36話 「うんこ?効かないよ。生まれた時から踏んでるから」
家に着く頃には朝日も昇っていて、町が活気づいてきていた。しかし俺は昨日一睡もしていないため、ベッドに倒れると気絶するように眠った。
外を通った小学生の元気な声で目が覚めた。スマホを見るともう夕方になっていた。おいおい完全に遅刻だなとかいうレベルじゃねえぞ。学校終わってるじゃねえか。どれだけ眠ったんだよ。とはいえ昨日は本当に疲れたしな。
立ち上がって伸びをする。そういえば昨日の夜から何も食べてないな。異様に腹減った。俺は歯を磨いて着替えると近くのスーパーに向かうことにした。
スーパーの帰り道。通りかかった公園で、女の人と小学生くらいの男の子が鳩にパンくずをあげていた。
「すごいいっぱい集まってきたね!お腹空いてるのかな?」
「そうかもね。触っても逃げないってことはカズがいい子だって分かるんだよきっと」
「そうなのかな。えへへ」
「あの奥の子痩せてるし、さっきから他の子に奪われてて食べられてないから近くによってあげてみて」
女の人の方がマスクにキャップをしていてピンク色の髪を結んで帽子の中にしまっているようで、年が分かりにくく、最初は親子かと思ったがお尻を見て十代半ばから後半くらいだと判断した。となると兄弟だな。
俺くらいになるとお尻で年齢を読み取れる。これはエロい意味ではなくお尻を酷使しすぎた結果身に着いた特殊能力のようなものだ。したがって女だけでなく男も判断できる。誓約と制約による念能力と言い換えることも可能だ。この先二度と快便できなくなるほどの覚悟と犠牲が必要だ。普通につり合い取れてねえから今すぐこの念能力除念してくれ。
ちなみに蓮もこの能力使える。なんならあいつは戦闘力と人間性まで分かるから。俺より研ぎ澄まされてるまである。ただあいつの場合は誓約と制約じゃなくて製薬と契約だけどな。
アホなことを考えていたら立ち止まってじっと見てしまっていたようで兄弟に気づかれた。こちらをじっと見つめ返してくる。すると女の方がギクッとしたように見えた。そういえばあのお尻には見覚えがある。俺は一度見たお尻は忘れない。
もう一度言うが決してエロい意味ではない。俺はカッチカチに鍛え上げられたお尻にしか興奮しない。なんか声も聞いたことある気がするんだよな。
「お姉ちゃん。あの人知り合いなの?なんかお姉ちゃんのことずっと見てない?それともバレたのかな?」
男の子が女の人に尋ねる。
「い、いやー、お姉ちゃんちょっと分からないなー。そ、そうだかず。向こうにも鳩いるからそっち行ってみようよ。ね?」
女の方が必死に話を逸らしこの場から逃げようとしているようだった。この声、やっぱり…。
その時。鳩が一斉に舞い上がった。
「きゃあっ」
「わあっ」
その勢いで女の人の帽子がはずれ、ピンク色の髪の毛が露になる。やはりそうだったか。その女の子の正体は大人気アイドルにして現役黒ギャルの月野さくらだった。雰囲気違すぎて最初分からなかったぞ。
俺と目が合った瞬間に弟の手を引いて逃げ出そうとする。
「おいおいおいおい。化け物と遭遇したみたいに逃げようとすんなよな。そんなことされたら地の果てまで追いかけたくなるだろうがよ」
俺は公園の中に入って話しかける。
「お姉ちゃん知り合いなの?」
「全然知らない人。こういう知らない人に話しかけられたら無視するんだよ。鳩向こうにもいるからそっち行こ?ね?」
なおも無視してこの場から去ろうとする。
