせに」
「お前より下手くそなやつはこの世に存在しねえんだよ。ていうか下手くそとかそういうの以前の問題だお前は。下手くそというのもおこがましいわ」
「はん。あたいのファンはみんなあたいの手料理にならいくら払ってもいいって言うんだぞ」
などと得意げな顔を浮かべている。
「なんなら俺は金もらっても食べたくないね。お前間違っても料理番組なんか出るなよ?」
「なんでだよ。あたいは家庭的女子で通ってるんだ」
「家庭的女子じゃなくて工業系女子だよお前は!台所で料理より作業台ではんだづけしてそうだよ!ほら!とりあえず余計なものはどけた。俺が出した器具と道具でやってみろ」
「分かったから。もういいからリビングで待ってろよ」
「気が変わった。お前は危険すぎるから横で俺が見張ることにした」
嫌な予感がするので、隣でこいつが作るところを監視することにした。誰かがついていないと大事故につながりかねない。
「いいから!一人でできる!あっち行って!」
「じゃあ材料並べてみろ。それで判断する」
「言ったぞ!ほら!塩、砂糖、薄力粉、チョコレート液、ホイップクリーム」
と言いながら次々と材料を台の上に出していく。
「セメント粉!金属粉!石灰!工業ガソリン!木工ボンド!殺す気か⁉どう間違えたらそうなる⁉文字読めない⁉ていうかそれホームセンターでしか買えないだろうが!あれか⁉ギャルのしすぎで脳細胞死滅したか⁉」
「だ、だってこの前ホームセンターで料理道具買ったときに、店員さんにいいもの作りたいって言ったらこれで作れるって言ってたし」
「そりゃあそんなところでいいもの作りたいって言ったらそうなるわな!君はあれなのかな?錬金術で飯作ってると思ってるのかな?それとも美食會の出身なのかな?」
「でも作業着着たおじさんも親指立てて笑顔向けてきたし」
「作業着を料理服だと認識してるのはお前だけなんだよ!さっさとエプロンに着替えろ!」
不満そうにしぶしぶといった感じで脱衣所に行き、作業着を脱いでくると、エプロンを取り出す。そして髪の色に合った桜色のエプロンを着ると髪を後ろでひとくくりにし、高い位置でのポニーテールにする。それがなんとも様になっていて、アイドルの時の派手な着飾った衣装や髪型よりこっちの家庭的で純朴な方がいいなと感じた。
「よし余計なものは片付けたな。レシピはこれだな。まずボウルに卵と砂糖を入れて湯煎にかけて泡だて器で混ぜる。だそうだ。やってみろ。おい?泡だて器って言ったんだ。ドリルじゃねえ。今すぐその手を離せ」
どこからか取り出したドリルを片付けさせる。
「いいか?俺が混ぜてみせるから見とけよ?」
俺が泡だて器で混ぜ始めると、少し力が入り液体がはねる。それを見るやいなや、すぐさま先ほどの顔を覆うマスクを装着し、更にフライパンで武装する。
「だからそれは火花出る時に使うやつなんだよ!たかが液体がはねたくらいでどれだけ武装するんだよ!フライパンはその使い方じゃねえんだよ!お前はどこのディズニープリンセスだ⁉」
「う、うるせえな!こ、怖いだろうが!だいたいお前偉そうなわりに混ぜるの普通に下手くそじゃねえか!よこせ!あたいがやる!」
言われっぱなしなのが気に障ったのか、それとも指摘されたことが恥ずかしかったのか逆ギレしてくる。
「うるせえ!お前よりは百倍マシだわ!ハンマーで卵割ろうとすんな!お前さっきからどこから工具取り出してる!どこからともなく恐ろしい武器取り出しやがって!ハレルヤかてめえは!」
その後もことあるごとに工具を取り出したり、めちゃくちゃな調理をしたりと、なかなか進まない。
「もうチョコケーキはやめて棚とか作ろう。茶色にしたら文句ないだろ?ブッシュドノエルって薪みたいなもんだしもうそれでいいだろ。案外食ったらうまいかもしれんぞ」
