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迷惑な配信者(後)

「どうする? 別の階行ってみる?」

「いんや、ちょっとピンポンして話を聞いてみようぜ」


 二人はこの程度では怖気づかない。紫雲彩斗は何の躊躇もなくインターホンを鳴らした。すると中からは女性らしき声が返ってくる。未成年ではないが声が若く、おそらく二十代だろうと紫雲彩斗は勝手に推測する。


「はーい」

「あ、俺達は――」


 紫雲彩斗は自分達がUdolであること、音声は後でボイスチェンジャーで変えること、作為的な切り貼りをやらないことを説明した。後ほど問題にならないよう注意する程度にはまだ論理的だった。


「てなわけでこのマンション、何か不思議なこととか怖いこととかないっすかね?」

「噂話は色々ありますよー。でも住んでる人達みんな優しくて親切だし、色々と施設が揃ってるし、とっても住みやすいですねー」

「その噂話ってのは例えば何すか?」

「新聞勧誘の人とかセールスの人が部屋の中に引きずり込まれた、みたいな」

「あー。んじゃあ下手したら俺達も餌食になっちまうっすね」

「気を付けてくださいねー。おかしなことがあったり嫌な予感がしたらすぐに引き返すのがいいみたいですよー」


 紫雲彩斗はお礼を述べて切り上げた。そして隣の部屋のインターホンを鳴らす。しばらくして向こうから女性の声が返ってきた。少女でも熟女でもないその間の……というか、隣とほぼ同じではないか?


「はーい」

「……あ、お、俺達は――」


 紫雲彩斗は再び事情を説明してマンション内の噂話を聞き出そうとした。女性もまた突然の来客に嫌な声は出さずに受け答えする。これもまた先ほどと同じようなやり取りであった。


「噂話ですかー。実はこのマンション、怪奇が住んでるんですよー」

「怪奇?」

「ほら、テレビとか漫画でよく見る妖怪とかクリーチャーじゃなくて、影とか闇みたいな……生理的な恐怖をかきたてる感じのがいるらしいですよ?」

「疑問形っすか」

「日常に潜んでるっぽいですからねー。見たらもうオシマイなんじゃないですか?」

「なるほど、んじゃあ俺達も突然襲われるかもしれないんっすね」


 紫雲彩斗は再びお礼を述べて切り上げる。そしてもう一つ隣の部屋のインターホンを鳴らす。そして女性の声で返事があった。やはり、というべきか、それは隣とほぼ同じようだった。


「はーい」

「……」


 翠海るなは不安に襲われた。偶然声色の似た女性が隣同士だっただけだ、と自分を言い聞かせても、恐怖は拭えなかった。最初の住人も言っていたではないか、異変があればすぐに引き返すべきだ、と。


「ね、ねえ。ここヤバイよ。帰らない?」

「馬鹿言うなって。もっとヤバさを演出しないと撮れ高が無いだろ! 心配すんなって。何かあったら俺がお前を守るからよ」

「う、うん……分かった」


 一方で紫雲彩斗は盛り上がりを感じ取り、今回の動画は再生数と高評価を稼げるだろう、と内心で喜んだ。これからどんな異変に巻き込まれるのか、それをどう切り抜けるか、視聴者が望むはらはらどきどきの展開が待っているに違いない、と。


「ああ、俺達は――」

「あ、ちょっと待ってくださいねー。すぐそっち行きますから」


 インターホンの前で待ち構える紫雲彩斗の斜め後ろにいた翠海るなは、ふと玄関扉脇の曇りガラスから覗ける部屋の廊下に視線を移した。昼間なのに真っ暗で、照明どころかリビングのカーテンすら開けていないのだろうか。


 そうよそ見していたせいで翠海るなは気づかなかった。いや、気付けと言う方が酷だろうか。何故なら廊下を歩く足音も玄関で靴を履く音も鍵を開ける音も、向こうから聞こえてこなかったのだから。


「え?」


 玄関扉が勢いよく開け放たれた。その向こうは一寸先すら闇で覆われていて、廊下の明かりで玄関に並べられた靴と靴だながかろうじて見える程度だった。玄関を開けただろう人の姿はどこにも見えなかった。


 次の瞬間、廊下の向こうから血が通っていないようにしか思えないほどの真っ白な腕が伸びてきた。それらは瞬く間に玄関前にいた紫雲彩斗の腕、脚、首、頭を掴み、胸、腰、尻に腕を回していく。


 そして、紫雲彩斗は部屋の中に引き込まれた。


「は……!?」


 翠海るなが慌てて駆け寄るも、玄関扉は勢いよく閉められる。鍵をかけられたのかドアノブを回しても開けやしなかった。

 廊下に静寂が訪れる。翠海るなの息遣いだけがうるさい。


 今一体何が起きた? 自分は何を見た? 相方はどうなった?


 翠海るなは恐怖に支配された。悲鳴を上げたくても金切り声に近い音しか喉から出てこない。紫雲彩斗を助けようという意思が起こりようもない。ただひたすらこの場所から離れたい、と猛烈に願った。


 廊下の天井照明が落ちて、翠海るなは今度こそ叫び声を上げた。


 足元の非常照明だけを頼りに全力で駆け出してエレベータホールへと向かう。動画配信用に撮影していたスマホはいつの間にか手から滑り落ちていた。歯が震え、涙がこぼれ、エレベータの予備押しボタンを何度も何度も押す。


「早く来て早く来て早く来て早く来て――!」


 エレベータが来た音声がホールの中に流れ、翠海るなはかごに飛び乗ろうとして……とても冷たい何かが自分に触れていることに気付いた。


「だからお隣さんも言ってたじゃないですか。嫌な予感がしたら引き換えした方がいい、って」


 そんな場違いな明るい声が翠海るなの耳をくすぐり、次にはエレベータのかごが急速に視界から遠ざかっていった。紫雲彩斗と同じように部屋の中に引きずり込まれた、と分かった時には玄関扉が閉められ、翠海るなは自分の運命を悟った。


 天井の照明が復旧する。廊下には誰もおらず、先ほどやってきた来訪者が持ち込んだスマホだけが廊下に落ちていた。

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