緑の恋色(4)
「わ、わりぃ」
蓮君が曲がり角で、人とぶつかったみたい。
「大丈夫?」
そう声をかけようとしたとき、私の目にはあるものが映った。それは、私にとっては不都合なもの。
「祐太……」
私の大好きな人、祐太だった。
祐太の隣に居る彼女のほうに目をむける。とっても可愛くて、私とは比べ物にならない。
……しっかり、手も繋いでいるし。
「デ、デートかよ?」
偶然出会って驚いているのか、祐太はしどろもどろになりながらそう言う。
「あ、あんたこそデートでしょ? 仲よさそうに手まで繋いじゃって」
嫉妬した。私だって、その手を触ったのはもう何年も前。それが、今あの女の人のものになっている。
「は……? は!? これは違う! ただ、こいつ歩くのが遅かったから!」
「へぇ、仲いいんだねぇ」
祐太は私がそういうと慌てながら手を離し、彼女を私から遠ざけるようにする。そんなのに、彼女を私に見られるのが嫌!?
「お前等こそ仲よさそうだな? えっと確か……蓮だっけ? 名前だけ聞いたことあるよ」
そこでプチンときた。
祐太が言いたいのは、女たらしで有名な蓮でしょ? ってことだ。それが本当なのか、嘘なのか知らないのに、その言い方は間違っている。
「ちょっと! 何よその言い方! あんな根も葉もない噂信じてるの?」
「お前知らないのか? 火の無いところに煙は立たないんだぜ?」
「何よ! あんた、何も蓮君のこと知らないくせに!」
「もう、いいんだ」
蓮君はしりもちをついていた体を起こすと、私と祐太の間に割って入った。だけど、私の怒りは収まらない。祐太も同じなのか、私に一歩近づいてきた。
「お前だって全部は知らないだろ!? もしかしたら騙されてるかも知れないんだぞ!!」
「蓮君が私を騙す? ありえないよ!」
「何でそこまで言い切れるんだよ!!」
「え、だって……」
私のことをちゃんと見てくれているから。
祐太と違って、蓮君は私の気持ちを分かってくれる。いつも気遣ってくれる。
「別にあんたに関係ない」
「な、んだと?」
最後に呟いた祐太の声はいつもより低かった。本当に怒ったのかもしれない。
私はその場に居たくなくて、走り出す勢いで立ち去った。
これ以上、祐太の顔を見たくない。
「みどり!」
私が一人でその場を離れてきたせいで、蓮君は私を追いかけるような形になった。
「待てよ」
ぎゅっと、蓮君に肩を掴まれる。その手はいつもより優しさに掛けていた気がした。
「痛い」
「ごめん……」
蓮君はそっと手を離し、今度は優しく私の手をとった。
「別にいいだろ? ちょっとだけだから」
私の顔を見ないで、蓮君はそう言った。私も何も言わず、その手を掴んでいる。
温かかった。
「なぁ、観覧車乗ろうぜ」
そう言って蓮君は目的地へ向かって歩き出す。私の許可を待たずに。
数分後、観覧車の列に並ぶ。時間帯的に、空いている時間のようだ。すぐに私たちの番が回ってきた。
「どうしたの?」
観覧車に乗ったきり、目の前に座っている蓮君は喋ろうとしない。
ただ、空を眺めているだけだった。
頂上に着くかというぐらいに、そっと沈黙は破られた。
「俺さ、女たらしなのかもしれない」
「どうして?」
自分のことなのにわからないの?