「いいわけないだろうが!じゃあお前食べろよ!」
「お前がさっきからことあるごとに取り出すやつらで作れるのはそれくらいなんだよ!お前はもはや常識人じゃねえから俺がおかしいみたいにツッコむんじゃねえ!」
「お前にだけは常識がどうとか言われたくない!」
二人でギャーギャー言い合いながら騒いでいると、後ろの方にある冷蔵庫に向かおうとした月野が、ドリルのコンセントに引っかかり、体勢を崩した。
「きゃあっ⁉」
反射的に手を伸ばした俺は、月野の背中をなんとか支える。しかし体勢を崩し、二人して倒れる。
「いてて。おい大丈夫か?どこか打ったりしてないか?」
俺は体勢を直し座ると、すぐ向かいでしりもちをついている月野に声を掛ける。
「う、うんだいじょうぶ、ありが、だ、大丈夫だ!」
はっとした様子でぶっきらぼうに言い直す。
「怪我がないから良かったものの、ドリルが落ちてきたりしたらどうなってと思う?お前アイドルだろ。もうちょっとしっかりしろよ」
「わ、悪かったよ。でもわざとじゃないし、お前にはかんけい――――」
言いかけた月野が固まる。
「お、お前、足から血が出て!何で―――」
俺がすぐ近くに落ちていたノコギリを後ろに隠そうとするが、月野はそれに気づき、はっとする。
「私のせい⁉私が倒れた衝撃で落ちてきて切ったの?」
「別にわざとじゃないだろ。傷も浅いしそんなに気にすることじゃ―――」
「ごめんなさい!私が言われたのに片付けなかったから!」
慌てて取り乱す月野。
「お、おいおいそんなに責めることじゃないだろ。男の子はこのくらいのかすり傷は日常茶飯事なんだよ。唾つけときゃ治る。まあでも、これに懲りたら、工具は台所には持ち込まないことだな。分かったか?」
「う、うん。でも、ほ、ほんとに大丈夫なの?一応消毒とかしといた方が。わたし絆創膏持ってくる!」
と急いで台所から出て行く。すぐに戻ってくると、傷口を拭き、消毒に絆創膏と手当てしてくれる。途中でカズがリビングから様子を見に来た。
「どうしたの?なんかずっとすごい音してたから気にしてなかったんだけど、お姉ちゃんが慌ててたから気になって」
「カズごめんねうるさくて。お姉ちゃんが怪我させちゃったの。ごめんね?ほんとに」
と上目遣いでしかも潤んだ瞳で俺にまで謝ってくる。なまじっかアイドルだけに破壊力が強い。そ、そんな顔されると色んな意味で困るんだけど。
「大丈夫お兄ちゃん?痛い?」
「こんなもん俺が毎日のように戦っている痛みhukutuと比べれば蚊に刺されたようなもんだ。お前もさ。いい加減そんな顔浮かべるのやめてくれよ。笑ってくれないと困るんだよ。地獄の一発ギャグ大会始めるか?おっすオラナッパ!つるつるすっぞ!いや菜っ葉はザラザラやろがい!みたいなクオリティで一時間続くぞ?いいんか?挙句の果てには隣の部屋のもっとやばい女呼んで漫才すんぞ?いいのか?」
「適当な人だと思ってたけど、案外優しいんだね」
と微笑みかけてくる。なんだかさっきから調子狂うな。
「なんか、今はいつものお姉ちゃんみたい」
カズがこぼしたその言葉に月野が我に返り顔を真っ赤に染める。
「は、はい!終わり!もういいだろ!ファンサービスはここまで!」
となぜか俺が月花民にされていた。
「ええもう終わりい⁉リサりぃん!もう一回さっきの、『はいオタクくん。いたいのいたいのとんでいけ♡まだ効かない?じゃあこれはみんなには秘密だよ?ねえ治癒ってなんかエッチな響きじゃない?ほらちゅっ♡どう?エッチ?よくなった?』をやってほしいでゅふっ!」
「そんなことやってねえだろうが!適当な事言ってると傷口ほじくり返すぞてめえ!」
といつもの調子で怒る月野。
「でも今のはお前からオタクを振ってきたからな」
