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3・辺境伯様との縁談

 婚約破棄されてから数日後、私の家に、とある話が舞い込んだ。


「喜べ、ユーリア。無能なうえ婚約破棄されたなんて醜聞を持つお前が今後他家に嫁ぐことなど不可能だと思っていたのだがな。なんと、お前を嫁にと望んでくれる家があったのだ」


「そうですか」


 あまりにも淡々とした返答に、お父様は一瞬むっとした様子だったけれど、私の反応を楽しむようにニヤニヤと笑いながら続けた。


「お前が嫁ぐ家は、オブシディア辺境伯のもとだ」


「そうですか」


(どうせ、そんなことだろうと思っていた)


 オブシディア辺境伯領といえば、凶暴な魔獣の巣窟。

 人間が生きてゆくにはあまりに過酷な環境である。そんな領地で代々育ってきたオブシディア家の人々もまた、恐ろしい魔女の血を引いている、呪われた一族だと噂されているのだ。今まで、オブシディア領に足を踏み入れた者が何人も行方不明になっているのだとかなんとか。


「なんだ、オブシディア家に嫁ぐことが怖くないのか。奴らは禍々しい、魔女の血を引くと言われている一族。恐ろしい、魔の眷属なのだ。お前を屋敷に閉じ込め、太らせてから食うつもりかもしれんぞ? まあお前のような無能、化け物の餌としてくらいしか役に立たんがな。ははっ」


(……化け物の餌、か)


 私はその後すぐ、着の身着のまま馬車に詰め込まれ、ガタゴトと揺られ続けた。

 王都からオブシディア領までは、車輪に加速魔石のついた馬車でも数日かかるが、私は親から水も食糧も与えられていない。哀れに思った御者の人が水と少しばかりのパンを分けてくれ、領地に到着するまでそれで食いつなぐことになった。幼い頃からろくに食事を与えられないことはよくあったとはいえ、この辛さは慣れるものではない。


 そうしてオブシディア辺境伯邸に到着した頃には、私は慣れない馬車旅と空腹でぐったりしていた。


 屋敷から追い出された時そのままの、ツギハギだらけのワンピース。

 化粧も何もしていない、栄養や睡眠不足で常に青白い顔に、骨のように痩せ細った身体。

 自分でもはっきりと思うが、あまりにも酷すぎる姿だ。

 しかも婚姻の持参金どころか、手土産一つ持っていない。

 非常識だとは思うのだが、持参金については、オブシディア家の方から、なしでいいと言ったらしい。


「……ユーリア・クリスタリムと申します。よろしくお願いいたします……旦那様」


 もはや体力も気力も限界の中、これから旦那様となる人相手に、力のないお辞儀(カーテシー)をした。すると――


「きゃ……!?」


 ふわりと宙に浮く感覚。――私は、辺境伯様に抱き上げられていた。


(えっ、何? どういうこと?)


 辺境伯様は、私を横抱きにしたまま屋敷の2階へと上がり、その中の一室へと入る。

 そうして、私を天蓋付きの豪奢なベッドに横にした。

 まさか嫁いできて早々に身体を求められるのだろうか、と身構えていたところで――ふっと、ひどく優しい声が降ってくる。


「今まで、辛かっただろう。……もう大丈夫だ」


 ここに辿り着くまで、緊張や混乱でそれどころではなかったので、今初めて、ちゃんと辺境伯様の顔を見た。


(……すごく、綺麗な御方)


 芸術品のような輪郭の中に、黒い宝石に似た瞳、すっと通った鼻筋、形のいい唇が、これ以上はないというほど絶妙な配置でおさまっている。

 年齢は私より4つ年上の22歳と聞いていたが、彼と同世代の男性でも、これほど端正な容姿の御方は見たことがなかった。

 漆黒の髪も、瞳も、深い闇の色なのに少しも恐ろしくない。むしろ、美しい夜空を映した湖面のように綺麗だ。魔女の血を引く、なんて噂通り――どこか人間離れした、魔性の美しさのようなものを感じる。


