1・「彼女こそが真の聖女だったのだ」
「ユーリア、お前との婚約を破棄する」
数多の貴族達が集まる舞踏会の場で、婚約者であるヴォイド様は私にそう告げた。
ヴォイド様の隣では、私の妹リリーナが彼に腕を絡め、寄り添っている。
「俺は、お前に聖女の証があるから、仕方なく婚約してやっていたのに。お前は偽りの聖女であり、リリーナこそが真の聖女だったのだと、ようやく気付くことができた。今まで、よくも俺を騙してくれたな」
この国に生まれる、左手に花の紋章がある乙女には、聖女の力が宿ると言われている。
聖女は癒しの力を持ち、人々を救うものである――それが、古から言い継がれてきた伝承だ。
クリスタリム子爵家の長女である私は、生まれた時から左手に花の紋章があった。だから聖女だとして、3歳の時にゲルニア公爵家の嫡男である彼、ヴォイド様との婚約が決められた。
最初のうちは、私が子どもだから、まだ聖女の力を使えないのも仕方ないのだろうと、周囲の皆思っていたようだ。
だが時が経ち私が成長しても、私が皆の前で聖女の力を発現させることはなかった。6歳になる頃には「まだ聖女の力が使えないのか」と、次第に家族から責められるようになった。
聖女の力を使えるようになるため、という名目で、鞭で打たれたり、「力が発現するまで食事は抜き」と言われてひたすら飢える時間を続けられたり、過酷な日々を送ってきた。
一方で、一つ年下の妹リリーナは、聖女の証がないゆえに何の責任も負わず、ただ親から可愛がられ、甘やかされてきた。「お姉様が力を使えるようになるよう、私も協力しますわ」と私を鞭で打ったり、「お姉様には必要ないようですので私がいただきますね」と言って、やっと与えられた私の食事を横取りしたりすることも多々あった。
「俺の運命の相手は、リリーナだったのだ。ああ、運命の人がこんなに身近にいたというのに、気付くことができなかったなど……。それもこれも全部お前のせいだ、ユーリア」
私と同い年のヴォイド様は、10歳の時に「運命の人に出会った」と言い出した。
彼は他領での祭りに行って馬車で帰って来る際、森で馬車ごと魔物に襲われ、彼もその家族も御者も、皆瀕死の重体だった。
しかし何の奇跡か、皆が目を覚ました時には、全員魔物にやられた傷が治り、無事だったのだという。
魔物に襲われたのは夢だったのではないかと誰もが思ったが、馬車は修復しておらず破壊されたままで、それは襲撃が夢ではなかったという確かな証拠だった。
ヴォイド様はその際、とても優しく美しい声を聞いたのだという。自分を心配し、懸命に救おうとしてくれる声――清らかで尊い、「聖女」そのものの声。
死に際で意識が朦朧としており、その人の顔や姿などは一切覚えていなかったらしい。
だけどヴォイド様はそれによって、この世界には私のような無能ではない「真の聖女」がいるのだと信じ、「俺の命の恩人であり、運命の人」として探し回るようになった。
同時に、ヴォイド様はそれをきっかけに私に対し「この世には素晴らしい聖女もいるというのに、それに比べてお前はいまだに何の力も使えない無能だ」「お前のような役立たずが婚約者など、俺の顔が立たないだろう。俺に恥をかかせるな」と疎ましく接するようになったのだ。
ぐっと拳を握りしめ――ゴミを見るような目で私を見ている彼へ、視線を返す。
「あなたを救った『真の聖女』がリリーナだと……本気でおっしゃっているのですか?」
婚約者として、お互いの家族とは面識があり、昨日今日に会ったわけではない。ずっと昔から彼はリリーナのことを知っていたのに、今更になって真の聖女と思ったというのだろうか。
「全てお前が元凶だろう、ユーリア。お前がリリーナを虐げて、俺を助けた聖女であることをずっと口止めしていたのだと、リリーナから聞いたぞ」
