青の恋色(3)
「なんだ?」
言葉を発したのは、知也の方だ。そいつの顔を睨みつける。
「なんだよ? お前みたいなちびっ子が、俺達相手にかつあげでもするのか?」
ニヤニヤ笑いながら、近寄ってくるのは知也の友人と思われる人。
「黙れ」
しかし、こいつも許せない。
あの五十嵐さんを、回せだと? 信じられない。
「あれぇ、怒っちゃかなぁ?」
近寄ってきた奴に、俺は再び睨みつけた。
「おっと、怖い怖い」
あきらかにからかっている。そんなことに、俺は今更腹など立てなかった。
ただ、許せないものがそこにあったから。
「五十嵐 紫織って知っているか?」
そう呟くと、知也とその友人は一瞬目をあわした。まさか、この話題が出てくるとは思わなかったのだろう。
「知ってたら、どうかするのか?」
知也がそういう。
「別れろ」
俺の言葉に、知也は笑い出した。馬鹿じゃないのかと、言わんばかりに。
「なんで、てめぇに言われて別れなきゃいけねぇんだよ? あ、もしかして、お前、紫織の事が好きなのか? それならそうと早く言えよ。お前も金さえ払えば、好きなようにさせてやるからさ」
笑い続けている知也へいっきに近づくと、俺は拳を振り上げ、おろした。
バンッ! という男が、この暗闇の中響き渡る。
「いって! てめぇ、何するんだ!」
「おいおい、大丈夫かよ。そんなお子様に吹っ飛ばされるなんて、お前も鈍ったなぁ。昔は、喧嘩慣れした高校生だったくせに」
「うっせ。ちょっと油断しただけだ」
未だに地面に座っている知也を、俺は無言で見下ろしていた。
「けど、殴っちゃうのはいけないなぁ。警察に通報しちゃおうかなぁ」
ニヤニヤ笑う声が後ろから聞こえてくる。
「したけりゃ、すればいいじゃん。だけど、俺の目の前に座っているこいつの人生は終わる」
「は? 何言ってんだよ」
「五十嵐さんはまだ高校生。18歳に満たない若者だ。そいつに手を出したとしたら、国に罰せられる。何より、こいつは妻子もちなんだよな。奥さんがこの話聞いたらどうなるか。それに、会社もその話を聞いて、何も処分しないわけが無い」
「おいおい。そんなこと言っちゃうのかよぉ。誰も、お前の言うこと信じないぞ」
俺は振り向き、おもむろに携帯を取り出す。
やはり、俺はあの時冷静だったのか、よく考えると分からなくなっていた。
「携帯の録音機能って便利だよね」
再生ボタンを押すと、さっきのコンビニでのこいつらの会話が音を発して流れる。
「て、てめぇ」
「これは紛れも無い証拠と言えるんじゃないのか? お前が五十嵐さんの前で土下座をして、別れたらこれを処分してやろう」
「脅しか? それは」
後ろから誰かが立ち上がる気配がした。
「もっと人気のあるところで話し合いをするべきだったな!」
知也はそう叫ぶと、俺の両腕をガッチリ掴んで逃げられないようにした。さすがは男の力というところか。かなり力強い。
「携帯、壊させてもらうぜ!」
目の前にいる知也の友人の拳が、ものすごい勢いで近寄ってきた。
しかし、焦ることはない。
自分の心に言い聞かせて、その拳を受ける覚悟をした。
ゴンッっと鈍い音がするとともに、俺の脳が揺れるのが分かった。
しかし、手にある携帯を誤って落とすことは無い。
血の味がする。
口内にたまった唾と血を一緒に、目の前にいる男へとかけた。
「て、てめぇ……」
もう一度、男は拳を振り上げた。
今度は、怒りのあまり、その動作が大きい。俺は、油断していた知也の足を踏むと、すぐさま腕をほどき、目の前にいる男に体当たりをする。
その衝動で、俺もその男も地面に転んだ。
そのまま、俺は馬乗りになり、目の前にいる男の顔面に拳を一発振り下ろす。こんなんじゃ済まされない。
俺の怒りは頂点に達していた。
もう一発入れたところで、後ろにいる知也が俺を蹴ったのだろう。わき腹に痛みが走った。
「いい加減にしろよ、ガキが……」
「てめぇも、人のこと言えないぐらいガキだろ。女の子をもてあそぶなんて、大人がやることじゃねぇよ!」
その言葉に反応して、知也は俺の顔面めがけて拳を放った。しかし、そんな大振りが俺に当たるはずもなく、軽く体を横にずらし避けると、今度は俺が知也の胸倉を掴んで頬に一発ぶち込んだ。
そして、蹴りを腹に入れると、俺は知也を突き倒した。
「土下座しろ。五十嵐さんに謝るんだ。そして、別れろ。そしたら、この件は水に流してやる」
「てめぇなんぞに言われなくてもな、あんなガキ、お前にくれてやるよ! 俺には可愛い可愛い奥さんがいるんだからな!」
五十嵐さんのこと“あんなガキ”と言ったこいつを、もっとボコボコにしてやろうかと考えた。
しかし、俺の拳も限界に来ている。これ以上人を殴ったら、使い物にならないかもしれない。
「五十嵐さんは……あんたの事が大好きだったんだ。不倫だって、なんだって、五十嵐さんは、あんたのことが大好きだったんだ!」
それだけ呟いて、俺はその場から離れた。
人を殴った手の痛みが残る。
心の痛みも残る。
こんなことをして、彼女が喜ぶはずが無いと知っていたからだ。
月が照らす夜道を、俺は人生のどん底にいるかのような姿で歩いていた。