桃の恋色(4)
「おいひぃ!」
青木君に連れて来てもらったケーキ屋さんは、最近出来たというお店だった。あの、甘いもの好きな紫織でさえ、この情報は知らなかった。
青木君って、やっぱりすごい人なのかも?
「よかった、喜んでもらえて」
目の前で、渋めのコーヒーを飲んでいる青木君に、私は今一度惚れ直した。やっぱり、カッコイイし、優しい。
こんなにいい人は、世界でもそうそう居ないだろう。
「それで、五十嵐さんと何かあったの?」
さっき、紫織の愚痴ばっかり言ったせいか、青木君はどうやら、私と紫織が喧嘩をしたと勘違いしているみたいだ。
もしかして、慰めてくれるためにここへ連れて来てくれたのだろうか?
「ううん。紫織がね、大好きな男の人と、今日やっと遊べるからって、私との約束を破ってまで遊びに行っちゃったから、ちょっと嫌だっただけなの。あんな愚痴ならべて、ごめんね?」
「そ、うなんだ」
青木君がニッコリと笑った。しかし、それにはどこか、不自然さを感じた。
もしかして、私が親友の悪口を言っていることに対して、怒っているのだろうか? それもそうだ。陰口をいう女は最低に決まっている。青木君が、愛想を尽かすのは自然の行為なのだ。
「やっぱり、愚痴言う女って最低だよね。ごめん、忘れてください……」
青木君に嫌われたと思うと、胸が苦しくなって私は泣きそうになった。
「え? 別にそんなことないよ。俺だって、祐太の愚痴を皆に言って回っているようなもんだし。大好きな彼氏のことを、女友達の前で愚痴ることってよくあるでしょ? でも、あれは自慢に近い行為なんだ。聞いているほうは、愚痴を聞かされてイライラしているんじゃなくて、自慢されているからイライラするんだと思う。だから、岸さんが愚痴りたくなる気持ちも分かるよ」
青木君のその言葉は、紫織の行動を考えると分かる気がした。さっきまで、愚痴を言っていたはずなのに、いつの間にか知也さんとのラブラブ話になっているときがある。
確かに、あれはイライラするね。
「じゃあ、怒ってないの?」
「うん。大丈夫だよ?」
青木君のその言葉を聞いた瞬間、私の目からは涙があふれ出てきた。
「え、え? 大丈夫? どうした?」
いきなり、目の前で泣き出したら、誰だって心配するだろう。だけど、その当たり前のことすら、私には嬉しく思えて仕方が無いのだ。
「ありがとう」
私がそういうと、青木君は頭を撫でてくれた。手で顔を覆っているから分からないが、きっと彼は今も微笑んでいるに違いない。
「五十嵐さんの彼氏さんって、いい人なの?」
撫でる手が止まり、青木君は質問をしてきた。
「う~ん。いい人とはいえないと思う。男としては、最低な人だからね」
「え? どうしてなの?」
これは言っていいのか、どうなのか悩んだ。
確かに、不倫という行為は許されるものではない。ましてや、17歳の高校生に手を出す大人だ。
だけど、逆も言える。
17歳の女子が、結婚している大人の男に手を出した。
私はさっき、知也さんのことを、いい人とは言えないといってしまった。ということは、逆に考えると、紫織も……ってことになってしまう。
別に、そんなことは思っていないのだけれども、考えて行き着く結果はこうなるのだ。
しかし、さっきの青木君の対応を見る限り、私の気持ちを察してくれるはず。彼なら、信じていいと、私の細胞が呟くように震えた。
「ふ、りん」
「え?」
「奥さんが居る人と、紫織は付き合っているの」
その言葉で、場は時間が止まったかのように固まった。あの、青木君の表情さえも。
「不倫?」
「うん。私は良くないって言っているんだけど、紫織がその彼のことを大好きすぎて……」
「名前は?」
「名前? 知也ってことしか知らないの。でも、どうしてそんなことを?」
私がそう聞くと、青木君は慌てるように否定した。
「いや、なんでもないんだ。変なこと聞いちゃってごめんね?」
「大丈夫だよ。それよりもね、私ちょっと前に……」
どうしてか分からない。なんで、私はこんなにも紫織と不倫の話題を変えたかったのか。
だけど、私の心のどこかでこの話題を避けなくてはいけないと、叫んでいる気がした。
きっと、優しい青木君のことだ。次の、私の話題にきっちり笑顔でついてきてくれるのだろう。
「五十嵐さんは、その人のことが大好きなんだよね?」
しかし、私の期待を裏切るかのように、青木君は口を開いた。それも、私が話している途中に。
「え……」
つい、固まってしまう。もう、触れてはいけない話題だと、私は気付いてしまっていたのだから。
青木君は何も言わず、私をじっと見つめていた。答えを待っているのだろう。
「う、うん。今日も嬉しそうに出て行ったからね」
私がそういうと、青木君は小さく笑う。その笑顔からは、なんとなく悲しみを感じた。
「そっか」
呟いた青木君は、苦しそうに見えた。何かを我慢しているかのように。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。さぁ、ケーキ食べよう」
青木君はいつもの笑顔でそう言って、私に目の前のケーキを勧めてきた。
また、私も青木君同様、心が苦しくて、泣くのを我慢していた。
どんなに鈍い私でも、この頃にはもう気付いていた。
青木君の気持ち。
そして、また紫織がきっかけで私は失恋したのだと。