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一ノ瀬英一のおバカ譚  作者: 八野はち
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58話 「この町のトイレはすべて俺の縄張りなんだ」

 探求心。それはいつだって人々を進歩させてきた。奥へ奥へと進むこと。それは文化の発展にさえつながる重要な心の在り方だ。しかし、奥へ進むだけではいずれ限界がくる。安直に縦の深さだけを求めるのではなく、横への広がりも同等に大切になってくる。縦へのベクトルだけではなく横へのベクトルも意識する必要がある。


そこであげられるのが、江戸時代の測量士、伊能忠敬だ。伊能忠敬は五十五歳から日本全国を歩いて測定し、日本地図を作成した。その探求心、探索意欲はすさましいものだ。四百年前の技術で測定されたものが、現代の技術で測定された地図とほとんど同じなど本来ありえない。


 なら十六歳の俺はこの夏何ができる。このありあまる探求心をどういかす。そう考えた時、俺は気づけば自転車にまたがり外に飛び出していた。



「よしこれでこの地域は攻略済みと」


 町の公共施設や公道などが細かく書かれた地図にまた赤ペンでバツ印が一つ追加される。ノートには詳細にメモが書かれている。


 そう。なんと俺は、伊能忠敬に続き、十六歳で、町のトイレマップを完成させようとしていた。ここは家や学校から少し離れた所にある田舎の地域。辺りには小さな家と草原ばかり。この辺りは少しトイレが少ない方だ。


だからこそこの辺りで例の痛みに襲われた時に備え対策を打っておく必要があるのだ。ハザードマップは普段から確認しておくように、トイレへのルートも確認しておくのが上級者のたしなみだ。これは教科書に載る日も近いな。それにしてもこの時間は本当に有意義だ。この地図は宝の地図と同等の価値がある。ラフテルへの道も近い。などと考えていると急な腹痛が襲ってきた。


「きたかっ」


 確かこの辺りで一番整備されたトイレはここから五分の所にある公園のトイレだ。俺は自転車にまたがり公園へと向かう。


「ダンッダンッ」


 途中段差が多くその度におしりに衝撃が走る。ぐおおっ。やめろ漏れるだろうがっ。


 なんとか公園に着きすぐさまトイレに駆け込むと用を済ませた。


「ぐおお。何とかここまで来たが今回もギリギリの戦いだったぜ。まださっきの余波がお腹に響いている。これは油断して冷たいものを口にしようものなら第二ラウンドのゴングが鳴らされるやつだ。あー腹いてえ」


 俺がそんなことを独り言ちりながらトイレから出ると、反対側の女子トイレの入り口から誰かがお腹をさすりながら出てきた。



「うううっ。お、お腹痛いよお。雑草食べすぎたあ。あの草は食べすぎるとお腹壊しちゃうからあんまり食べない方がいいのは分かってたのに、空腹には勝てなかったよお。ああまだお腹の音鳴ってる。公園のトイレとかこんなところでしたなんて誰かに見られたら…」


 お腹をさすりながら顔を上げ俺と目が合う。


「「……」」


 白銀の顔がどんどん赤くなっていく。


「おいおいおいおいおいおいおいおい呼んだか?呼んだな?今心の中で俺のこと思い浮かべたな?」


 俺は白銀の方に歩いていく。


「呼んでないよ!そんな仲間見つけたみたいな嬉しそうな顔で近寄ってこないで!何でこんなところにいるのさ!」

「この町のトイレはすべて俺の縄張りなんだ。ちゃんとうんこしてマーキング済みだ」

「なんでそんな犬みたいなことしてるの!しかもマーキングって普通おしっこだからね⁉最悪だよほんとに。誰にも見られたくなかったのに、よりによって君だなんて。僕ってほんとに不運だよ。はあ」

「ていうかこんなところでなにしてるの?」


 とこちらに投げかける。


「うんこに決まってるだろ」

「いやそれはわかるんだけど」


 しらーっとした目で見てくる。


「ていうか手洗った?俺ちょっと潔癖入ってるからうんこした直後の人とは五メートルくらい離れないと会話できないんだよね」

「やめてくれないかな⁉それいじめだからね⁉普段やられてるからってここぞとばかりに僕にやらないでくれる⁉ていうか君にだけは言われたくないから!しかも君も今トイレから出てきたよね⁉」


 心外そうに叫ぶ。


「いいか?先輩として教えておいてやるがお腹壊している時の心得は三つある。一つはズボンのひもをゆるめること。二つ目はトイレットペーパーを鞄に入れること。三つめはお腹が冷えないように気を配ることだ。夏は汗で冷える可能性があるためこまめに汗は拭くことだ」

「気を遣って教えてくれてるつもりかもしれないけど、本当に気を遣うなら女の子にそんなアドバイスしないでくれる⁉これ以上僕を辱めないでくれないかな⁉全然気遣えてないからね!」


