緑の恋色(2)
「人は愛をさけぶぅ!! へいっ!」
音が響きわたるこの部屋の舞台で、莉奈はノリノリになりながら歌を歌っている。
私は曲選びのため、本を開いていた。
「ねぇねぇ」
愛白が私の服をちょんちょんと引っ張る。
「どうしたぁ?」
「楽しい?」
「うん、ありがとね愛白」
私は愛白に向かって、最大の笑みを向けた。
「次、みどりじゃない?」
莉奈は歌い終わったのか、マイクを私に渡してきた。曲名を見ると、私が数分前にいれたものが表示されていた。
それを見て、私は立ち上がる。
少し、努力してみよう。ちょっとだけ、努力してみよう。
祐太を忘れる努力を。
「みどり、うたいます!」
私は心の中でそう決めて、声を張り上げた。
「ちょっとトイレ行ってくるね!」
あれから数時間。私はトイレに行くために、席を立った。
トイレも終わり、部屋へ戻る道の途中、目の前に見知らぬ男の人が立っている。
……だれ?
そう思ったときには腕を握られていた。
「な、なんですか!」
「姉ちゃん、美人って言われない?」
意味の分からないこの男の人の言葉。
美人? 私は生まれてから一度も告白なんかされたことないんですけど! その事実が、私の容姿を語っているでしょう?
「ねぇ、俺と遊ぼうぜ? あそこの部屋で他の奴等もいるんだよねぇ」
見た目は20代前半といったところか。
「嫌です。離してください」
私は必死に抵抗する。こんなときに限って、誰もこの道を通らない。
「ほら、行こうよ」
女の私が、男の力に勝てるわけも無く、ずりずり引きずられるように、どんどん男の言った部屋が近づいてきた。
たすけて……。
助けてよ、祐太!!
「やめろよ!」
廊下に響き渡ったその声は、私の聞いたことがあるものだった。
「なんだ、てめぇ……」
「その子から離れろよ?」
「この糞ガキが!」
私の腕を掴んでいた手の力が少し弱くなった。私はそれを見逃さず、すかさず男から離れる。
「おいっ!」
男は叫んだものの、私を追いかけようとはしなかった。
「ちっ、気分わりぃ……」
そう言って、男は部屋へと戻っていく。私は張り詰めていた恐怖を解放すかのように、息をふぅともらした。
「大丈夫か?」
「ありがとうね、蓮君」
私を助けてくれたのは、隣の席の男の子。茶木 蓮だった。
噂の聞くところでは、女たらしらしい。だけど、結構近くにいる私はそんなことを微塵も思ったことは無い。
「早川さん、怪我は無いか?」
心配そうに、私の腕を見る蓮君。彼は学校でも色々と優しかった。消しゴムを忘れた私に、一日貸してくれた。もう一個持っていると思っていたが、どうやら一つしか消しゴムを持っていなかったらしい。
自分を犠牲にしてまで、人に優しくできるいい人なのだ。
「うん、大丈夫。せっかく助けてもらったのに、早川さんって呼び方何か赤の他人みたいじゃない? 嫌だなぁ。みどりって呼んでよ?」
私は優しい蓮君に微笑みかけた。蓮君は軽く頷いて、私を莉奈たちのいる部屋まで連れて行ってくれた。
ドアを開けると、莉奈と愛白は私たちのほうに視線を向た。
「あれ、茶木君?」
莉奈は歌うのをやめて、入ってきた私とその後ろにいる蓮君の顔を見る。
「な、何かあったの?」
状況についていけていない愛白がそう聞いてきた。
「えっとね……」
そして、私は今さっきあった事を話した。
「え~!! みどり大丈夫だった!?」
マイクを片手に、莉奈は私の話が終わると駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫だよ」
私はニッコリ笑うと、莉奈は安心したかのようにマイクを机に置く。
「茶木君、ありがとね?」
莉奈は蓮君に軽く頭を下げた。
「いや、俺はただ通りがかっただけだから。それより、帰り道とか気をつけろよ?」
蓮君がそう言って、部屋を出ようとしたとき、莉奈の不敵な笑みが光った。
「ねぇ茶木君」
「何?」
莉奈の声に反応して、蓮君は振り返った。
「一緒に遊ぼうよ?」
……は?
