紫の恋色(2)
家に着くと、私は直ぐに自分の部屋へと向かった。何も考えたくなくて、私はベッドの上で目をつむる。このまま寝ていけば、今このあったことが嘘だったんだって思えそうで。
だけど、私の心は眠ることを望んでいなかった。その証拠に、私のポケットに入っている携帯に手が伸びた。
もう、聞くしかない。
信じるか、信じないかなんて、全て彼の言葉に任せよう。
私は目を開けずに、彼に電話をかける。怖かった。手が震えた。
長いコール音。もしかして、奥さんの前だったのだろうか? それとも、友達と飲みにでも行っているのだろうか。
諦めてきろうとしたとき、耳に入ってくるはずのコール音が途切れる。
「……なんだ」
冷たい声。いつもと違うのははっきりと分かった。
「あ、あのね」
私が話しかけようとすると、電話の向こうにいる彼は大きくため息をついた。
「もう、あの男はお前のところに行ったのか。なら、話が早い。俺と別れろ」
いきなり宣告された彼との別れ。驚きで、私は言葉を喋ることが出来なかった。
「お前とは遊びだった。俺にも奥さんがいるからな。もう、俺の前に姿を現すな。分かったな」
「や、だ!」
「うっせぇ!」
「知っているよ。青木君にそう言えって言われているんだよね? 本当は私のこと大好きなんだものね?」
「ちげぇよ。お前とは遊びだったって言ってんだろ! もう、しつこいんだよ。そろそろ潮時だって思っていたから、丁度いいころあいだ。もう俺に近づくな」
「……知也。私嫌だよ」
「その声きめぇんだよ」
知也のその言葉を聞くと、プツンと音を立てて電話が切れた。
「知也、知也!」
現実を受け入れられなかった。私の耳に入ってきた全ての言葉を否定したかった。知也はこんなに冷たくない。
もっと、優しいお父さんのような人だった。
「い、や……」
愛が欲しい。どうして、皆私を見捨てるの?
涙が止まらない。もう、嫌だ。こんな世界。
『五十嵐さんが欲しいのは、そんな愛じゃないだろ!』
青木君の声がリピートする。
じゃあ、どんな愛が欲しいって言うの? 私は、ずっと氷水のように冷たい生活をしてきた。愛が無かった。
父はいない。母は私を他人だと思っている。
温もりが欲しかっただけなのに。
あの日、私が悲しんでいるところに、優しい知也がこの私に温もりという愛を与えてくれた。
『もう、泣かないで。ほら、行こう』
あの笑顔は確かに本物だった。偽りなど無かった。
「うるさいわよ……」
未だリピートする青木君の言葉。
「うるさいって言ってるでしょ!」
止まらない。この言葉の意味など分かりたくない。
私が欲しいのは、温もりだけだったのに。
あれから数日がたった。
学校には行っていない。行けるはずが無い。学校には青木君がいる。あんなことを言った青木君がいる。絶対に、学校では泣きたくない。
しかし、時間の流れとともに心が少しずつ軽くなっていくのは分かった。
ブルルルル。
マナーモードにしていた携帯が、我を示すかのように振動している。どうしたのだろう。
携帯に恐る恐る目を向けると、そこには大親友の桃子の名前があった。
メール?
――紫織体調大丈夫? 私は元気だよ! って、聞いてないか(笑) 今日、体調がよければ一緒にご飯食べに行こう? その、いつもお世話になっているし、色々聞くよ?
メールを読むと、自然に笑みがこぼれた。桃子が、このメールを必死に打っている姿が目に浮かぶ。
昔から、桃子は私と一緒に居てくれた。大事な大事な友達。
返信ボタンを押して、私は携帯を打ち込む。
――体調は大丈夫だよ。じゃあ、新しく出来た駅前にあるパフェ屋さんへ行くわよ。
送信っと。
携帯を閉じ、私はベッドへゴロンと転がった。
すると、すぐに携帯が再び震える。
――じゃあ、今学校帰りだから、17時ぐらいに駅に集合でいい?
私は、了解とメールを打ち、返信した。
「服、選ばなくちゃね」
今の時間は16時前。あと1時間以内には家を出なくてはいけない。
「あ、お風呂入らなくちゃ」
昨日お風呂に入っていないことに気付き、私は服をもってお風呂場へと向かう。
このあと、1時間後、あんな事件が起きるとは思わずに。
家を出て数十分。駅までもう少しというところで、目の前から少しちゃらけた人たちが歩いてきた。
私は、昔からこういう部類が嫌いだ。自分が一番だと思い込んでいて、何事も思い通りにいくと思っている馬鹿だ。
その男達を見てため息をついた。
すると、先頭を歩いていた男と目が合った。ヤバイ、そう思ったときには遅く、声をかけられていた。
「ねぇ、君可愛いね。お茶しようよ」
「結構です」
私はそう言って、歩き始めると、後ろの二人に壁を作られ、先へと進めなくなっていた。
「どいてください」
そういうと、男達は何がおかしいのか笑い始める。
「威勢いいね、お姉ちゃん。気に入ったよ。ほら、行こうよ」
ギュッと腕をつかまれ、私は腕を振りほどいた。
「や、やめてください!」
「えへへ、本当に可愛いな。俺の彼女にならねぇ?」
最初に話しかけてきた男が、私に顔を近づけてそう言ってきた。
「おいおい、お前は今彼女居るだろ?」
「いいよ、あんなの。別れるからさ、俺と付き合おうよ、ね?」
気持ち悪い顔が近いわ。勘弁してほしいものね。
「結構です」
私は、目的地とは逆のほうを向き歩き始めた。
「ちょっと待てって」
再び、腕を掴まれる。勘弁してよ、本当に。
もう一度、腕を振りほどこうとしたが、今度はしっかりと掴まれていて、男の手は私から離れなかった。
「逃がさないよん」
気持ち悪い笑顔を浮かべ、男はそういう。
「離してください」
私は真剣に言うが、目の前の男と達は笑いながら対処してくる。
「ほら行こうね」
そして、ズリズリ引きずられるかのように、私の腕を引っ張って歩き始めた。
「嫌っ、やめて!」
怖い、怖い。
やめて、離して。
助けて……誰か!
目をつむって、助けを求めると、すっと私の耳に聞いた覚えのある声が入ってきた。この声は、聞きたくなかった。
私のその心の言葉を察したかのように、男と私の間に入った彼が呟く。
「ごめんね、五十嵐さん」
と。