「でしたら、それはリリーナの嘘です。私はリリーナを虐げるなどしておりません。むしろ、私の方がリリーナから非道な仕打ちを受けておりました。リリーナは昔から私のものばかり欲しがるのです。だから、私の婚約者であるあなたが欲しくて、そんな嘘を言ってあなたを誑かしたのでしょう」
(……そんな嘘で誑かされる方にも、問題があるけど)
私が真実を述べると、リリーナはヴォイドの胸に顔を埋め、くすんくすんと涙を流し始めた。
「お姉様、酷い……。こんなに大勢の方々の前で、私を嘘つき呼ばわりするなんて。そんなに私のことがお嫌いなのね……」
内面の黒さと裏腹に外見は可憐なリリーナが涙を浮かべると、まるで美しい悲劇のヒロインそのものだ。周囲の人々はその儚い魅力に見惚れ、たちまち私は、彼女を貶める悪女にされてしまう。
「ユーリア貴様、か弱いリリーナを泣かせるとは! 無能なうえに妹を虐げるなど、どこまで性根が歪んでいるのだ!」
「いいんです、ヴォイド様。私はお姉様の妹ですもの。お姉様の嫉妬も悪意も、受け止めて差し上げなくては……」
「リリーナ……君は本当に心優しい。そんな君が苦しんでいたのに、私は今まで救えなかったなんて……っ」
ヴォイドとリリーナは、熱い抱擁を交わす。完全に2人の世界だ。周りには私だけではなく、大勢の貴族達もいるというのに。
(これは……もう、何を言っても無駄そうだな)
自分達だけの世界に浸っている2人を見ていると、心がすっと冷えてゆく。婚約破棄は受け入れるから、一刻も早くこの場を離れたい。
(でも、その前に一つだけ……)
「ヴォイド様。あなたはリリーナが真の聖女だと言いますが、リリーナが癒やしの力を使っているところを見たのですか?」
「当然だろう。先日、俺が体調を崩して苦しんでいた際、悪夢にうなされていたら、急にふっと楽になってな。目を覚ましたらリリーナが傍にいてくれた。リリーナが俺を癒やしたのだ。それで俺は、リリーナが真の聖女だと確信した」
「そうですか。ではもう私のことは必要ないと、今後何かあっても二度と私に縋ることはないと、誓ってくださるのですね」
「はあ? 何を当たり前のことを言っている、今この場にいる貴族達全員を証人にして誓ってやろう。お前のような嘘つき聖女に縋ることなど、有り得ない!」
「――わかりました。その誓い、必ず守ってくださいね」
「はは。この俺が誓いを破ることがあったら、そのときは裸で領地を一周してやってもいいぞ」
(たった今婚約という誓いを破った後で、よくそうも自信満々に言えるものだな……)
いずれにせよ、言質はとった。後はもう――どうにでもなれ。私の知ったことではない。
「ではこれからは存分に、お二人で真実の愛とやらを育んでください。さようなら」
私は、「お前にはこれで充分」と親に渡された、リリーナより数段質素な、舞踏会用のドレスというより使用人の衣服のようなワンピースを翻し、彼らに背を向ける。
普段は「舞踏会なんていう煌びやかな場所に、お前は不釣り合い」と言われ参加することを許してもらえず、初めて許可が下りたと思ったらこれだ。おかげで舞踏会というものに嫌なイメージがついてしまった。
「っておい、ユーリア貴様! 血の繋がった妹に、新たな婚約の、祝いの言葉すらかけてやらないというのか!? 本当に何と冷酷な女なんだ、お前は!」
(……婚約者を奪われて、何をどう祝福しろというの)
祝ってもらえると思っている方が驚きだ。どこまで脳味噌がお花畑なのだろう。
「いいかユーリア、お前は今まで、真の聖女であるリリーナに口止めをし、自分が聖女であるかのように振る舞っていた大嘘つきだ。お前は大罪人なのだ、許されると思うなよ!」
――もういい、ここまで愚かな元婚約者なら、未練も何もない。心は完全に冷え切っており、もう彼に対する情は一欠片すら残っていない。
煌びやかなパーティー会場を出ると、ひやりとした夜風が通り過ぎていった。
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