「おいおいおい。忘れたとは言わせねえぞ?あの夜のことは今でもしっかりと覚えてる。あれは激しかった。あんな激しいの初めてでしばらく余韻に浸って起き上がれなかったぞ。一発で気持ちよくなっちまったぜ。俺がこないだの夜よりももっと、一発で気持ちよくなれるのを教えてやる。お前だってほんとはもう一発くらいやりたいと思ってんじゃねえのか?素直になれよ」
「てめえ適当な事言ってるとぶっ殺すぞおらあ!あたいはまだ処女だしアイドルだぞ⁉子供の前で何言ってんだてめえは!」
我慢できずに月野がいつもの調子で叫んでくる。
「処女?君は一体何の話をしてるんだい?俺はお前に思いっきりぶん殴られたときのことを話してるんだぞ?あの一発は強烈だったぜ。痺れたね」
「ま、ま、ま、まぎらわしい言い方してんじゃねえぞてめええええ!絶対わざとだろうがあああ!最悪だ処女ってばらしちまったあああ!」
などと頭を抱えて叫んでいる。
「お、お姉ちゃん?どうしたの?な、なんか怖いよ?なんかヤンキーみたいだよ?」
「はっ!ち、違うのかず!い、今のはこの人といつもする決まり文句みたいなもので、演技だから!お姉ちゃんがそんなしゃべり方したりするわけないでしょ⁉」
などと苦しい言い訳をする。
「なーんだ。そうだよね。僕びっくりしちゃったよ。じゃあやっぱりこの人は友達だったんだね?それとももしかして彼氏だったりするの?」
「そんなわけないでしょこんなゴミクんんっ!お姉ちゃんはアイドルだから今は恋愛とかしてる余裕ないの。この人は同じ学校の友達。ね?一ノ瀬くん」
などと聞いたこともない話し方で一ノ瀬君などと背中がかゆくなる呼び方をしてくる。
「誰だてめえは?あ!分かった!今カメラ回ってんだな!ったくそういうことかよ。おいおい俺もしかして有名人になっちゃう?念願のトイレ関係のCM出れちゃう?」
「出れるかバカが!」
思わずいつもの調子でツッコむ。
「え?」
弟がまた困惑した声を出す。
「あ、ち、違うのかず。これもいつものノリみたいなのだから。この人がボケて私が、お姉ちゃんがツッコむの。漫才みたいな感じだから。ね?」
「ああそういうことかあ!なんかお姉ちゃんすごい別人みたいだね。びっくりした―」
「おいおい今のは準備運動だぞ坊や。ここからが本番だからよく見とけ?お姉ちゃんこんなもんじゃねえからな?いつものキレを見せてやるよ。いくぞ?俺の本気のボケさばいてみろ?」
なんかよくわからんが楽しくなってきたなおい。
「お前ちょっとこっちこい!」
月野がすぐさま近づいてくると俺の襟をつかんで弟から離れた木陰に引っ張って行った。
「おいおい何だよ打ち合わせとかかっこ悪いぞ。アドリブでやるから面白いんだろ」
「黙れてめえは!あたいはお前のアホな発言を漫才みたいなつもりでツッコんだことは一度だってねえよ!弟の手前ああ言っただけだ調子に乗んな!いいかよく聞け?あたいが学校や外でああいうメイクや派手な格好をしていることはファンや事務所の人はもちろん家族も誰も知らない。
あたいが、月花リサがこんな格好してることを知ってるのは荒木と菅原とお前とロリコンだけだ。なんならあたいが家ではこんな感じだってことも荒木も菅原も知らない。いつもお家を出た後に公園とかでメイクして服装変えて、二人と別れた後に家に帰る前にどこかでメイク落として服装も変えて、一応変装もして帰ってる。
あたいがこんな格好したり話し方してるってことは特に弟には絶対にバレたくない。失望されたくないからな。だからその話はするな。あたいはいつもこんな清楚な感じで話してる同級生として接しろ。分かったな?」
「まあ事情は分かったよ。でもなー。どうしよっかなー。俺関係ないしなあ。なんか頼み方も偉そうだしなー。ついぽろっとこぼれちゃいそうだなー」