「ゆっくり身体を休めてくれ。食事は用意してあるが、食べられそうか?」

「え……? あ、はい……」

「なら、よかった。使用人、入っていいぞ」


 彼の言葉で、部屋の外から使用人さんが、トレーに載せた食事を持ってきてくれた。

 ミルクで柔らかく煮たパン粥だ。甘い香りがするから、砂糖も入っているのだろう。ここ数日ろくなものを食べていなかったから、そのいい香りだけで喉が鳴りそうになる。


「さ、口を開けてくれ」

「え……?」


 これは、俗に言う「あーん」というものではないのだろうか。

 口元にスプーンを差し出され、どうするべきか戸惑っていると、辺境伯様は真剣な瞳でじっと私を見た。


「どうした? パン粥は食べられないか? 別の料理にするか」

「い、いえ。いただきます……」


 この状況では彼の手から食べさせてもらわないのも失礼かと思い、口を開いた。

 口の中にパン粥が入れられ、柔らかく優しい味わいがひろがってゆく。


「……どうだ、口に合うか?」

「はい……おいしいです」

「そうか、よかった……。他に食べられそうなら、果物も菓子もなんでも用意している。君の好きなものを言ってほしい」

「ありがとうございます。ひとまず、このパン粥で充分です……」

「そうか? もっと、どんどん食べてくれ」


 辺境伯様は、次々と私の口元にスプーンを運ぶ。


(これは、もしかして……)


 私は辺境伯様をじっと見つめ、ある考えに至る。


(もしかして、本当に太らせて食べるつもりなのかしら)


 自分の家を追い出される際、父が言っていた言葉。

 オブシディア家の人々は魔の眷属であり、私のことも、太らせて食べる気なのだと。


 そうだ、でなければ嘘つき聖女であり婚約破棄された無能に対してこんな厚遇、有り得ない。

 優しく見せかけて、後から裏切ることで、私の絶望の顔を楽しむつもりなのだろう。これまでもリリーナの差し金で、一度私の味方のふりをしておいて、その後に私を突き落とす人達だって何人もいたし――


(でも、だったら好都合だわ。いっそこのまま、たくさんおいしいものを食べさせてもらって、太らせてもらって――最終的に、この御方に食べてもらおう)


 私はもう、周囲に振り回される人生に疲れた。自分は楽になりたいし、私を虐げた人々に後悔させてやりたい。婚約者からも家族からもあれほど酷い言葉を投げかけられた私の心は、もう完全に壊れていた。


 聖女である私がいなくなったら、困るのは皆の方なのだ。私が食べられてしまって、「真の聖女だったユーリアを家から追い出すような形で嫁がせた私達が悪かった!」と後悔すればいい。それが、私にできる最大の復讐なのだ。


 そんなことを考えていると、辺境伯様と視線が重なった。すると彼は、「そうだ」と何かに気付いたように背筋を正す。


「自己紹介が遅れたな。俺はアートルム・オブシディア。この地を治める辺境伯だ。……これからは俺が、必ず君を幸せにすると誓う」


 まるで、何かの楽器を奏でられているのではと錯覚してしまいそうになるほど美しい声色で語りかけられ――それは、胸を打つほど真摯に聞こえた。

 しかし、これまで何度も他者に裏切られた私には通用しない。


(優しい微笑みで私を油断させて、太った頃に食べるつもりなのね……)


 だけど、自分を食べるのがこんなに美しい人だというのは、少しだけ嬉しいかもしれない。私はかすかな笑みを浮かべ、お礼を告げた。


「ありがとう……ございます」


 アートルム様は柔らかく目を細め、微笑を浮かべる。

 そのお顔は、ここが舞踏会であればどんな令嬢でも見惚れ、彼からダンスの誘いを待ち焦がれるのだろうというものだった。


「……君とこうして言葉を交わせることを、嬉しく思う。俺は君を妻に迎えることを、願っていた」


(今日初めて会ったのに……?)


 やっぱりどう考えてもおかしいし、裏があるに違いない。

 だけど――それからアートルム様は、本当に私によくしてくれた。

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