17話 「ノンデリモンスター英一」
五月も半ばにさしかかり暖かくなってきた。春も過ぎ去り窓の外からやってくるそよ風に季節の移ろいを感じながら東棟から西棟への廊下を歩く。この廊下から見える窓の外の景色も見慣れたものとなってきた。西棟のおなじみの部室に着きドアをスライドさせると中にはもう三人ともそろっていた。
「うーっす」
軽く挨拶する。
「ようー。遅かったな」
蓮が椅子を後ろに傾かせながら俺の方に顔を向ける。
「まあな」
蓮の隣に腰かける。向かいで弁当を食べていた二夕見がこちらに視線を向けてきた。
「あんた今日も授業中トイレ行ってたでしょ」
などと言ってジト目を向けてくる。
「よく気付いたな。ちなみに今も行ってきた」
「最悪」
「あのみんなが授業受けてるのに俺だけ自由に廊下歩いてる時の解放感と優越感たまらん」
「分かるわ」
蓮がうんうんと頷く。
「なにそれ。意味わかんないし」
二夕見が機嫌が悪そうな声を出す。まあ俺と話すときはいつもこうだといえばこうだが。
「てかほとんどのやつが授業に集中してこっちに気づかないのに俺に気づくとかお前俺のこと好きすぎだろ」
「はー?バカじゃないの?あんたそれ普通に気持ち悪いからやめた方がいいわよ」
真顔でムリムリと手を動かす。
「マジレスやめろ」
「ていうか私食事中なんですけど!最悪。食欲なくなってきたんだけど」
そう言って睨みつけてくる。
「お前からトイレの話始めたからな?」
「一番はあんたが部室に入って来たのが原因よ」
「俺が部室に入って来たから食欲なくなったってか?」
「そうよ」
当然でしょと言わんばかりに真っ直ぐ見つめ返す。
「あ?お前あんまり俺を怒らせない方がいいぞ?俺レベルになると手のひらで排泄音を奏でることも可能なんだぞ?」
手のひらを重ねて隙間を作ることで空気が圧迫されたり突然入り込んだりする音で「ぷっ」と鳴らす高等テクニックである。嫌いなやつと一緒にいる時に鳴らして「おい〇〇おならすんなよ~」という感じの使い方をするよ。
「きもすぎ」
「てかなんでこんな時間に飯食ってるんだよ」
今放課後だぞ。
「お昼はお腹痛くて食欲なかったのよ」
あまり言いたくなさそうに目を背ける。
「へー?お腹痛かったんだー?ふーん?」
「何よ」
「いやー?いっつも人に汚い汚い言ってる割には君もそうだったんだねー?」
「言っておくけどあんたとは違うから」
そう言って鼻を鳴らす。
「あ?じゃあなんでお腹痛かったんだよ」
「……」
しかしその問いに黙って目を伏せる。
「なんだよ?まだお腹痛えのか?」
「…べつに。分かんないならいいわよ」
答えにくそうに口ごもる。
「あ?何だ言えよ。お腹壊した以外にお腹痛くなることあんのかよ」
「……」
今度は気まずそうに目を動かす。
「何だ無視か?」
「しつこいわね」
「まあ腹痛くなる原因なんて一つしかないよなー」
俺の言葉に重々しく口を開いた。
「……あの日なのよ」
少し気恥しそうにつぶやいた。
「あの日ってなんだよ。はっきり言えよ」
何を言ってるんだこいつは。
「おいこいつ直球で聞きに行ったんやけど。エグすぎ。止めたれ蓮太郎」
蓮浦が信じられない顔でこっちを見る。
「任せときな。まったくお子ちゃまやなお前は。いいか?俺たちは普通の人とは違うんや。俺たちは百戦錬磨の強者や。せやから俺たちには笑ってすませられることでも普通の人にとっては話したくないくらいトラウマになることもある。それくらいきつめの下痢を体験したんや」
「なんだそうだったのか悪かったな。そんなにきつい腹痛を伴う下痢を経験したとは。俺は終わることのない苦痛の日々に初心を忘れてしまっていたようだ」