「そ、そのさ。お詫び?ていうか、なんていうか。あたいの作るケーキやるから怒んないでくれない?」
「お詫びっていうかとどめだよねそれ。別に全然怒ってなかったけどむしろ今怒りそうなんだけど」
俺の言葉にむっと頬をふくらませる月野。
「いいから食え!あとは焼くだけだから!」
「お姉ちゃん僕ひろきくん家行ってくる!」
といち早く逃げ出して家を飛び出したカズ。
「あ!カズのために作ったのに!まあ帰って来てからでいっか」
どんまいカズ。南無三。
「お姉ちゃん僕義無くん家行ってくる!」
すかさず逃げ出そうとした俺の襟首を月野がつかむ。
「義無くんって誰だ!あと次お姉ちゃんって言ったら殺す!」
「チンッ」
そうこうしている間にケーキが焼き上がってしまった。
「よし!できた!」
レンジから取り出されたケーキは月の表面のようにボコボコで、まるで暗黒大陸の食べ物であるかのような禍々しさを放っていた。たぶん食べたら「アイ」しか言えなくなるか、顔面が球体になって謎の古代遺跡をずっと守ることになる。
「けっこう美味しそうじゃない?」
そう?俺犬じゃないのにチョコレートって体に毒な気がしてきたんだけど。そう思い庭を見やる。
「なに庭に落ちてるうんことチラチラ見比べてるんだてめえ!お前女の子が一生懸命作ったお菓子を何と見比べてんだ⁉」
「じゃあ俺は庭の黒いのを片付けるからお前はこの黒いのを片付けといてくれ。フェアにいこうじゃないか」
「うんこと対比させるな!片付けるってなんだ!お前食ってねえし!」
しかし、怒っていたと思っていた月野だが、徐々に悲しそうな表情を浮かべ、目に涙を浮かべる。
「分かった。そんなに食べたくないならもういい。自分で食べる。うんこと変わらないよ私の作ったケーキなんて」
「じょ、冗談に決まってるだろ⁉全部食べるから!お前が一生懸命作ったのは横で見てたから分かるさ!最終的には食べる気だったっつうの!これはまじで!」
俺は月野からケーキを奪うと、一気に口にかきいれる。
「〝うん!〝うまい!よくできでる!この前食堂で食べた牛丼を思い出すなあ!なんて刺激的で挑戦的な味なんだ!アグレッシブさが伝わってくるね!」
「ほ、ほんと?」
と嬉しそうな顔をしている。
「うんまじで!ほらお前も食ってみ?意識持ってかれないように気をつけろよ⁉さあ食え!早く食え!」
さっきから形容しがたい強烈な刺激と、食感に舌と胃と、その先につながる腸が全力で警報を鳴らしている。月野が自分の分を皿によそい、一口食べる。
「うん!よくできてる!ちょっと味薄いけど美味しい!もっと苦くてもいいかも!」
「……そ、そう。君普段サラダには何かけるの?」
「コーヒー牛乳と濃口醤油だけど」
「……あっそう。なるほどね。よかったオイルとかセメントじゃなくて。全然普通じゃん。よかったよかった」
じゃりじゃりするスイーツを涙と一緒に飲み込み完食する。
「ご、ごちそうさまでしたっ」
「おかわりもあるけど」
などとニコニコ見てくる。
「いやほら!俺そろそろ帰らないと!さすがに長居しすぎだしな!うち門限厳しいんだよ!17時までに帰らないとお父様が怒るしお母さまが心配するから!それにこの後家庭教師の先生来るし、ピアノのレッスンあるから!」
「お前みたいなやつがその言い訳で通るわけねえだろうが!さっきまで図太く居残ってお茶にケチつけてたくせにどの口が言ってんだ!第一その育ちの悪さでそんなことあるわけねえだろうが!何がお母さまだ!」
「ぐぎゅるるるるるる~」
唐突に、というか必然に、俺のお腹が鳴った。もちろん空腹とかそういう温い理由ではない。猛烈な腹痛を伴う方だ。
や、やばい!こんなすぐくるとは!なんという破壊力だ!このケーキ!