「くっ。わ、分かったよ。分かりました。お願いします。あたいに協力してください。秘密にしてください」
まるで捕まった女騎士のような表情で屈辱そうにお願いしてくる。
「そうだよね?人の物を頼む時はそういう風にお願いしないとね。で?分かってるよね?俺が何を言いたいのか。ほら。ちゃんと誠意見せてよ。アイドル業界を生きてきたお前ならすぐに分かるだろ?あれだよあれ。恥ずかしいから俺の口から言わせんなよ」
「くっ、くっ。い、言いたいことはわ、分かったよ。で、でも頼む。そういうのは好きな人としたいんだ。あたいはそういうのは結婚してからって決めてるんだ。か、代わりにそのデートとかなら。あ、あたいデートとかしたことないからそっちの初めてあげるから。あたいが全部お金払うから!どうかそれでお願いします」
「バカ野郎そんなもんいるか!何勘違いしてんだてめえは!トイレットペーパーをよこすんだよこういう時はよ!一体事務所で何を学んでんだてめえは!ちょっと可愛いからって調子に乗んじゃねえ!俺をそこらのオタクと一緒にすんじゃねえよこのムッツリスケベが!」
まったくこいつは何様のつもりだ。
「えええええ⁉いやそんな対価聞いたことねえから!てめえが何を言ってんだよ!さっきからお前の言い方がややこしいんだよ!絶対あたい悪くねえからな!アイドル業界でトイレットペーパー重宝してるやつなんかいねえんだよ!お前が異常なんだよ!それに言っとくけどあたいとデートしたいってやつはほんとにたくさんいるからな!ほんとにすごいことだからな!てめえがおかしいんだからな!」
矢継ぎ早でツッコみまくると、顔を赤くしながら、小声で
「て、ていうか初めては結婚してからとか、な、何を恥ずかしいことを言ってるんだあたいは」などと言っていた。
こいつアイドルの顔にお家での顔に、学校での顔にいったいいくつ顔を持ってんだよ。なんか根は乙女なんだろうなって思ってたけどそんな簡単な話じゃなかったな。なんで荒木とか菅原が家まで送ろうとすると嫌がるのかも分かったし。なんというか複雑なやつだ。
「じゃあトイレットペーパーは今度学校で渡すからそれでいいか?後払いだからな?お前の働き次第で値段も決まるからな。働きによっては高いやつを用意する」
「分かったよ。任せとけって」
「ほんとに大丈夫なんだろうな。お前ほど信用できないやつ他にいないぞ」
「そろそろ戻らないとお前の弟が怪しがり始めるぞ」
さっきからずっとこっち見てるし。
「じゃあ一ノ瀬くん。準備はいい?こんな感じで話すからよろしくね?」
「り、リサりん⁉な、何でいつもみたいに僕を罵ってくれないんだ!こんなのリサりんじゃない!僕は認めないぞ!僕のリサりんを返せ!」
もごもごした感じで低い声でキモオタみたいにしゃべってみる。
「てめえふざけんなって言ってんだよ!真面目にやれ!ほんとに大丈夫なんだろうな⁉ていうかてめえこの間はリサりんは僕にこんなこと言わないとか言ってたくせにどっちなんだよ!めんどくせえオタク二人も宿してんじゃねえぞ!」
「前回はアイドルに夢見るタイプの厄介オタクくんで、今回はキツイ口調に興奮するタイプのM豚厄介オタクくんだ。シリーズ化していくから楽しみにしとけ」
「再現度の高いキモオタ使い分けてんじゃねえぞ!キショイシリーズ作んな!要らねえんだよ!」
どうやらリサラブ豚野郎シリーズがお気に召さなかったらしい。最終回はみんなで不可思議なカルテ歌うから楽しみにしとけ。
「最終兵器は義無だ。こいつは他のキモオタとはレベルがちがうぞ」
「誰だよ!」
何だと?義無を知らないだと?
