15・愚か者どもに忍び寄る絶望
今回は、リリーナの話とヴォイドの話です。
ユーリアがオブシディアで幸せな日々を送っている一方で、リリーナは聖女として王城へ招かれていた。
「お初にお目にかかります、国王陛下! 私、リリーナ・クリスタリムですわ」
謁見の間にて、リリーナは頬を薔薇色に輝かせ、挨拶をした。
自分には幸福な未来が約束されていると、信じて疑っていない顔だ。
「そなたが噂の聖女殿か。聖女の力というのがどのようなものなのか、早速だが確認させてほしいのだが」
「まあ。恐れながら陛下、今すぐ聖女の力をお見せすることはできませんの」
「なぜだ?」
「聖女の力は、無条件に使えるものでも、無限に使えるものでもありません。聖女の力をお望みになるなら、聖女を求める、真摯な心を見せていただかなくては」
リリーナは得意の演技で、嘘八百を並べ立ててゆく。
自分の容姿が美しいことを理解しているからこそ、迫真の表情で語ればそれらしくなることがわかっているのだ。今までそうやって、何度も悲劇のヒロインぶることでユーリアを貶め、周りからの同情を得てきた。
もっとも、生まれたときから王族として育ち、数多の令嬢達に色目を使われてきた国王には、リリーナの色香など通用しない。国王がリリーナに求めるものは、聖女としての能力だけだ。
「真摯な心とは? 具体的に、何をすればいいのだ」
「聖女の力の源は、愛なのです! 皆様には、私に愛を示していただきたいのです」
笑顔で告げられ、国王は眉を顰める。
「……そなたは、ゲルニア公爵家の嫡男と結婚が決まっていると聞いたが」
「私の婚約は、家同士の利益のための政略結婚です。そうではなくて、真実の愛が必要なのです」
リリーナは、「真実の愛」だなどと言ってユーリアとヴォイドの婚約を破棄させたというのに。今ここには、あの場にいた人間がいないからと、ぬけぬけと抜かす。
「その説明では、結局具体的に何をどうすればいいのか、わからぬのだが」
「私への愛の証明として、私を幸せにすることを、してほしいのです。そうすれば、私も聖女として、皆様を幸福にする力を使うことができるでしょう」
王はなるべく表情には出さぬよう努めたが、内心はげんなりしていた。
(……真実の愛だなどと聞こえのいい言葉を使っているが、ようするに『自分をちやほやしろ』と言っていないか?)
国王は、正直舌打ちをしたい気持ちになった。
だがリリーナが聖女であるという証拠がないように、リリーナが聖女ではないという証拠も、まだない。個人の感情によって今ここでリリーナを追い返せば、聖女の力を失ったこの国は魔獣によって甚大な被害を受けてしまうかもしれない。そう考えると、リリーナを邪険に扱うこともできなかった。
(単なる詐欺師ではないのか? ……だが、王である私に嘘などつけば後々身を滅ぼすことなど、さすがに理解しているだろう。ここまで堂々と聖女だと言ってのけるということは、本当に聖女なのかもしれん)
「……わかった。聖女の力には、この国の未来がかかっているのだ。そなたが力を使えるよう、力を尽くそう」
「ありがとうございます、陛下!」
その日から、リリーナは王城の客室で、聖女として暮らすこととなったのだった。
――口先でいくら偽りを並べても、そんなものは、いつかは崩れるというのに。
◇ ◇ ◇
一方その頃、ヴォイドはというと。
「リリーナが、王城に?」
クリスタリムのタウンハウスを訪れたヴォイドは、リリーナの両親からそう聞いて、驚いていた。事前に何も聞かされていなかったのだ。
「それで、リリーナはいつ帰ってくるのだ」
「さあ、それはわかりません」
「わからないとはどういうことだ! これから結婚の話を進めるつもりだったのに、婚約者である俺に何の断りもなく、会えなくなってしまうとは」
「も、申し訳ございません、ヴォイド様。ですが国王からの招集とあれば、我々としてもリリーナを送り出すしかありません。相手は王家ですから」
そう言われてしまうと、ヴォイドもぐっと言葉を呑み込むしかない。
(リリーナは、一体何を考えているのだ。ずっと思っていたが……やはり、何かがおかしい)
ヴォイドの中ではもう、違和感や疑問、不満が積み重なって爆発しそうだった。
そもそもヴォイドは少し前にオブシディア邸に突撃し、魔獣の群れに殺されかけて、泡を吹いて気絶していたところを、なんとかユーリアの力で救ってもらったのだ。目が覚めたら無傷だったので、夢だったのではないかと思ったが、あれほどの激痛と恐怖が単なる夢であったとは考えられない。
(……死んだかと思ったら、傷が綺麗に治っていた、なんて)
――10年前魔獣に襲われて命を落としかけた際、目を覚ましたら無事だったときと、まるで同じではないか……。
(リリーナが傍にいてくれた……わけではないよな。では、やはりユーリアが聖女だったということなのか……?)