「ずっと、好きだった奴がいたんだ」
そして、蓮君は語り始めた。
「中学生のときにその子のこと好きになって。卒業間際に告白したんだ。その子は学年のアイドル的存在で、皆に慕われていた。そんな子が俺と付き合ったんだ。すると周りからの批判、いじめに近いことまであった。なんでお前が、あいつの傍にいるんだってな。やっとの思いで付き合えてから一年とちょっと。まさか、あいつに他の男がいるとは思わなかった。この前、他の男と歩いているところを見てしまったんだ」
蓮君は悲しそうな目をしている。今にも泣いてしまうんじゃないかっていうぐらいに。
「あいつは俺に泣きながら謝ってきた。だけど、俺はその裏切りを許せなかった」
俺は心の狭い奴だと、蓮君は続けて言う。
「そんなことないよ。蓮君は女たらしなんかじゃないよ」
私がそう言っても、蓮君は首を横に振るだけだった。
「だけどさ、この前みどりと出会ったとき、俺一目惚れだったんだぜ? なんか、急に心が暖まったんだ」
「え?」
どうしてか分からないけど、と蓮君は続けて言う。
「だから今度は、俺がみどりの心を暖めてあげたい」
そういわれて、私の心は揺れた。
このまま私が、祐太のことを好きだとしても幸せになれないかもしれない。いや、なれない。
私は嫉妬しやすい体質。彼女と手を繋いでいる悠を見て、本当は泣きそうになっていた。
「……考えとくよ」
私はそう言って、まっさきに観覧車から降りた。
その日のデートはそこで終了。
少し短くて、なんか心が震えたデートだった。
帰り道。
私は一人で路地を歩いていた。
ここは私の家に行くために、一番近い道。
そして、ここに来ると色々と考え込んでしまう。そう思わしてしまうような風景。
今日あったこと、祐太のこと。
蓮君が女たらしじゃないことは良く分かった。私のことも本気で考えてくれているみたいだ。
「でも……」
私は祐太のことを忘れられるのだろうか?
この10年間の想いを、蓮君に全て託すことが出来るのだろうか?
怖い。
怖い、怖い、怖い。
今のまま、私が崩れてしまうことが。
祐太を好きじゃなくなることが。
「好きなのに」
どうして分かってくれないのだろう?
どうして私はもっと素直になれないのだろう。
そんなことを考えているときだった。
私の目にあの人が映る。
「祐……太」
上を向いて歩いていた祐太は、私の声に気付くとすっと目線をこっちに向けた。
「み、どり」
気まずそうに私の名前を呼ぶ。
そんなにも会いたくなかったのだろうか。
……もういい、帰ろう。
そう思って、祐太の横を通り過ぎようとしたとき、声をかけられた。
「今日のデートはどうだったよ?」
そんなこと何で聞くの? そんなに私を苦しめたいの?
「あんたのせいで最悪だったわ」
率直な意見を言葉にして返す。本当に今日のデートは最悪だった。
「あんたはあの子と仲よさそうだったわね」
お返しのように私はそう言い放つ。あまり彼女に触れて欲しくなかったのか、祐太は嫌そうな顔をした。
「……別に」
そんなに彼女が好きなら、私に話しかけないでよ。もしかしたら、嫉妬するかもしれないでしょ。
……。
自分で思って悲しくなった。
分かっているのに、どうしてだろう? 涙が出そうになる。
こんなとき、蓮君だったら慰めてくれるんだろうな。
蓮君が私の彼氏なら……。
そう思った次の瞬間、私の口からは思いもよらない言葉が漏れた。
「私も蓮君と付き合おうかな」
自分で言って、自分でビックリした。こんなことを言うつもりじゃなかった。
「……は?」
祐太は目を見開かせる。
「止めとけ」
そして、静かな声で言った。
祐太にそういってもらえるのは、私にとって嬉しいこと。なのに、今は嫌味にしか聞こえない。
「あんたに止められる覚えは無いわよ」
そして、私は怒りを言葉にかえた。
「私が誰と付き合おうと、あんたに関係ないじゃん」
「関係ないだと……?」
関係ないはずだ。私がどうなろうと、祐太は私のことが嫌いなのだから無関心のはずだ。
「関係ないでしょ?」
「関係あるんだよ!」
なのに何故、貴方はそういうの?
「関係ないのよ!!」
「あるんだよ!」
「何であるのよ!?」
私は意地になって思いっきり叫んだ。
しかし次の瞬間、いきなりの静寂な時間がやってくることになる。
彼の発する言葉が、天と地を逆さにさせたような言葉だったから。
「お前のこと好きだからに決まってんだろ!」
――――――す、き? すき? 好き?
「……は?」
本当に、信じられなかった。
彼はなんと言った? 私の事が好き?
いや、聞き間違えだ。きっとそうだ。
「……え」
祐太の間抜けな声が私の耳を捉えた。その声で少し正常な思考が戻ってくる。
いや、確かに聞こえたはずだ。
私のことを好きだと。
今一度確認したい、彼の言葉を、本当の気持ちを。
「す、き?」
「え、あ……」
……どうなの、祐太?
「わ、りぃ」
彼は私の顔を見ずにそう言って走り去っていってしまった。
追いかけることも出来ず、ただ私は祐太の背中を見続けた。
彼の言った言葉が真実だと信じて。