「言っておくがこれはお前のためなんだぞ?ファンの民度が高すぎるとこの先やっていけない。お前は知らないかもしれねえがここはまだ第一ステージなんだぜ?ステップアップしないと次のステージは乗り越えられない。こういうモンスターたちをさばけるようになることでこの先出会うであろうニュークレイジーモンスターたちと戦えるようになるんだ。分かったかルーキーくん」
「てめえは一体誰なんだよ!先輩アイドルかプロデューサーのつもりか⁉第一ステージって何だ!あたいの何を知ってんだ!ていうかあたいはお前以上のクレイジーモンスターを見たことがねえよ!」
などと失礼なことをぬかす。
「おいお前いい加減にしろよ!いい?ほんとに頼んだよ?ふざけないでまじめにやってね?」
弟の視線が気になるのかすぐにまたさっきまでの穏やかなしゃべり方に戻る。はいはい。分かってるよ。絢辻さんは裏表のない素敵な人です。てかこいつこの喋り方になると性格も穏やかになる気がするな。ずっとこの喋り方してくんねえかな。
「ごめんお待たせかず。お姉ちゃんがアイドルってこと知ってる数少ない人だから色々相談に乗ってもらってたんだ。ね?」
俺に向かって相槌をうてと目で合図してくる。
「おおそうそう。俺がしっかり豚のさばき方を教えといたから。どんなタイプの豚でもお姉ちゃんの鞭で一発よ」
「豚?なんでアイドルのことで豚のさばき方教えてもらったの?しかも包丁じゃなくて鞭なの?どういう意味?」
「ち、ちち違うの!ほらあのこれはその―――」
月野が焦って言い訳しようとする。
「そりゃお前豚と鞭とこればSMプレイに決まってんだろ。お前の姉ちゃんは表ではアイドルだけど裏では女王様なんだよ。ちなみにリサビームっていうのは隠語で唾のことだから」
「てめえはほんとに何の話をしてんだよ!マジでぶっ殺すぞ!あたいの弟に頭悪い嘘ばっか教えてんじゃねえぞ!キモオタはもういいんだよ!」
月野が我慢できずに叫ぶ。
「冗談だって。リサビーム(唾)だけは勘弁しろよな」
「リサビームにそんな意味はねえ!キショイ隠語作んな!ていうかお前この前リサビームして欲しがってただろうが!」
「だ、だって僕はリサりんの唾を鞭で叩かれてできた傷跡にぬりぬりして傷を治すのが夢なんだぞお!」
「だからもうキモオタはいいって言ってんだろうが!今までで一番キメぇよ!」
「ほう。この違いに気づいたか?そう。今度はただのM豚オタクじゃなくてさらなる特殊性癖を持ったタイプのモンスターだ。これなら第二ステージも近いぞ」
腕を組んでその腕に片ひじをのっけエア眼鏡をクイクイさせる。
「いい加減にしねえとまじで鞭持ってきてぼこぼこにしばくぞ!このクソオタ製造モンスターが!」
疲れたようでぜえぜえと肩で息をしている。しかし、ツッコむことに必死で弟のことをすっかり忘れていたことに気づき、一気に顔が真っ青になっていく。そしてゆっくりと弟の方を見ると
「お姉ちゃん。僕流石に分かったよ」
ずっと静かに聞いていたようで、小さく、しかしはっきりとそう言った。
「え?カズ?な、何が分かったの?い、今のはその―――」
「誤魔化さなくていいよ。お姉ちゃん、このお兄ちゃんの前だとそういう感じなんだね。お家とか僕の前ではいつも無理してたの?」
月野はバレたショックで目を見開いて固まっている。
「ち、違うの!別に無理したことは一度もないし、お家とかカズの前で演技しているつもりもなくて、わたしは―――」
「大丈夫だよお姉ちゃん。お姉ちゃんの言うこと信じるよ。僕は今のお姉ちゃんを見て、楽しそうでいいなって思ったよ。お姉ちゃんいつもアイドルのお仕事とかで疲れてると思うから、こんなに叫べる人がいてよかった!別に隠さなくてもよかったのに」
月野の弟は月野が懸念していたリアクションとは大きく異なり、笑顔でそう言って見せた。
「か、カズ。失望しないの?お姉ちゃんこんな乱暴なしゃべり方で嫌じゃなかったの?」
「さっき言った通りだよ!お姉ちゃん楽しそうで僕も嬉しかった!でも、僕はいつものお姉ちゃんの方が優しくて好きだけど、僕の前でもそんな感じでもいいんだよ?」