 顔を真っ赤にして怒る。おもに羞恥の方だろうが。


「後輩のくせに生意気ぬかすな!返事はサーウンコイエッサー以外認めていない!」

「こんな先輩は嫌だ!」

「『あいつうんこ踏むかベンチ温めるしか能がないねえな。あいつあだ名クリマツにしようぜ』とか言ってくる先輩」

「急にリアルな先輩象出すの止めてもらっていいかな⁉別にお題出したわけじゃないから!絶対君の体験談だよね⁉」


 さっきまでの怒りは憐みの目に変わっている。


「それでさっきも聞いたけどなんでこんなところでトイレしてるの?家から離れてるよね?」


 先ほどの続きを尋ねてきた。


「令和の伊能忠敬になるべく町のトイレマップを更新していた」

「君ほんとに楽しそうだね。そんな夏休みの過ごし方してる人君以外いないよ絶対。夏休みはそんな感じで過ごしてるの?」

「まあそんな感じだな。お前こそこんなところで何してた?」

「僕は美味しそうな雑草を探し求めて草がたくさん生い茂ってるところを探してたらここまで来てたんだ」

「お前だって草食動物みたいな夏休みの過ごし方してるじゃねえか」

「僕は普段はバイトしてるんだからね。君と一緒にしないでよ」


 心外そうに言ってきた。


「俺だってトイレでハイドしてるんだから似たようなもんだろ」

「全然違うと思うんだけど。ていうか一人で何から隠れてるのさ」

「家賃の取り立てと補習への駆り立てから隠れている」

「なんでそれで僕と張り合おうとしているのか聞いてもいいのかな」


 一人で呟いている。


「そうだ。手出してみろ。いいもんやる」

「なに?」


 俺は白銀の手に黒くて小さい粒を二粒取り出す。


「さてどちらかが正露丸でどちらかがうさぎの糞だ。どっちにする?」

「なんでそんなややこしくなるもの持ち歩いてるのさ!どっちにするじゃないよ!」

「まあまあ。冗談だ。本当はうさぎの糞じゃない。俺の鼻血が固まった鼻くそだ」

「いやあああああ!」


 俺に向かってぶん投げる。


「なんてもの手に乗っけてくれるのさ!汚い!もっと嫌だよ!まだうさぎの糞の方がよかったよ!どれだけでかいのさ!そんなもの飲めるわけないでしょ!余計体調悪くなるよ!」

「漢方薬には鹿の角とか亀の甲羅とか動物の体の一部を使っているものもあるんだぞ。文句言わずに飲んでみなさい。有名な戦国時代の将軍義無が言ってたぞ。

『ちょっとしょっぱい。フォアグラよりこっちの方がくせになる』って」

「だからって人間の鼻くそ飲めるわけないでしょ!また適当なこと言って!その人有名な人でもなんでもないから!ただのダメ人間だから!確かに室町幕府の将軍みたいな名前してるけど!ていうか君会話のチョイスが全部汚い!」


 白銀が呆れたように溜息をつく。


「冗談だよ。ほんとはどっちも正露丸だ。ほれ」

「今のくだりは一体なんだったのさ。ほんとに」


 膨れ顔で睨んでくる。


「でもありがとね。助かります」


 律義にお礼は言うと素直に飲む。


「君は飲まないの?」

「俺クラスの悪玉菌になるとサプリメントも漢方薬も効かねえんだよ。異物みたいなもんのくせに他の異物が入ってくると免疫細胞みたいな面してすぐさま殺しににかかるんだよ。悪い菌のくせに殺戮衝動が強すぎるから定期的にサプリメントの善玉菌送り込んで殺させて機嫌取ってんだよ。こいつ怒るとどこまでも無慈悲だからもう怖くてしょうがねえよ。誰か助けてくれよ」

「そんなサプリメントの使い方聞いたことないんだけど。なんで体の中の菌に主導権握られてるのさ。もはや体の中に菌飼ってるっていうか菌に飼われてるようなものだよね」


 可哀想なやつを見る目で見つめてくる。


「おいあまり失礼な事口にするな!悪玉菌様の耳にお入りになったら俺は酷い目に遭わされるんだぞ!」

「もう君怖いよ。いつも思うけど君ほど変な人見たことないよ」


 などと呆れ半分、怯え半分。


「あれ?でももしかしたらその悪玉菌脳みそまで乗っ取っちゃってるんじゃないかな?じゃないとこうはならないよね」などとぶつぶつ独り言を言い始めた。おい。聞こえてんだよ。


「じゃあお前はバイトは続いてるのか?前の飲食店はどうなった?」

「ああそれなら派遣クビになったよ。今新しいバイトしてるんだ」

「バイト先が変わってる時点で派遣じゃねえんだよ。クビを派遣に言い換えるな」

「僕だって頑張ってるんだよ⁉ちゃんとタイムカード押し忘れないようにチェックしてるし、ロッカーのカギは無くさないように気をつけてるし、制服忘れないように寝る前に準備しようとしてるんだよ!一生懸命やってるんだよ!」

「そんなんだからクビになるんだよ。バイト初心者どころの話じゃねえぞ。バイト以前の問題じゃねえか」


 何でまだそこでつまずいてるんだよ。意味が分からねえよ。


「だがお前のその腐らない根性とチャレンジ精神は本当に尊敬するよ。普通それだけクビになるともう社会復帰できなくなるはずだからな」

「そうしないと野垂れ死んじゃうから必死なんだよ。最初はみんな優しいんだよ。でも徐々にみんな僕に優しくなくなっていくんだよね。君だけは僕から離れていかないよね?ね?」


 突然真顔になるとメンヘラ彼女みたいに詰め寄ってきた。


「怖えよ。突然闇抱えてそうな感じ出すのやめてくれよ。笑えねえよ」

「あはは。冗談だよ。今は銭湯でバイトしてるんだ。掃除するのと番頭だけだから割と続いてるんだよ」

「へえ。とうとう男のパンツだけじゃ飽き足らず裸まで欲するようになったか。まあ正直初めて会った時からお前は俺のけつ筋に釘付けだったしな。おいおいよせよ俺の股間を凝視するのは」

「そんなこと一言も言ってないよね!止めてくれないかな⁉普通にセクハラだからね⁉君いつまでそのこといじるのかな!」


 憤慨する白銀。


「まあそう怒らずに座れよ」


 俺たちは木陰になっているベンチまで移動して並んで座る。


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