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4・新しい暮らし

 オブシディア邸では、毎日おいしくて栄養バランスも考えられた食事を、使用人さんが用意してくれて。1日3食どころか、たっぷりのジャムとクロテッドクリームが添えられたスコーンや、高価な砂糖がふんだんに使われたケーキを味わえるアフタヌーンティーまで出していただけるのだ。


 食事だけでなく、他にも何不自由ない暮らしをさせてもらっていた。ここに来る前、私は家で使用人の代わりに毎日炊事や掃除などで忙しく、しかも無給だったため自由に使えるお金もなかったが――唯一の趣味として、図書館で本を借りて読んでいた。

 オブシディア邸での私の部屋には本棚が用意され、流行りの小説や往年の名作がずらりと揃えられている。おかげで気兼ねなく読書に没頭できるのが、とても嬉しかった。


 更にそれだけではない。毎夜、花弁を浮かべた広いお風呂に入れるし、ふかふかのベッドで休んで、朝には使用人さんが優しく櫛で髪を整えてくれて……。本当に、至れり尽くせりだ。おかげで、痩せ細って骨のようだった身体にも徐々に肉が付き、肌や髪にも艶が出てきた。


「健康になってきたようだな。本当によかった」

「ありがとうございます」


(おいしそうになってきてよかった、って意味かな……)


「ほら、ユーリア。今日は他国から珍しい菓子を取り寄せたんだ。好きなだけ食べてくれ。とりあえず3つくらいでいいか?」


 アートルム様と2人、花々に囲まれた庭でアフタヌーンティーを楽しんでいると、彼が手ずから私の皿に美しい砂糖菓子を取り分けてくれる。


「わあ、おいしそう……!」

「ユーリアは、甘い物が好きだろう? これもきっと気に入るだろうと思ってな」


 私が砂糖菓子を食べるのを、アートルム様は紅茶を飲みながら見つめている。


「うまいか?」

「はい、あの……」

「どうした?」

「アートルム様から見て、私も『おいしそう』でしょうか?」

「……な!?」


 私は今一般的な令嬢くらいの体型になったけれど、このくらいでそろそろ食べるつもりなのか、もっとぽっちゃりしてから食べるつもりなのか、知っておきたかった。残りの寿命がどのくらいなのかによって、本を最後まで読み切っておきたいとか、いろいろやりたいことも変わってくるし。


 私の質問に、アートルム様は目元を赤くして動揺した。普段彼は、あまり取り乱すことなどないというのに。


(私を食べようとしている、という思惑を見透かされていたと知って、狼狽えているのかな)


 だけどそもそも、私のような嘘つき聖女と呼ばれ婚約破棄された女を嫁に望んだ時点で、普通怪しむだろう。大丈夫、私はちゃんと、食べられてしまうことを受け入れている。ただ、食べられてしまうまであとどのくらいなのかを、純粋に知りたいだけだ。


「その……随分、大胆な質問をするんだな?」

「だって、心の準備をしておきたいですから。食べられちゃうんだと思うと、少しはドキドキしますが」


(そもそも、どうやって私を食べるつもりなんだろう? 料理するの? それともまさか踊り食い? どっちにしろ、痛いんだろうな……)


「そ、そうか。ドキドキ……してくれているのか」

「そりゃあ、しますね。でも……私のこと、おいしく召し上がっていただけたらいいなって思います」


(どうせ食べられるなら、まずいって思われるより、おいしいって思ってほしいしな)


 私がそう言うと、アートルム様はゲホッと紅茶を吹き出しそうになった。


「あれ、大丈夫ですか? アートルム様」

「だ、大丈夫だ」


 紅茶が喉の変なところに入ってしまったのか、アートルム様は顔が赤く、なんだかそわそわして落ち着きがない。


「あー、その……。君がそんな大胆な発言をすることに驚いたが……。君が俺との婚姻を前向きに考えてくれているということは、嬉しい」


(婚姻に前向き? ……私を太らせて食べようとしているということは、どこまでも隠して、とぼけておきたいのかしら)


 優しい紳士なのだと期待を抱かせて、餌にする瞬間、一気に絶望に突き落とすのを楽しみたいタイプかもしれない。私の家族もそういう人達だった。まあ、そういうのがお好みだというのなら付き合って差し上げよう。


 そう考えながら砂糖菓子をもぐもぐしていると、アートルム様は自分を落ち着けるようにこほんと軽い咳払いをした後、真剣な瞳を私に向けた。


「君がこうして俺のもとに来てくれたことを、本当に嬉しく思う。ユーリア……俺はこれからも、君を妻として、一生大切にする」

「――――」


 口の中の砂糖菓子よりも、余程甘く優しい眼差し。

その中に、かすかな熱を帯びた真剣さが滲んでいる気がして……一瞬、時間が止まったように固まってしまった。


(……まるで、私が本当に婚約者みたい)


