9・元婚約者は、無惨に魔獣に襲われる
ざわりと不穏な気配がし、ヴォイドが振り返った――そのときには、もう遅かった。
「ぎゃああああああああああああああああああ!!」
凶暴な魔獣の群れが、ヴォイドに咬みついている。
(……まあ確かに、もう私の加護もないヴォイドがここへ来たら、そうなるか)
私は聖女だからわかっていたのだが、ヴォイドは実は、「魔獣に襲われやすい体質」なのだ。その身から、魔獣が好む匂いを発してしまう特異体質。今まで、私がいたから無事でいられただけ。
聖女である私は、魔獣が近寄れない結界を張ることができる。だから私の傍にさえいれば、彼は安全だったのだ。
離れている間も、私が彼に「これ、おいしいから飲んでね」と私特製の守護薬を渡すことで、彼は私の力に守られていた。守護薬は甘く作ってあるので、ヴォイドは私のことは好きじゃなくても、その味が気に入ったようでちゃんと飲んでくれていた。
だけど彼が10歳のときのあの事件の際は、彼は守護薬を飲み忘れていたらしい。だから他領へから帰ってくる途中の森で、大量の魔獣に襲われたのだ。
その日、私はヴォイドと「俺が帰ってきたら久しぶりに会って、一緒にお茶でも飲もう」と約束していたのに、彼の帰りが遅いから心配して見に行ったら、彼も家族達も瀕死の状態で驚いた。必死で、癒しの力でヴォイド達の命を救ったのだ。
(今までヴォイドは、魔獣のいないゲルニア公爵邸で暮らしていたから、なんとかなっていたけど……)
このオブシディア領は、魔獣の発生源がある土地。こんなところにヴォイドが突っ立っているなんて、野獣の群れに餌を投げ込むようなものである。以前は私が定期的に渡していた守護薬も、もう尽きているだろうし。
「ひぎゃああああああああああああ!! 痛い痛い、痛いぃぃぃっ!!」
そんなわけでヴォイドは今、門を挟んだ私達の目の前で、無惨にも魔獣の群れの餌にされている。
「ユーリアぁぁぁっ! 頼む! 助けっ、助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「――私に縋らない、と、婚約破棄の際におっしゃったではありませんか」
「裸で領地を一周でも、なんでもするからあああああああああああ!」
(あ、約束ちゃんと覚えてたんだ。それはちょっと見てみたいかも)
「ユーリア……まさか、こんな愚か者を助けてやる気か? それはさすがに優しすぎると思うが」
「でも、約束を違えたら裸で領地を一周、とは確かに誓っていたので。それを拝んで差し上げるためなら、助けてあげてもいいかなと思ったのですが」
(あ……でも、アートルム様の前で聖女の力を使うわけにはいかないな)
ヴォイドは多分もうすぐ気を失うので、その後に聖女の力を使えばいい。だけど、アートルム様に私が聖女だとバレるわけにはいかない。
「えーと、アートルム様。少しだけ、お屋敷の中に戻っていてほしいといいますか……」
そんなことを言い出した私は明らかに怪しいだろうに、不思議とアートルム様は頷いてくれた。
「……わかった。この男をこのまま見捨てるのか、生かしておいてもっと無様な姿を拝んでやるか。それは、君が決めることだな。俺は先に屋敷の中へ戻っている。だが、何かあったらすぐに呼んでくれ」
彼は何も聞かず、言葉通り本当に屋敷の中に戻って行った。まるで私の事情を全てわかっているかのような態度に、こちらが驚いてしまう。
(まあ……今はともかく、ヴォイドを助けてやろう)
数多の魔獣の牙によってがぶがぶと、腕や足、男性としての大事な部分まで咬まれたヴォイドは、泡を吹いて失神している。私は聖女の力で結界を張り、魔獣を追い払ってから、彼の傷を治癒してやった。これで結界を張ったままヴォイドをここに転がしておけば、そのうち目を覚ますだろう。
ヴォイドが口先だけでなく本当に約束を守って領地で裸になるというのなら、領主としての尊厳は地に落ちる。領地の女性達や、彼が普段馬鹿にしている平民達からも笑われるだろう。それにそんな奇行、たちまち噂がひろまるはずだ。ゴシップ大好きな貴族達の間でも、すぐ話が回るだろう。プライドの高いヴォイドにとっては、死ぬより辛いかもしれない。
(それに……ヴォイドの体質が改善されるわけではないのだから、今命を助けてあげたところで、どうせまた同じことになる)
愚かなヴォイドは、今は助かったとしても、どうせまた自分の体質にも気付かず同じような目に遭うだろう。今、簡単に死なせてあげるよりも苦しむ羽目になるかもしれない。その際、妻であるリリーナも傍にいれば巻き込まれるだろう。
とはいえあのリリーナがおとなしくヴォイドと共倒れになるとは思えない。リリーナはヴォイドを犠牲にして自分だけ助かろうとするだろうし、それに激昂したヴォイドはリリーナを道連れにしようとするだろう。さぞや醜い地獄絵図になるのだろうな、と思う。
だけどもう、私の知ったことではない。真の聖女が傍にいたにもかかわらず、運命だのと抜かして相手を間違え、私を捨てたのはヴォイドの方なのだから。
生き地獄を味わわせてやるために傷だけ癒やしてやった後、私はゴミのように転がった彼に背を向け、オブシディアの屋敷の中へ戻った。
この連載版では、後に愚かな妹・リリーナの末路も書く予定です。
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