「トイレ貸してくれ!」
「お前本当にお腹弱いな。いいけど」
「この際ツッコむのは許しておいてやる!」
俺は急いでトイレに駆け込む。
「ぐおおおおおお」
どうやら体が毒だと判断したようで、出したいがまだ便になっておらず出せないという最悪のスパイラ
ルに陥ってしまったようだ。胃も痛いしどこか熱っぽい。
「おーいちょっといいかー」
力をしぼってなんとか声を張る。
「どうした?」
ドア越しに月野が返事する。
「ちょっとかなりまずい。胃痛薬とかある?」
「あったと思う。胃が痛いのか?」
「ああ。まあお前が気にすることじゃ―――」
「まったくお前は腸だけじゃなくて胃まで弱いのか。男のくせに情けないな」
と呆れた様子で言ってくる。
「……俺は優しいからこの家のトイレットペーパー八割で許してやる。それとお前が二度と台所に立たないことが条件だ。カズを苦しめたくなければな。あと水も持ってきてくれ」
「なんでおやつまでごちそうになっておいてそんなに偉そうなんだお前は。ほらここに水と薬置いておくから。出る時はパンツ履いてから出ろよ?向こう行っとくけど」
「面目ねえ」
俺はドアを開けると胃痛薬を飲み、再度便座に腰かける。しばらくすると痛みと熱が引いて良くなってきた。
三十分後。
「おーい。大丈夫か?まだお腹痛いのか?」
月野が様子を見に来た。否。聞きに来た。
「んー?痛いのは引いたぞ」
「じゃあそろそろ出れそうか?」
「いや。まだ出ないな」
「まだ体調が悪いのか?動けないとか?」
「いや?ただ出すためにはもうちょっと消化してからじゃないと」
「なんの話をしてんだてめえはあ!トイレから出れそうかって聞いたんだよ!誰がうんこ出そうかどうか聞いたんだよ!」
ドアを殴りつける月野。
「なんだそっちかよ。ややこしいな。それよりちょっと胃に刺激与えて促したいからなんか食べ物持ってきてくれないか?いいか?間違っても手作りのものを持ってくるなよ?食べれる物を持ってきてくれ」
「わかった。少し待ってて」
数分後。
「持って来たよ。エナジーゼリーあった。これでいい?」
「おー助かるわ。置いといてくれ」
「はーい」
月野が離れてから少ししてドアを開けてゼリーを取ると摂取する。
更に三十分後。
「おい。ほんとに大丈夫か?病院行くか?なにしてる?」
また月野が様子を見に。否。聞きに来た。
「あーなんか暇だから漫画持ってきて。ハンターハンターの暗黒大陸編がいいな」
「なにを人ん家のトイレでくつろいでんだ!早く出てこい!もう治ってんだろうが!」
「やだ!今日からここは俺の部屋にする!とりあえず暑いから扇風機持ってこい!」
「どこに住む気だてめえは!お母さんたち帰ってくる前に早く帰れよ!」
「そうだな。今日から住む以上お義母さんに挨拶しとかないとな。こんにちは。今日からトイレ警備員兼トイレの妖精としてこの部屋を守ることになりました一ノ瀬英一です。よろしくお願いします」
「何がお義母さんだはっ倒すぞ!ただの人の家に寄生するゴキブリだろうが!トイレに住み着くあたりな!殺虫剤撒かれたくなかったら今すぐ出てこい!」
冗談はこのくらいにして出ることにした。真夏のトイレはまじでサウナ張りに暑い。ただあのダークマターの破壊力がすさまじくて動けなかっただけだ。
「キイガチャッ」
トイレのドアを開ける。
「まったくお前は学校のトイレに入ってたら、早く出るよう焦らしてくる清掃員のジジイかよ。あのジジイまじでうぜえんだよな」
「一緒にすんな!ここはあたいの家だよ!お前が一番うぜえんだよ!早く帰れてめえは!今日何度目だよ!」
窓の外を見ると、もう日が西の方へ傾き始めており、外で干していた靴もすっかり渇いているように見えた。
「分かった分かったもう帰るよ。ほんじゃお邪魔しました」
玄関まで見送りに来る月野。
「まじでお邪魔だったよ。お前が来てからカズがわずかだけど、おかしくなってきてる気がしてならないよ。あたいがいないところでは勝手に会ったりするなよ」