「え、悪いって! 蓮君も、友達ときているんだし……」
「いや、俺は大丈夫。友達も一緒でいいなら、遊ぼうぜ?」
蓮君は軽く莉奈と私に笑みを向けると、一言私たちに残し部屋を出て行った。
「ねぇ、何であんなこと?」
今まで私は0に等しいほど男の友達と遊んだことが無い。
「楽しそうじゃん?」
莉奈は悪気も無いような姿で、再び曲を入れて歌い出した。
こんなところ祐太に見られたら。
一瞬そんなことを考えてしまった。私が誰と遊んでいようと、多分彼は何も反応しない。分かっているのだけれども、私は落ち着かなかった。
「おまたせ」
蓮君は2人を連れて、この部屋に入ってきた。
私たちの部屋は、3人にしては余るほどの大きさで、蓮君たちを含めた6人で丁度いいぐらいの大きさだ。
それから少し、自己紹介タイムが始まる。それが終わると、莉奈はいつものように歌い出した。
「ねぇ、みどり」
蓮君は私の隣に腰を落とすと、私に話しかけてきた。
「何ぃ?」
「あのさ、赤原と付き合っているの?」
「はぁ!?」
莉奈が歌っている最中だというのに、私は大声をあげてしまった。
「そんなわけないでしょ!」
私は駄目な女なのだから。
「そっか……」
蓮君は何かを思いついたような顔をすると、小さく私の耳元でありがとうと呟いた。
カラオケも蓮君達が来てから2時間で終わり、私達は帰路へつこうとしていた。そんなとき、莉奈は小悪魔のような可愛らしい笑みを向けて私にこういった。
「みどり、茶木君と一緒に帰れば?」
「なんでよ」
男と二人で帰るなんて言語道断。私の家の近くには、祐太の家があるのだ。
「だって、また危ない目に会うといけないでしょ? だから茶木君、送っていってあげてくれない?」
「みどり、送ってくよ」
蓮君も、悪乗りしないでよ!
「い、いいって!」
蓮君は笑いながら私の手を掴んだ。
「さぁ、帰ろうぜ。お姫様」
にこっと笑った蓮君を一瞬カッコイイとか思ってしまった。
「あ、ありがとう」
素直な気持ちを蓮君にぶつける。意外だったのか、蓮君は少し驚いた表情をした。
帰り道。
祐太と一緒に学校へ行くことはあるが、こんな状況で男と二人で道を歩いたことは無い。
「ねぇ、赤原のこと好きなの?」
帰り道、長いこと沈黙が続いたかと思ったら、蓮君が急に口を開いた。
それは、私があまり他人から聞きたくない人の名前。
「別に、好きじゃないよ……」
「そっか」
あまり深くは追求してこない。それにして、どうして蓮君は祐太について聞いてくるのだろうか? 何か因縁でもありそうだ。
「ねぇ」
私がその疑問をぶつけようとしたとき、蓮君は口を開いた。
「恋をさ、諦めるのって辛いよな」
私の心を確実に突いたその言葉。どうして、今それを言うの?
「……辛いよね」
私は蓮君に賛同した。
「赤原のこと諦めきれないんだろ」
そこで、また彼の名前が出る。
私は何も答えられずに居た。その場で足を止めたまま、地面に顔を向ける。
それは、私が泣いている証拠でもあった。
「別に、諦めろとは言ってねぇよ。席が近いから俺は分かるだけさ。だけど、あまり執着しすぎると、これからが辛いと思わないか? ちょっとずつでいい。一緒に違う道を探していこうぜ?」
なぜ、彼はこんな言葉を私へ向けたのだろう。
「なんで……」
私の声はもちろん、泣き声だった。
「なんでそんなこというの……」
好きだから。
そっと私の耳に入ってきた蓮君のその言葉は、優しい響きをしていた。