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13話

「見苦しいところをお見せしました。私が宇宙人だったら記憶消失ビームを撃ってます」


 五分程度で泣き止んだ彼女を連れ、綾は駅までの帰路を引き続いて進んでいた。


 道中、目元を真っ赤に腫らした咲良が背後から指の拳銃を突き付けてきた。ホールドアップ。


「そんなビームがあるなら私以外の二年生全員に撃ってくれ。そしたら私が学年一位だ」

「人を落として自分を持ち上げようとするの、止めた方が良いですよ」

「それお前が言うの?」


 綾が律義にツッコミを入れると、「んふふ」と上機嫌な笑い声が背中越しに聞こえる。どうやら幾らか調子は取り戻したようで、一安心である。


 間もなく、二人の進行方向に駅が見えてきた。


 点滅する青信号を小走りに渡って間一髪。エスカレーターに乗って改札前に着き、綾は交通系ICカードが入っているカバー付きスマートフォンを取り出して咲良を振り返る。


「常磐、駅はどっち方面?」

「上り側です」

「ああ、じゃあここで解散か」


 折角本心を聞くことができたのだから、もう少し話をしておきたかったというのが綾の本心だ。しかし、ここで引き留めてどこかに連れ込んでまで話をするべきか悩ましいところであった。連れていくような場所も関係も無い。急いで答えを出すようなものでもなし、多少ではあるものの距離も縮まったのだから、彼女の気持ちが落ち着くのを待って別日に話し合えばいい。


 綾は改札を抜けて下り側の階段へと足を向けつつ、「じゃ――」と半身を振り返って咲良に別れを告げようとする。しかし、振り返ると目の前に咲良の泣き腫らした顔があった。


 彼女はふてぶてしい表情で真後ろにピッタリと張り付いたかと思うと、こう言い放つ。


「こんな可愛い私を泣かせてそのまま帰らせる気ですか」


 綾は思わず半眼を返した。何を言うのだ、この後輩は。


「人聞きが悪い事を言うなよ。……何、どこかカフェでも連れていけって?」

「え、もしかして私のこと狙ってます? ごめんなさい、先輩のことは友達以上には……」

「お前はほんと――いや、まあ、泣いてるよりはそっちのが良いけどさ」


 咲良は自分の身体を抱きながら警戒するような素振りを見せるから、綾は苦笑を返す。笑顔は生意気だが可愛らしい。それに、友達未満から友達に発展したのは喜ぶべきだろうか。


「じゃあ、ウチでも来る?」


 今日のシフトは夜からだ。家で彼女をもてなすくらいなら、然して苦にはならない。


 そう思って提案した綾だったが、存外に咲良は初心だった。何をどう勘違いしたか、眉をぐっと顰め、微かに頬を紅潮させながら「はぁ?」と上擦った声を出した。思いがけず大きなリアクションを受けた綾の方が面食らい、唇を尖らせて瞬きをする。


「いや、だから。ウチで寛ぐかって話。今日は親も帰ってこないし」


 『気にせず寛いでいいよ』の意だったが、咲良は身構えながら警戒心を引き上げ、まるで捕食者を前にした小動物の如く綾を睨んでいる。どうにも誤解をされているような気がして仕方が無かったが、下手に言葉を尽くすほど墓穴を掘りそうで、綾は一度口を噤んでよく考える。


 そして――有季のことを思い出し、我が家の観光名所が頭に浮かんだ。


「えっと、そう。ウチにアダルトグッズがいっぱい置いてあってさ」


 周囲に迷惑をかけない小声で叫ばれた「変態!」の罵声も致し方が無かった。




「それならそうと早く言ってくださいよ。誰が聞いても身体目当てでしたよ、さっきの」

「悪かったって。初めて同性の友達を自分から誘ったんだよ。家に」


 綾がそう弁明をすると、咲良は満更でもない様子で「ふぅん」と追及の手を緩めた。


 階段を下りてプラットフォームに降りた二人は、人気が少ないそこを並んで歩く。やや冷たい風に夏を忘れながら電光掲示板を見ると、ちょうど前の列車が去った直後だった。


 綾は一年強の経験則からこの時間帯で座れそうな車両が止まる辺りに足を向けて歩き出す。すると、そんな綾の裾を咲良が摘まんで引く。「ん」と振り返ると咲良は自販機を指していた。


 思わず呆れた顔をするも、咲良は目を輝かせて「ん」と再び自販機を指した。


「奢れってこと? ただでさえこの前、私からココアを奪った癖に?」

「アレはおつかいも満足にできない先輩に非があります。今回のはぁ……えっと、私を泣かせた分と……あと、後輩をエログッズが置いてある自宅に誘った分」

「おい、人聞きが悪すぎるだろ。何だよそれ、全部事実じゃねえか」


 言い終える前に綾はスマートフォンを取り出し、電子マネーでそれを購入することにした。


 後輩に無心され続けるのも何とも情けない話だが、何だかんだ、この前の飲み物代は彼女が多めに出したのだから、その分の埋め合わせと考えよう。「何がいい?」と綾が先にカードをタッチしておくと、「ココア!」と、彼女は先日綾が買ったものと同じ銘柄を押した。