それは確かに悪いことをしたな。
「こいつらアホしかおらんな」
「はあ。別に違うんだけどもうそれでい――」
蓮浦は呆れて、二夕見が溜息をつく。
「ていうことは⁉はいお前も俺たちの仲間入りこんにちは!いっつも俺のこと汚いとか言ってる割にお前もお腹下したー!」
「あのね。女の子はねあんたたち下品な猿どもと違って色々大変なのよ。あんたと一緒にしないで。そんなんじゃないから」
二夕見がうんこしたくせに余裕ぶって返す。
「んー?じゃあなんなのかなー?うんこじゃなかったらなんなのかなー?言ってみろ?違うのなら言ってみろ?」
「う、だ、だから、それは」
言いずらそうに言葉に詰まる。
「はい言えないー!なぜなら俺と同じだからー!はいどんまい!うんこ同盟結成どーん!はいお腹さすさすー」
「キーッ!こいつキモすぎ!断言するわ。あんた一生彼女できないから!こんなデリカシーないやつ生まれて初めて見たわ!」
さっきまでの余裕は消え失せ椅子から腰を浮かせて前のめる。
「おい!大丈夫か!しっかりしろ!こういう時はお腹を温めるんだ!トイレットペーパ―は足りてるか⁉毛布はいるかー⁉」
「だから違うって言ってるでしょ!キモいから死になさいよ!」
「死にましぇーん。僕は死にましぇーん」
「もうこいつキショイから無視して弁当食べよ」
椅子に座り直すと再び弁当を食べようとする。
「おっ。から揚げ食べないのか?もーらいっと」
二夕見の弁当に手を伸ばすと素手でから揚げを奪い取る。
「ああっ⁉それ最後に食べようと思って残してたのに!なんてことすんのよ!このくず!」
「あ、わり。代わりにトイレットペーパーやるから怒るなよ」
「いるかあ!違うって言ってんでしょうが!鞄から出すな気持ち悪いわね!あんた鞄に何入れてのよ!」
二夕見がドン引きする。
「てかあんた汚い手で人の弁当箱に手突っ込まないでよバッチイわね」
「よかったな。俺はトイレの後は綺麗に手を洗う派だから大丈夫だ」
「まったく」
俺を無視して弁当を食べようとする。
「え?しおそれ食べるん?」
側で見ていた蓮浦が驚いた顔で二夕見を見つめる。
「へ?だって流石に捨てるわけにはいかないでしょ?」
「そうやけど。で、でもいつもやったら絶対捨てて…」
「近くにいても感染しない菌なら大丈夫でしょ。もう抗体もできてると思うし」
「俺は病原体か何かか?」
その時ドアがノックされ、女の人の声がした。
「邪魔するぞー。みんな調子はどうだ?」
河瀬先生だった。
「あ、先生こんにちは」
「ああ二夕見。今日は暇なようだな」
「先生が送り込んでくる問題児が今日はいないんでね。それにしても先生俺たちにガキの問題押し付けすぎでしょ。ここは保育園じゃないんすよ」
天ヶ崎も含めてね。
「なーにがガキだ。君だって私からすればクソガキだ。それに随分この部活に染まったような物言いだな。私も嬉しいよ」
そう言って微笑んでくる。
「別にそんなんじゃないすよ。俺は本来忙しいんですよ」
「帰宅部だった君が一体何に忙しいんだ?またバイトでも始めたのか?」
「違いますよ。未知の秘境を開拓するのに忙しいんですよ。この町にはまだ知られていない穴場スポットがいくつもあると思うんでね」
「何あんた釣りでも始めたの?」
二夕見がまっすぐな瞳で見つめてくる。
「ばっかちげえよ。俺のトイレマップを更新していくのさ。どこで戦いが始まるのかなんて誰にも分からねえ。この不安定な世界で生き残るためには必要なことだ。いついかなる場所でも戦いに備え、最適な環境で臨むことで心理的有利な状態で戦えるということだ。環境一つで戦況は一気に変わるからな」
トイレ探索マジ大事。
