5・一方、愚かな家族と元婚約者は
ユーリアがオブシディア領に行った、1ヶ月後――クリスタリム家では、少しずつ異変が起き始めていた。
「クソッ! 今日も食事はこんなものしかないのか!」
ユーリアの父が、食卓に並べられた食事を見て頭を掻きむしる。
並んでいるのは、パン、焦げた肉、スープもどき、酸味の強い果実。
クリスタリム家は子爵家ながら使用人を雇っておらず、ずっとユーリア1人に家事を任せていた。父も母もリリーナも、幼い頃から貴族として、家事など下々の者がして当然と思っていたため、包丁を持ったこともないし薪オーブンを使ったこともない。
だから、ユーリアを追い出すように嫁がせてしまった今、クリスタリム家には家事ができる者がいないのだった。新しく使用人を雇ったのだが、父と母とリリーナとで、「料理の味つけをもっと私好みにして」「掃除はもっとキビキビ動いてやりなさい」「使用人の分際で仕事中に水を飲むな」などと逐一批判したため、「こんな待遇なら別の仕事の方が断然マシ」とすぐに辞めてしまった。
クリスタリム家の人間は、使用人など下賤な者なのでどう扱ってもいいものだと思っている。だから、それから何人もの使用人を雇ったのだが、全員1週間も持たずに辞めてしまった。そもそも「こんな大量の家事や雑用を、使用人1人で行うのはおかしいです。もっと人を増やしてください」と誰もが言ったものの、クリスタリム家の人間は聞く耳を持たなかった。
だって、ユーリアはずっとこの屋敷の家事を1人でやっていた。炊事も掃除も洗濯も、その他の雑用も全てだ。クリスタリム家の人々の基準はユーリアであり、だからこそ「ユーリアのような愚鈍な娘にできていたことが、なぜ普通の使用人にできないのだ?」と首を傾げるばかりである。
そんなこんなで何人も使用人を雇っては辞めてゆき、誰もクリスタリム家で働いてくれなくなった結果、家事を自分達でやらざるを得ない状況になってしまった。
しかし、ユーリアにできていたのだから簡単だろうと試しに料理をしようとしても、生まれてから一度も包丁を扱ったことのないクリスタリム家の人々では、すぐ指が傷だらけになってしまう。
薪オーブンの使い方も火加減も難しくて、せっかくいい肉を買ってきても丸焦げにしてしまう。味付けは、高価な砂糖や胡椒をふんだんに使えば美味になるのだろう? と調味料をかけすぎた結果、塩辛すぎるものや甘すぎて気持ちの悪いものにしかならない。
ユーリアだったら。彼女は器用に包丁を使って果物の皮を剥くし、肉も野菜も食べやすく切ってくれる。ふわふわのオムレツや柔らかく野菜が煮込まれたスープ、鶏と香草のオーブン焼き、心地よい甘みのパイなどをすぐ作ってくれるのに。
洗濯だって、ユーリアがいた頃は、汚れた服を放っておけば綺麗にアイロンがけまでされてクローゼットに入れられていたのに。今では自分で洗濯板を使って洗わなければならない。1枚1枚ゴシゴシと洗うのは結構な重労働だし、おかげで手が荒れてしまう。
そうして、今までユーリアにやらせていた家事を家族内で押し付け合うことで、喧嘩の頻度がものすごく増えた。
「おいお前、女なんだから家事をやれよ! 家事は女の仕事だろう!」
「まあ、私はこの家の女主人よ!? 家事なんて、貴族の夫人がする仕事じゃないわ! 私は生まれたときから、刺繍用の針より重いものなんて持ったことがないんだから!」
「リリーナ、お前も女なら、少しは家事をやったらどうだ!」
「お父様、酷い……! 家事なんかやったら、私の手が荒れてしまいますわ。庶民のように汚らしい手をした女、ヴォイド様からも愛想をつかされてしまいます」
公爵であるヴォイドの名前を出されると、父も母も、ぐっと言葉を詰まらせるしかない。くすんくすんと泣き真似をするリーリアの前に、2人は何も言えず、そうこうしているうちに屋敷の呼び鈴が鳴る。
「あ、ヴォイド様ですわ! 今日は一緒にお茶するって約束していたの。お母様、お茶を淹れて私の部屋に持ってきてね!」
リリーナはそう言って、訪ねてきたヴォイドとともに自分の部屋へ入ってしまった。「刺繍の針より重いものなど持ったことがない」と自称していた母だが、仕方なくキッチンへ茶を淹れに行く。
「はあ……慣れない家事なんてしているせいかしら。最近、肩こりも腰痛も酷いのよね。それに、なんだか頭痛までするし……。今まで全然こんなことなかったのに。やっぱりユーリアがいなくなって、雑用を押し付けられる奴がいなくなったせいだわ。こんな使用人の真似事、私の仕事じゃないのに……」
あんな駄目娘でも少しは役に立っていたのかしら、とユーリアの母は己の行いを少しだけ悔いる。
――今まで彼女が腰痛も頭痛も感じず健康に生きてこられたのは、聖女の力のおかげであったことも知らずに。これからどんどん、健康も美貌も衰えてゆくことも知らずに。
一方で、ユーリアの元婚約者であるヴォイドも、ため息を吐いてリリーナに憂い顔を見せていた。
「なあ、リリーナ。俺、最近ずっと、体調が悪いんだ。君の聖女の力で、なんとかならないか?」
「まあ、おかしいですわね。私は愛するヴォイド様のために、毎日聖女として祈りを捧げていますのに」
「それじゃあ、どうして……」
「もしかして、ヴォイド様からの愛が足りないのかもしれません。愛の力がないから、聖女の力も発揮できないのかも……」
「そんな! 俺は命の恩人である君を、心から愛しているぞ、リリーナ!」
「でしたらその愛をもっと、形にして示してくださいな。ヴォイド様からの愛の証として、私、もっとドレスと宝石が欲しいですわ」
「ま、またドレスと宝石か? ついこの前、新しいものを贈ったばかりじゃないか。それで本当に、聖女の力が発揮できるというのか……?」
「まあ! 聖女である私の言葉を疑うのですか? ヴォイド様、ひどい……。私は、ヴォイド様を愛しているからこそ、あなたからも愛の証を見せてほしいだけですのに。くすん、くすん……」