「カズ~。ほんとに良い子なんだから。でもううん。カズの前ではちゃんといつも通りいるからね。ありがとうねカズ。カズはかしこいね」
などと言って抱き合っている。
「おいおい全米が泣いたじゃねえか。よかったな俺のおかげで」
まあ初めからそうやってちゃんとさらけだせばいいのにと思ってたよ。もう一つの一面見たくらいで嫌いになるなんてそんなんじゃ本当の兄弟にはなれないしな。ちょっとふざけたがまあ作戦通りだ。エル・プサイ・コングルー。
「てめえまだいたのかよ。今いい所だから空気読んで帰れよ。ていうかてめえはずっとふざけてただけだろうがよ」
「お姉ちゃん⁉そんなしゃべり方しないってさっき言ったばかりなのに!」
「てめえのお姉ちゃんになった覚えはねえんだよ!キモいから二度と言うんじゃねえ!死ね!ていうかてめえのせいだろうが!」
「でもお姉ちゃんさっきと言ってること違うよ」
月野の弟もやはりいつもの優しいお姉ちゃんが好きなようで、そうこぼす。
「ご、ごめんねカズ!このクソううんっ!この人がちょっとうるさすぎてつい。ちゃんとカズの前ではいつものお姉ちゃんでいるからね」
「うん!ありがとうね。そうだ。そのお兄さんは名前なんて言うの?」
「んー。正直教えたくないんだけど、でもカズ聞きたいの?」
などと月野が言う。なんで教えたくねえんだよ。
「だってお姉ちゃんと仲良しだし僕も仲良くなりたいもん」
「分かったじゃあ名前は教えるけどこの人とはあまり喋らないことが条件だよ?仲良くなったらダメなタイプの人だからね」
「じゃあ一ノ瀬君。この子は私の弟の月野カズ。私に似て顔が整ってるから、将来はイケメンになること間違いない子なんだ。あまり話しかけないでね。十秒以上話すの禁止だから」
などとほざいてくる。
「そうかカズ。よろしくな。俺の知ってるガキはみんなクソガキだが、お前はガキのくせに礼儀正しくていい子そうだから俺が色々教えてやる。いいか?まずは通学路でお腹が痛くなってうんこしたくてたまらなくなった時のための、ケツの穴の閉め方から教えてやる。これはいつか必ず役に立つからな。それに男は辛い時ほどケツの穴をきつくしめて、歯を食いしばって踏ん張んだよ。ポイントはけつ筋だ!」
「もう冗談ばっかり」
ふふといい笑顔で笑いながらカズに見えないように俺の背中を思いっきりつねりあげてくる。
「いだだだだだだだっ!おいつねってる!こいつつねってるぞ!カズ!お姉ちゃんが暴力ふるってる!」
さきほど言われた手前いつもの乱暴な自分を押さえて代わりに指に乗っけている。それ全然抑えられてねえじゃねえか。
「そ、そうなのお姉ちゃん?」
「この人ほんとうに冗談が好きなの。演技上手でしょ?もっと痛がる演技も見たい?」
「ここに月花リサがいますー!暴力ふるってますー!誰か来てくださいー!」
これ以上強くつねられてたまるか。
「おいてめえ!それは卑怯だろうが⁉」
月野が慌てだすが、間の悪いことに通行人は誰もいなかった。
「危ない危ない。カズ。もうこの人はいいでしょ?さっきの続きしようよ。パン残ってる?」
「残ってるよ。でもせっかくだからお兄ちゃんも一緒にあげようよ!お姉ちゃんが仲良くしてる人なんでしょ?」
「か、カズ、それは違くてその。あんまりこの人とは……。ま、まあいいか。でもカズ。一ノ瀬くんは最大十分までだよ?約束できる?」
「分かった!」
など言って指切りしている。
「テレビは最大十分までみたいに言ってんじゃねえぞ!俺は有害物か何かか!」
「当たり前だてめえは歩く教育弊害機器だ!一刻も早く廃棄されろ!」
結局十分だけという期限付きで一緒に餌をあげることが許された。しかし、パンを少し分けてもらい地面にちぎって投げるが―――
「お兄ちゃんのところ一匹も行かないね。こっちはいっぱい来てるのに」
すぐ近くの月野兄弟のところにすべての鳩が集まり、そのすぐ隣の俺の方は閑古鳥が鳴いていた。
「やっぱり動物は本能で近寄ったらいけない人間を判別できるんだね。パンもったいないから自分で拾って食べたら?」
などと月野がぬかす。こいつさっきからちゃんと頑張っておしとやかに話そうとしてやがる。まだ慣れないため違和感を感じるな。