だとしたら自分は、運命の女性がずっと傍にいたにもかかわらず邪険に扱い続け、自ら手放してしまったことになる。
幼い頃、まだユーリアと普通に微笑みを交わし合っていた頃のことを思い出し、ズキンと胸が痛んだ。
子どもの頃は、自分も彼女を邪険にすることはなかった。ユーリアはまだ力を使えないけれど、頑張ればいつかきっと立派な聖女になるのだろうと信じていたからだ。
だけど10年前から、この世界のどこかに真の聖女、運命の相手がいると思ったら、いてもたってもいられなくなったのだ。俺は運命の相手と結ばれたいというのに、婚約者である彼女のことが邪魔だった。
やがて自分はユーリアを壊れた置き物か何かのように思うようになっていった。次第に痩せ細っていくのを見ても、いい気味だとすら思っていた。無能なのだから当然だ、と――
(……ユーリア)
足元から這い上がるのは、どうしようもない絶望と、強烈な悔恨の念。そして、そんなものは許せないと叫ぶ自らの矜持。
(認めたくない、認めない……! おかしい。絶対に、おかしい! 俺は、運命の相手と結ばれて、幸せになるはずだったのに)
リリーナが真の聖女だとは、もう思えない。ユーリアを捨ててリリーナと婚約してから、悪いことばかり起きるのだから。
無限に贈り物を欲しがって、それを指摘すればすぐに被害者ぶる、強欲で心の醜い女。リリーナは、婚約破棄の際にユーリアの言っていた通り、俺がユーリアの婚約者だったから奪いたくなっただけなのだろう。ただ、人の幸せを壊して楽しんだだけだ。
(どうせリリーナは、今度は国王陛下を誑かすに違いない)
婚約の話が白紙になるのはともかく、リリーナだけ幸せになるのだと思うと許せなかった。沸々と怒りが湧いてきて、どうしようもなく、リリーナの両親にぶつける。
「リリーナは俺と結婚するからといって、ドレスも宝石もたくさん貢がせたじゃないか! 急に会えなくなるなんて裏切りだ、今まで貢いだものを全て返せ!」
「そ、そう言われましても。リリーナがほとんど持って行ってしまいまして……」
最初から王城に居座る気でいたリリーナは、衣装棚の肥やしになっていたドレスを詰められるだけ鞄に詰めて馬車に乗ったのだった。ヴォイドから贈られたドレスで、国王を誑かすために。
(俺だけ不幸になるなんて、許せない。……そうだ! リリーナを捕らえて断罪すれば、ユーリアも俺を許し、俺のもとへ戻ってきてくれるかもしれん)
――そうしてどこまでも愚かなヴォイドもまた、リリーナ同様、自ら破滅へと突き進んでゆくのだった。