などと厳しい視線を向けてくる。
「ヤンキーみたいな恰好のお姉ちゃんに言われたくねえんだよなあ」
「ふんっ」
とそっぽを向く。が。
「でもさ。今日はその、あ、あたいの作った、け、ケーキ。美味しいって食べてくれてさ、嬉しかったんだ。そのお礼?っていうかなんていうかその。ほら!怪我もさせちゃったし!だからその……」
なにやら頬を赤く染めもじもじしている。なんだ?要領を得ないな。
「お、おう」
「だから!し、しても、いいよ?」
などと真っ赤な顔で上目遣いに見てくる。
「は、は?」
してもいい?とはどういう意味だ?女の子がこういう表情でこんなこという時は大体一つくらいしか思い当たらないんだが。
「だ、だから!リサビーム!あんたこの前してほしいって言ってたじゃん!言わせんなよ!言っとくけどファンサービスとかでもやったことないんだからな⁉」
「あ、あ~はいはいリサビームね。分かってたよ。知ってましたとも。であれなんだろ?そう思わせておいて今度はさらに唾の方なんだろ?分かってんだよ俺にはよ。で?俺はなにすればいいの?痰壺もって立ってればいい?」
「そんな汚えのじゃねえよ!いいから黙ってろ!」
目を閉じて、大きく深呼吸した目を開いて小さく頷くと、頬を赤くしながら、いつもとは違う清楚な甘い声でささやく。
「一ノ瀬英一くん。今日はありがとうね。リサの気持ち、君に届くといいな。いくよ?
キミのハートにリサビーム♡」
胸の前に手でハートを作ると、可愛らしく曲げた片足をあげ、角度をつけて、可愛い笑顔で片目を閉じてウインクする。
こんなのは普段テレビで見る分にはふんって感じで鼻くそでもほじりながらチャンネルを換えるものなのだが、今は月野から目が離せなかった。それは、アイドルとして着飾った衆人向けの月花リサではなく、一人の女の子として、恥ずかしがりながらも感謝を、気持ちを伝えようとしているのが伝わってきたからだろうか。
「……」
「……」
数秒沈黙が流れる。
「な、なんか言えよ!滑ったみたいになってるじゃねえか!」
顔を真っ赤にした月野が叫ぶ。
「いやなんだ。その。正直リサビームにはそこまで興味はなかったし冗談で言ってたんだが、俺の中のキモオタが浄化されてリサりんどころか月野さくらのことまで推し始めようとし出したくらいよかったよ」
実際に目の前でやられるといつもとのギャップがすごいというか破壊力がすさまじいことになっている。さっきのチョコケーキがー5000の破壊力だとするとこちらは+5000とベクトルは違えど数値はそのくらいすさまじく、なんか胃の中の不調まで吹っ飛ばしてくれた気がする。相殺してゼロになった。ちょっと照れてたのがまたポイントが高い。
「へえ⁉そ、それって、お前⁉」
また顔を真っ赤にして目を見開く月野。
「いやばっか俺じゃないよ?あくまで比喩だからね?そのくらいよかったって意味で、今もキモオタはオタゲー踊ってペンライト振ってるし、なんならさっきの衝撃で新しい性癖のキモオタまで生まれ始めたから。今度紹介してやるよ」
「ばーか!要らねえよ。紛らわしい褒め方しやがって」
とどこか嬉しそうな月野。
「じゃあな一ノ瀬。またな。ちゃんと補習行けよ」
「気が向いたらな。じゃあ。風呂貸してくれてありがとな。靴も洗ってくれて助かったよ。またうんこ踏んだら来るよ」
「来るんじゃねえ」
と早く帰れと手を雑に振る月野。俺はそんな月野を目の端でとらえながら、前を向くと、玄関から一歩踏み出した。
「ぶりゅ」
聞きなじみのある音に下を見ると、俺の靴の下でつぶれているそれがあった。横を見るとシャワがふんっと鼻で笑い家の中に入っていく。
「……」
「よう久しぶりだな月野!ところでうんこ踏んだんだけど片方しか洗わないから風呂貸してくれねえか?」
「シャワよし!ゴー!髪の毛かみちぎれ!」
というわけで俺はまた玄関先のホースで靴を洗わせてもらい、裸足で帰ったのだった。