 そんなわけ、ない。この人は、私を食べようと思っている人なのだ。

 そう、思っていたい。

 これ以上期待して絶望することには、もう、耐えられないから。


 ◇ ◇ ◇


 その夜――オブシディア邸での私のベッドはとても寝心地がいいにもかかわらず、悪夢を見た。


「――ユーリア」


 夢の中に出てきたのは、元婚約者であるヴォイドだ。


「ユーリア、どうした、まだ聖女の力を使うことができず落ち込んでいるのか? 大丈夫、そのうちちゃんと使えるようになるさ。だって君の左手には、こんなに美しい花の紋章がある。君が、確かに聖女だという証だろう?」


 最後には、妹との不貞という最悪な形で私を捨てたヴォイドだけれど。彼は、最初から私に対し酷い扱いをしていたわけではない。――彼の私への態度が変わったのは、あの、魔物に襲撃されて以降だ。


「俺は真の愛に目覚めた! この世にはお前のような無能ではない、真の聖女様がいらっしゃるんだ。その御方が、俺の運命の相手だったのだ!」


 ――違う、それは私なの。聖女の力で、死にかけていたあなたを助けたのは、私なのに。


「ああ、なぜ俺には、お前みたいな婚約者がいるのだろう。俺を助けてくれた運命の相手は、俺に婚約者がいるからと身を引いてしまって、俺の前に姿を現してくれないのかもしれない。俺はなんて不幸なのだろう! 全てお前のせいだ、ユーリア!」


 ――違う、何もかも違う。私が聖女なのに。制約によって、私はそれを言うことができない。


 ――私は、間違っていたの? あの日、ヴォイドを助けなければよかったというの?


 ――聖女として人を救ったって、虚しいだけ。だって、私は誰からも愛されないのだから……


「……っ」


 はっと目を覚ますと、ベッドの天蓋が目に入る。


(……また、あんな夢を見てしまったなんて)


 ヴォイドと会わなくなってしばらく経つというのに、彼が私を責める声は、どろりと私の内側にこびりついて、じくじくと胸を痛ませる。


(ううん……。気にするのはやめよう。もうすぐ、私は食べてもらえる。そうして手遅れになった後、きっとヴォイドもお父様達も、自分がしてきたことを悔やむはずだわ……)


 夢を見ているうちにこぼれていたらしい涙を拭っていると、ぱたた、と可愛らしい羽音がすることに気付く。音の方へ目をやると――


「ミニドラゴンさん!?」


 生家にいた頃、私の部屋を訪ねてくれたミニドラゴンが、なんと今私の目の前にいる。


「すごい、どうしてここがわかったの……!? ドラゴンってすごく鼻がよくて、知ってる相手を見つけられるとか?」


 自然と涙が消えて顔に笑みが浮かび、ミニドラゴンさんを撫でる。


「会いに来てくれて、嬉しい。でも……あなたに、お別れを言っておかないといけないわね。私、もうすぐあなたとも会えなくなってしまうから」


 まるで私の言葉を理解しているかのように小首を傾げるミニドラゴンさんに、話を続ける。


「私ね、ここの辺境伯様に食べられてしまうの。どんなふうに食べるつもりなのかは、まだわからないけどね。むしゃむしゃと、頭から食べられてしまうのかしら……痛いだろうなあ。さすがに怖くてドキドキするわ」

「……!?」


 ミニドラゴンさんは、すごくびっくりしているみたいに目を丸くする。


「それにしても、私みたいにやつれてガリガリだった娘にわざわざ甘いお菓子を与えて、太らせてから食べるなんて、不思議な辺境伯様よね。あれかしら、自分で育てた野菜の方がおいしい、みたいな感覚?」

「!?!?!?」


 こぼれ落ちそうなほど目をまん丸にしているミニドラゴンさんに、更に語り続ける。


「もともと、婚約者に捨てられて、もうどうでもいいやって気持ちでここに来たの。オブシディア家の人は、私を太らせて食べる気なんだってお父様から聞いて、別にそれでいいと思っていたんだけど……。演技かもしれなくても、アートルム様はとても素敵な御方なの」


 いつも私に向けてくれる、あの微笑みを思い出して――胸が締め付けられる。


「私ね、このお屋敷で毎日を過ごしているうちに……時折、アートルム様が本当に優しい人で、私のことを、ただ大切にしてくれているんじゃないかって、幻想を抱いてしまうときがあるの」


 あの甘い眼差しが、優しくかけてくださる言葉が、偽りではなく真実であったなら。それは……どれほど幸福だろう。


「でも……そんなふうに、希望を持つべきではないわよね」


 彼を信じ、その優しさに心から報いたいと思う。

 だけど、私はこれまで人々の醜い面を見すぎてきてしまった。必死に救った人達だって、私を省みることなく、ただ自分勝手に聖女の力を享受した。聖女としてどれだけ人に尽くしたって、心を返してもらえることはなかった。

 最も身近な人であった家族と婚約者に、あれほど酷く裏切られたのだ。もう、他者を信用することなどできない。


「また、人を信じて裏切られるのは……怖いもの」


 ぽつりと呟いた言葉に、ミニドラゴンさんは、私を励ますように指先を撫でてくれた。

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