7・辺境伯の本心
「……ユーリア、何をしているんだ?」
「その……お料理を、作ってみたんです」
「料理? この屋敷で家事は使用人がするから、君が働く必要はないんだぞ?」
「そうですけど……せっかくですから、アートルム様に食べてほしくて」
(どうやら私が食べられるのは、まだ当分先のようだし)
彼は私に甘いお菓子をくれ、太らせようとはしてくるものの、まだ私を食べようとする気配は全然ない。今よりもっと身体にお肉がついて、食べごたえがあるようになったらパクッといくつもりなのかもしれない。
それまでせいぜい贅沢な暮らしを満喫していようと考えていたのだけれど、いいかげん、ただお菓子を食べて小説を読む毎日も飽きてきた。生家では常に家事に追われていたから、なんでもかんでもやってもらう生活は正直、すごくありがたい一方で落ち着かないのだ。
ただの餌でしかない私に、ここまで優しくしてくれるのだから……私も少しくらい、何かお返しをしようかなと思ったのだ。
(アートルム様は人間だけじゃなく、普通の食事もおいしく召し上がるみたいだしね)
「俺に……?」
「はい。『カラアゲ』というんですが」
家族に、鶏を使った料理が食べたいけど香草焼きやシチューはもう飽きたと我儘を言われて、なんとか編み出した料理だ。鶏肉に塩や生姜で味付けし、粉をまぶして油で揚げた料理。
家族のために作ることは何度もあったけれど、お母様に監視されて自分で口にすることは許されなかったから、死ぬ前に食べておきたかった、というのも作った理由ではある。
だけど1人よりも誰かと一緒に食べた方がおいしく感じるので、アートルム様にも食べてもらおうと思ったのだ。
アートルム様が、建前とはいえ私を婚約者にしてくださらなかったら、一生、私は甘いお菓子を食べて好きな小説を読んでいいなんて贅沢な生活をすることはなかった。私みたいな「嘘つき聖女」もらってくれる人なんていなかっただろうし。
「そうか……すごくおいしそうだな。一緒に食べるとするか」
「はい。私も、アートルム様のために栄養をつけておきますから」
私が笑顔でそう言うと、アートルム様は若干顔を引きつらせた。
「……その、ユーリア。君に言っておくことがあるんだ」
「はい、なんでしょう?」
(急にあらたまって、どうしたんだろう。言っておくこと? 王道の『君を愛するつもりはない』とかかしら……でも、今更?)
きょとんと首を傾げていると、アートルム様は真剣な表情で告げた。
「俺は、君を食べるつもりはない」
「…………」
(またまたご冗談を。食べる以外の目的で、私を婚約者にする理由なんてないでしょう)
どうしてこんなことを言うんだろう? ……ああ、そうか。
「大丈夫ですよ。私は別に、食べられることを怖がってこのお屋敷から脱走したりしませんから」
「だから、食べたりしないと言っている」
「いつか食べられてしまうのだとしても、アートルム様からいただいたご恩は忘れません」
「食べたりしないと言っている」
「どうせならおいしく食べてもらえるよう、たっぷり栄養つけますね!」
「食べたりしないと言っている!」
「さ、カラアゲ食べましょう。もぐっ、ん、おいしい!」
「ふむ、確かにこれはおいしいな、とても斬新な料理だ。それに、カラアゲを食べる君もとても可愛い……が、俺の話を聞いてくれ」
「カラアゲは揚げたてのうちに食べるのが一番おいしいですからー」
もぐもぐもぐ。カラアゲおいしい。
私もアートルム様に、こんなふうにおいしく食べてほしい。あ、でも揚げられちゃうのは熱そうで嫌だなー。
◇ ◇ ◇
〇アートルム視点
「……はあ」
自室の机で1人、頭を抱える。
オブシディア家は魔女の血を引く一族だと噂されている。それは――「正解」だ。
オブシディアの初代の女主人が魔女だったらしく、その血を引く俺もまた、人外の存在である。己の姿を自在に変え、強大な魔の力を使うことができる。だが――
「能力開示」
・アートルム・オブシディア
・Lv.100 魔の眷属(黒竜)
・HP 98,666
・MP 108,744
・特殊能力 魔の力
・備考1
人型に姿を変え、自然を操り、自在に魔法を使える。
その代償として、制約がある。制約とは、