「食えるか!ていうかやかましいわ!動物ごときには俺の偉大さは分からねえんだよ!それに鳩は鳴かねえが代わりに閑古鳥が鳴いてるから別にいいんだよ。なんならこっちの鳥は孤高でかっこいいタイプだから。お前ら鳩どもと違って群れないいわばソロだから。キリトだから」
「閑古鳥が鳴くってただの比喩なの。孤高とかソロとかポジティブなワードで表してもその閑古鳥はいないって意味だから一じゃなくてゼロだから。ゼロはどこまで行ってもゼロだからソロにはなれないんだって教えてきてくれる?」
などと優しくカズに説明している。
「おいおいなんだその脆弱なツッコミは。もっと腹から声出せよ。いつもの勢いはどうした。いつもはもっと山姥みたいな顔で関西のおばちゃんみたいにツッコんでるだろうが」
「てめえそれ以上余計な事言ったらてめえの残基をゼロにするぞおらあ!」
ちょっと煽ったらすぐいつもの感じに戻る。今時の小学生がヤマンバメイクなんか知ってるわけねえだろうが。俺が知ってんのもおかしいわ。ていうかやってるやつが一番おかしいわ。あれとっくに絶滅しただろ。ガラケーと一緒に死んだんじゃないの?なんで令和にまだ黒ギャルが生息してんだよ。
すると突然、俺たちの様子を近くで見ていたおじさんが声をかけてきた。
「君。おじさんは米屋をやってて虫がついた形の悪い米を鳩にあげてるんだけど、君もやってみるかい?鳩は米が好きだから寄ってくると思うよ」
「へえ。いいんすか?ありがとうございます。やってみます」
「鳩寄ってくるといいね」
おじさんは急いでいるのか米の入った袋を渡すとそのまま帰って行った。いいおじさんもいたもんだ。
「おいおいお前らパンとかまじ?そんなもんじゃ腹は膨れねえぞ?時代は米なんだよ。腹持ちがいいのはどっちかって話よね」
「米もらった瞬間調子乗り出した。カズはあんな大人になったらダメだからね?」
しかし、米の入った袋を持ち上げた瞬間、サッカーボールが飛んできて、中身がぶちまけられ、俺は頭から米をかぶった。その瞬間、さっきまで見向きもしなかった鳩どもが何十匹と一斉に襲い掛かってきた。
「うおおおおお!覆いかぶさるんじゃねえ!おい息ができねえ!いでででででっ!おいやめろつつくな!」
すべての米を食らいつくしそれでもなお俺に群がってくる。
「おい離れろ!服が破けるだろうがっ!」
体をジタバタさせて鳩どもを追い払う。みんな上の電線や木に逃げて行った。
「……」
「お兄ちゃん大丈夫?」
月野が可哀想なやつを見る目で、カズが心配そうな顔で見てくる。服はところどころほつれ、髪やシャツ、ズボンのすべてに羽がついていた。
「くそ鳥どもがあ!てめえら全員腹下して下痢になれ!」
そう叫んだ次の瞬間、頭上から大量の鳩の糞がぼとぼと落ちてきて頭はもちろん全身にかかる。
「……」
「もともと下痢ですってかあ⁉即レスすんじゃねえよ!てめえらなんか平和のシンボルじゃねえ!トイレのシンボルだぼけえ!」
俺の叫びが公園に空しくこだまする。
「お、お兄ちゃん大丈夫?」
「お前大丈夫か?白いペンキかぶったみたいになってるけど」
「大丈夫なわけあるか!そういえば!俺にサッカーボールを当てやがったのは誰だ⁉もとはと言えばそいつがすべての元凶だ!」
俺は八つ当たりするためにそいつを探すが。
「さっき逃げてったよ。遊んでた子供だったけど」
「り、リサりーん!あいつらが僕をい、いじめてくるんだあ!抱きしめてよしよししてよお!慰めてくれよお!」
このイライラを誰にもぶつけられない俺は月野にすべてぶつけることにした。
「きゃああああああ!近寄んなあ!てめえ臭いんだよ!」
近づいてきた俺に悲鳴を上げながら逃げていく。
「カズ!おいで!もう帰ろう!もう十分経ったでしょ!これ以上は教育に悪いからダメよ!もう一ノ瀬くんの家の子とは遊んじゃダメだからね!」
などと言ってカズを連れえ逃げるように去って行った。残された俺は水道の水で顔だけ洗って家に帰ることにした。帰り道はすれ違った人全員に三度見くらいされた。風呂に入りながら汚れた服を手洗いするはめになった。鳥の糞はさすがに初めてだったが、訓練された俺にはうんこを落とすのはさほど難しくはなかった。うんこ?効かないよ。生まれた時から踏んでるから。




