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5話

 時刻は二十三時。青少年育成条例に則って未成年の夜間外出が認められない時間帯。


 綾は薄暗くも賑やかなアルコールの香る部屋に居た。その手にはキューが一本。傍にはビリヤード台。部屋の側面にはカウンターテーブルが置かれ、その向こう側にはベストを着たバーテンダー。他にも幾つかの台が置かれ、その周辺には程々に酔った大人が集まっている。


 綾は『プールバー』と呼ばれる、ビリヤード設備のある都内某所のバーを訪れていた。


 無論、一人で夜中にこんな場所に来るほど悪い子供ではないと自負をしている。車を出してくれた同行者が一人居るのだ。その人物――彼女が狙いすました一打を白球に打ち込むと、連鎖するように幾つかの球がポケットから落ちていった。しかし肝心のナンバーが落ちない。


 それを見届けた彼女は、ふぅ、と溜息を吐いて綾を振り返る。


「私はビリヤードのプロになるべきかもしれないね」

「アンタはプロを舐めすぎですよ。真昼先輩」


 八重畑真昼は、一言で言うと『掴みどころがないくせによく目立つ女性』であった。


 彼女は綾と同じ高校に通う三年生だ。でありながら、無造作なショートヘアを金色に染め、ブランドもののサングラスを付けている。ラフな格好を好み、今日はデニムのズボンに襟付きシャツを一枚といった具合。耳にはピアス。上背で細身ながらも体幹を感じさせる佇まいで、運動神経の類は極めて良い。現に、『ビリヤードをやってみたい』という理由で同じく初心者の綾を呼び出しておきながら、あっという間に上達をして大量の球を落とし始めたのだから。


 ドヤ顔で振り返った彼女を呆れた目で眺めた綾は、交代し、キューを構えながらぼやく。


「つーか、なんでバーに来る必要があったんですか。年齢バレたら追い出されますよ」


 打ち込んだキューは手球の側面を掠り、衝突角とは別方向に的球を飛ばして穴に落とす。


「漫画喫茶だと年齢確認があるからね。君を呼ぶならこっちじゃないと」

「昼間に一人で漫画喫茶行けばよかったじゃないですか。学校行ってないんだから」

「おいおい、寂しいこと言うなよぉ。私と君の仲だろぉ? 夜遊び同盟じゃんか」

「先輩と違って私は真っ当に登校しているので、明日も朝早くから授業があるんです」

「いやあ、善良な担任に当たると大変だねぇ」


 真昼はジンジャーエールを片手に揺らしながら嘲笑を浮かべて見せた。


 普通は真逆――悪辣な担任に当たる方が御免だろうが、彼女の場合は悪い教師に当たったが故に訪れた自由を、今、こうして謳歌しているのだから否定しづらい。


「今どき、不当な理由で呼び出したり嫌がらせ目的で課題を増やしたりなんて汚職をする教師もそうそう居ませんよ。先輩の二年時の担任――誰だっけ、その何とか先生が例外です」

「国塚先生だね。いやあ、彼女はとても人間らしい教師だった。惜しい人を失ったよ」

「アンタが証拠を取り揃えて告発したんでしょうが。正当な行為ですけども」

「本当は私もそんなことはしたくなかったんだよ。彼女は教師として『成績優秀でありながら進学せず適当に過ごす』なんて言い出した学生を救おうとしていたんだもの。ああ、惜しい。でもね、校長には事実を隠すなんて情けないやり方されるとこっちも萎えちゃうのさ」


 綾は呆れ果て、悲しそうに肩を竦めて呟く真昼の手元からジンジャーエールを引っ手繰る。半分ほど残っているそれを一口に飲み干してから返し、肺をトントンと叩いて言い返す。


「……で、沈黙の対価に貰った三年生全日公休の気分はどうですか?」

「最高だね。昼間は適当なデスクワークで金稼ぎ、夜は君と夜遊び。幸せだよ」

「いつの間にかピアスまで開けちゃって。もう絶対に学校来る気無いじゃないですか」

「いいだろ、ピアス。似合ってる?」


 八重畑が自分の左耳を撫でながらサングラス越しに綾を見るから、綾は押し黙って彼女の整った容姿を眺める。相変わらず綺麗な顔立ちをしていた。


「腹立たしいくらい似合ってますね。幾らしたんですか? それ」

「五万くらいかな。君もするときは言いなよ、そっちの穴も開けてあげるから」


 微笑を浮かべて含むようなことを言う真昼。綾は昔の関係を少し思い出した後、「はいはい」と適当に流して次の再びショットを構える。


 そうして交互にショットを打っていき、間もなくゲームが終了して一区切りがつく。


 近くに置いてあるソファに横並びに座ると、真昼が欠伸しながら脚を組んで綾を横目に見た。


「――それで、最近、学校の調子はどう?」

「まるで家族みたいなことを聞いてきますね。特に何も――」


 何かあったと言えば有季との関係くらいだが、他人に話すようなことではないだろう。そう思い一度は口を噤んだ綾だったが、思い直し、些か真剣な目を真昼へ向けた。


「クラスメイトの話なんですが」




「なるほど。まあ……人間、誰しも苦労を抱えているもんだ」


 個人を特定できないように配慮しつつ話せる範囲を要約して語ると、真昼は腕を組んで、似合わない真面目な表情で有季の件をそう表現した。薄暗い仄かな暖色の照明が彼女の金髪に遮られ、影が落ちた上でサングラスに隠された双眸は吸い込まれるような闇を孕んでいる。