「キモ。真面目に聞いて損した」
「はあ。そんなつまらんことに青春を使ってしまってしまうことにならなくて本当に良かったよ」
河瀬先生が大きくため息をつく。
「つまらんこととはなんだ!こっちは命が懸かっているんだぞ!」
「そんなことより君たちに朗報があるぞ」
無視して続ける。
「何です?ようやく校内のトイレを石鹸からハンドソープに替える気になったんですか?大体職員専用トイレだけハンドソープを置いているというのが気に入らん」
そろそろ職員専用トイレのハンドソープと俺たちが使うトイレの黄ばんだ汚い固形石鹸を交換してやるぞ。
「ごちゃごちゃうるさいぞ一ノ瀬。勝手に職員専用トイレに入るなお前は。というかそんなつまらんことではない。君たちはこの半月間まあそれなりに懸命に福祉活動に取り組んだ。だから今日で任期終了だ」
そう言って「よく頑張った」と頭を撫でようとしてきたので避けた。
「まじか!何や一生ここでボランティアするかと思っとったわ」
「え?嘘。もうこの部活退部⁉トイレ探索部でも作るか⁉」
俺たちのテンションが上がる。
「ちょっ、先生!そしたら私たちはどうなるの⁉この部活廃部になるの⁉」
二夕見が焦り出す。
「あれ?なんだ二夕見。最初は一ノ瀬が入るの嫌がってたじゃないか」
「ぐ。べ、別に今だって嫌だし」
悔しそうな恥ずかしそうな表情をして顔を背ける。となりの蓮浦が少し寂しそうな表情を浮かべているように見えた。
「まあ最後まで話を聞きなさい。これで、仮入部期間は終わりということだ」
「「は?」」
俺と蓮の声が重なる。
「今日からは正式に学校福祉部の部員だ。おめでとう二人とも」
「「はああ⁉」」
「何すかそれ!どういうことだよ!上げて下げやがって!」
ふざけんな!
「ていうか俺たちなんで入部してなかったん⁉」
「だって君たち入部届出してなかっただろ?」
「「「あ」」
そういえば、書いていなかった。
「そういうことだ。入部届持って来たから。これで体験期間は終わりだ。明日からはより精を出して頑張るように」
「もー先生驚かせないでよー。意地悪だなー」
二夕見が頬を膨らませる。
「ははは。すまない。ちょっと驚かせたくてな」
「あー性格わる先生。こういうところがけっこn――」
「こういうところが何だ一ノ瀬?言ってみろ」
そう言って笑顔で微笑んでくる。こわ。
「いやあのこういうお茶目ところが異性に人気な理由なんだろうなあって。ね」
「そうかそうか。そう褒めるな一ノ瀬。これからも君はご贔屓にさせていただくからよろしくな」
「たーくさん構ってあげるからな~」などとニッコニコで言ってくる。
「いやとんでもないっす!俺なんか気にかけてないで自分の婚期を気にした方がいい――」
「ふんっ!」
「あいたあ!」
河瀬先生から特上の拳骨を食らう。
「なんでまた煽んねん。そらそうなるやろ」
「学習しないわね」
二夕見と蓮浦が呆れている。
「それより二人とも早く入部届を書きなさい。私もそろそろ戻るから」
というわけで俺の体験入部期間は終わり、これからこの部に正式に入部することになったのだった。あの日授業をさぼらずにおとなしく教室に戻っていたら未来は変わっていたのだろうか。否。俺が屋上に行かなかったところで蓮はどうせ行っていたし、遅かれ早かれどこかでやらかしてこの部活に入れられいたのだろう。
と言ってもこの部活は新しい暇つぶしになっているし、こうやってだべる場所ができたのも悪くはない。口うるさい女がいるのが玉に瑕だが部屋の掃除も頻繁にやっているみたいだし珍しい掃除機だと思えば何とかなるだろう。
とにかくこうして俺の新しい日常は始まったのだった。