 ガタン、と落ちたそれを「ご馳走様です」と咲良が笑って取り出す。


 それを見た綾の舌もすっかり甘いものを欲し始めたから、自分もココアを買おうと先にボタンを押下する。次いで電子マネーを再びタッチしようとするも、先んじて、咲良が自身の交通系電子マネーを挟んだ。「あ」と綾が言うより早く、音が鳴って同じココアが落ちてくる。


 少々呆ける綾の前で咲良がそれを取り出し、笑いながら差し出してきた。


「先輩の分は私が買ってあげます。感謝してくださいね」


 何の意味があったのか。と、無粋なことを言う舌は持っていない。中々可愛らしいことをしてくれるではないかと相好を崩した綾は「ありがと。ご馳走様」とそれを受け取った。


 二人は黄色い線の内側で横並びに立って電車を待つ。段々と赤みを帯び始めていく青空とその中を泳ぐ雲の群れを眺め、遠くを走る車が生んだ風を顔に浴びながら静かな時間を過ごす。


 しかし、ほんの少し前までは剣呑な間柄だったというのに、人生何が起きるか分からないものである。スチールのキャップを捻って湯気の立つココアを舌で味わい、一息。


 しかし、関係は改善したところで彼女の問題は何一つ解決していない。


 咲良は被服の道を完全に断念することはできておらず、そして同時に、母親の想いを蔑ろに無心で突き進むこともできないだろう。彼女の母親もきっと、娘の選択を肯定したい気持ちがあったとしても、安定した選択肢を安易に手放すことはできないはずだ。


 これが敵対関係であったり完全に内面の問題であれば話は単純だが、お互いがお互いに対して愛情を持っているからこそ、決断は慎重でなければならない。どう折り合いを付けるべきか――蓋を閉めたココアをポケットに突っ込んだ綾は、腕を組んで溜息をこぼす。


 すると、真横の咲良がジッとこちらを見ていることに気付く。


「どうしたの?」

「何考えてたんですか?」

「晩飯の献立」

「なんだ、私のことじゃないんですね」


 咲良が白々しく悲しそうな顔を作るから、綾は鼻で笑って目を瞑る。


「…………私の家は片親でね。で、自慢じゃないけど父親と滅茶苦茶仲が良い。今は割と放任的な感じはあるけど、親父は私のやりたいことを大体肯定してくれるし、失敗も含めて私の人生だって、挑戦から失敗まで見守ってくれる。我ながら、恵まれた環境だと思うよ」


 「素敵ですね」と羨むように、微笑んだ咲良が本心から呟いた。


「でも、それって致命的な失敗をしたことがないからできることなのかも、って思った」


 咲良が口を引き結んで真剣な眼差しを送ってくるから、そこに続きを話す。


「ウチは不倫で離婚した母親が水商売を十代からやっててさ。慰謝料がもう信じられない金額残ってて、だから、金銭で解決できる問題はどうにかなるっていう前提があって、そうじゃなかったら私は色々な挑戦ができなかったと思う。私の現実は少し、下駄を履いている」


 綾は鬱屈とした感情を追い払うように後ろ髪を掻いて嘆いた。


「現実的な視点と、見た夢の折り合いを付けるのって難しいよね」


 咲良はしばらく噛み締めるように静聴していたかと思うと、やがて微かに相好を崩す。そして、まだ腫れの残る目を細めて線路を見詰め、そこに淡く照る青空に想いを馳せた。


「私は正直……まだ、自分がファッションデザイナーになっていいのか分からないし、お母さんの言う通りに、安定した、潰しの効く道を進み続けるのが無難かも、とも思ってます」


 そして咲良はお腹の前で手を組み、吹っ切れたように笑った。


「でも、今までの自分のやり方が間違っていたのは認めます。分かっていたけど、でも、うん。やっと、ちゃんと認められるような気がします――自分がどうしようもない馬鹿だって。それでもって、お母さんの言葉で悩んでも良いんだって思えるようになりました。だから、」


 会った時の取り繕ったようなあざとい笑みは消え、何度か目にした苦悶と葛藤の入り混じる悲痛な表情も消え、そこには彼女の可愛らしく澄んだ顔が残っていた。


「言葉にしてくれてありがとうございます。スッキリしました」


 綾は自分が傲慢な人間ではないかと危惧し続けていた。――正直に言えば、今もだ。


 結局、彼女の力になりたいという考えも、彼女の間違いに対して正答を示してあげようという考えも、自分が正しい人間だと思い込んでいる傲りに端を発する。彼女は綾に謝意を伝えてくれたが、しかし、実のところでは母親を言い負かすための言葉を考えたりだとか、見当違いの思案をしていたりもした。だから、自分が正しく高潔な人間だとは到底思えない。


 だが、それでも。そういう煩わしい考えは全て、今の彼女のお礼で消え去った。


「どういたしまして」




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