「先輩が言うと他人事って感じが強くなりますね」

「実際、他人事だもの。他人事を分かったような気になる奴、嫌じゃない?」

「私も比較的そっち側ですけど、『共感』の本質って『他人事の理解』だとも思うんですよ」

「まるで当事者のように『辛いよね。分かるよ』って? はは、そりゃ不誠実だろ。共感はね、自分も近しい立場に立っているからこそ言葉に重みを持つワケさ。実感を持たない共感を同情と呼ぶ。でも、同情も悪い言葉に解釈されがちだけどね、言うほど酷いものじゃないよ」


 真昼はソファの背もたれに肘を置いて肩を揺すり、軽薄に笑う。綾は彼女の黒いサングラスとは対照的な白い目を向けつつも、「確かに、同情はできるけど共感は難しいですね」と賛同した。他人事であることは不誠実であるような気がしたが、実際は逆かもしれない。


 すると真昼はパチンと指を鳴らして綾を指す。


「そう。同情なら私もできるね。私だったら誰かの敷いたレールなんて走りたくはない。人生は列車じゃなくて車であるべきだよ。誰かの舗装した道を走ってもいいし、荒いけれども自らの望んだ道を走ってもいい。後者はドロップアウトの可能性もあるけれど、時短になるかもしれないし、まだ誰も到達できていない場所に行けるかもしれない。大事なのは運転手が自分か、他人か。彼女は自分の人生のハンドルを他人に握らせてしまっている訳だよ」


 的球がポケットに落ちる音が響く。氷がグラスを叩く音。グラスの底が木製テーブルと擦れ合う音。喧騒。綾はそこに紛れ込ませるように返す。


「不遜な同情かもしれませんが、何とかしてやりたいとは思うんですよ」


 漠然と抱いていた感情を、綾はそう言語化した。すると真昼は、そんな綾をサングラスに隠れた目で眩しそうに眺める。そして視線を前に戻して、そっと呟くように自身の見解を語る。


「――どうにかしたいなら、やり方は考えておいた方がいいよ」


 真昼はサングラスを外して畳んで綺麗な目を晒し、それを胸ポケットに入れる。長い睫毛の内側にある、吸い込まれるようなその瞳に見惚れながら綾はその言葉の意を訊く。


「やり方?」


 真昼は軽薄な笑みを浮かべて指を二本、三本と立てた。


「その子は医者になるのが嫌なのか、それとも他人に自分の人生を決められるのが嫌なのか。或いはその両方か――無理に手を引っ張って助け出すのは、楽な道を押し付けるのと同義だからね。君の言う通り、大事なのは本人の意思だ」


 そして真昼は腕を組み、まだ顔も名前も知らない有季を想って微かな笑みを浮かべた。


「だから、やり方を考える。その子が自分で道を選べるように」


 その話には学ぶべきところが多かった。


 『助ける』とは多くの場合、手を引くことだと解釈されやすい。しかし、救いを与えることが必ずしも正解だとは限らないのだろう。自分で自分を助けさせることによって救われる感情もこの世には存在して、そういった人間を助けたいと思った人間の取れる行動は道標を示すことだけなのかもしれない。やはり――自分よりも幾らかは視野が広く知見を持つ先輩だ。


「……たまに真面目なことを言うと魅力的に見えてしまいますね」


 すると真昼はおどけた表情で綾に肩を組んで、もう片方の手を脚に乗せてくる。


「復縁ならいつでも歓迎するよ」

「今のところは間に合ってます」

「そう、残念」


 彼女はすっと両手を挙げて離れ、寂し気に笑う。綾は、複雑な表情でそれを見送った後、誤魔化すようにローテーブルのドリンクに手を伸ばす。


 倣うように真昼もそれを取り、膝に頬杖を突いた。


「しかし――君からすれば、その子は幾らか疎ましい存在だと思ったんだけどね」


 ぽつりと、水を滴らせるように真昼はそんな指摘をした。


 彼女は推し量るような流し目を綾に向け、そして微かに表情を強張らせた綾を見て確信の笑みを宿す。「はは、その顔……思うところはあったんだ」と見透かしてくるから、やはり少しやりづらいなと思いながら、綾は誤魔化すように溜息を吐き出した。


「疎ましいとまでは思いませんよ。確かに少し、考えることはありましたけど。でもそれは、私の問題であって彼女に対して向けるものじゃないので」

「相変わらず真面目だねえ。不本意に夢を手放した人間からすれば、多くを与えられながらもそこから逃げ出そうとする人間は、贅沢に見えるんじゃない?」


 まるで綾の本性を刺激して茶化すような言い回しだが、彼女のことだ。きっと毒を吐き出す機会を作ろうなどと画策しているのだろう。だから、不要だと視線で伝える。


「気を遣ってくれるのは有難いですけど、本当に気にしてませんよ。もう、終わったことですし――それがあったから先輩にも会えた。仰る通り、人には人の悩みがある。勝手に自己投影をして腹を立てるほど私は自分を矮小だとは思ってませんので」


 きっぱりと言い切ると、「そうかい」と賛辞を贈るように瞑目して肩を竦めた。


「やっぱり君は変わらないね。何をやっていても、君は凄く君らしいままだ」

「誉め言葉として受け取っておきます」


 意図は分からないが自己評価は高いのでそう解釈しておくと「褒めてるよ」と真昼は薄笑いを浮かべ、サングラスを付ける。綾はどういう心中か読み切れないまま「どうも」と謝意を伝え、そっとグラスに口を付けた。


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