「魔の力について、決して自分から口外してはならない」である。
魔の力は人間にとって恐れられるものであり、その力が知れ渡れば、争いを生むことになりかねないからだ。
魔の眷属は邪悪でなく、人類の敵でもない。魔法の力は強大であるが、魔獣を駆除することは可であっても、人間を殺害するための力ではないのだ。そのため人間に力を明かさず、人間から隠れて力を使わねばならない。
制約を破り自分から魔の力について口外した際、力は消滅する。
・備考2
魔の力は、100年ほどに一度、空に八色の虹が架かる時に弱まる。その時だけは、魔力はほぼ封じられた状態となる。
俺は、この力について、誰にも口外することができない。
本当は――ユーリアに救ってもらったことについて、彼女に礼を言いたいのに。
先日、所用で王都を訪れていた際。突然、空に八色の虹が架かった。
100年に一度程度の頻度で起こるこの現象は、いまだにどういう原理で起きるのか解明されておらず、事前に予見することもできない。
本当に突然空に虹が架かり――俺は人型から、掌サイズのミニドラゴンの姿になってしまった。たまたまその瞬間、人通りの少ない路地を歩いていて周囲に人目がなかったからいいものの、誰かに見られていたら大きな騒ぎになっていただろう。
しかし、人型からミニドラゴンに変わる瞬間は見られなかったものの、路地からタウンハウスへ帰る最中、狩人に見つかってしまった。「珍しい魔獣だ! 素材を売れば金になるかもしれねえ!」と騒がれ、こちらは攻撃も何もしていないというのに矢で撃たれた。
ミニドラゴンの姿で、血を流しながらふらふらと飛んでいたところで――俺を見つけれくれたのが、ユーリアだ。
彼女は俺を恐れず、俺に癒しの力を使ってくれた。
だが、聖女であることよりも――俺の心を奪ったのは、ユーリアの優しさだ。
傷ついた俺に……人間ではない姿をした俺に、「もう大丈夫だよ」と声をかけ、温かな笑顔を向けてくれた。
俺は、彼女に恋に落ちた。だけどすぐに失恋することになった。
ユーリアには、正式に婚約が結ばれている相手がいると知ったからだ。
この恋心は諦めるしかないと思っていたのだが、せめて彼女に感謝を示したくて――先日、ミニドラゴンの姿で、一輪の花を持って彼女のタウンハウスを訪れた。そうして、彼女が婚約破棄されたことを知った。
俺は、ユーリアが家族や婚約者からそんなに酷い扱いを受けているのだと、そこで初めて知った。
ユーリアが悲しみに耐え、涙を堪えている姿を見て、なんとしてでも彼女をあの監獄のような家から救い出し、幸せにしたいと願った。
オブシディア家からクリスタリウム家に縁談を申し込むと、クリスタリウム家はすぐにユーリアを我が地へと送った。だが――
「どうして、俺がユーリアを食べるなんて勘違いしているんだ……っ!」
強引に進めてしまった縁談だからユーリアも戸惑っているかもしれないとは思っていたが、まさか俺がそのままの意味で、彼女を餌にすると思われていたとは予想外だった。
とはいえ、彼女のこれまでの人生は、周りからひどく虐げられてきたはずだ。簡単に他者を信用できるわけがないし、そう思ってしまうのは仕方ないのかもしれない。
(俺はユーリアが聖女だと知っている。俺は純粋な人間じゃないから、それを知ってもユーリアの力が消えることもない。だが……俺の方が、彼女に人外の存在だと知られるわけにはいかないしな……)
君が聖女だと知っている、とユーリアに伝えれば、彼女は「なぜ彼は私が聖女だと知っても問題ないのだろう? 人間じゃないってこと?」と、すぐ俺の正体に気付くだろう。そうしたら、微妙な線ではあるが、俺の魔の力が消えてしまいかねない。魔獣の多いこの地でユーリアを守って生きてゆくためには魔の力があった方がいい。この力を、失うわけにはいかないのだ。
(彼女に、真実を伝えることができないのはもどかしい。だが、俺は心からユーリアを愛している。……いつかこの想いが、ユーリアに届いてほしい)
婚約を結んだとはいえ、円満な夫婦生活は当分先そうだ。
だが、自分はユーリアのためならなんでもする。これまで辛い思いをしてきた分、溢れるほどの幸福を受け取ってほしい。
必ず、世界で一番、彼女を幸せにしてみせる――