茶の恋色(2)
「……玲奈」
そっと俺は呟いた。それは、俺がこの世で一番愛した女の名前。
みどりが、本格的に赤原祐太と付き合ったという噂が流れ始めて、もう一ヶ月がすぎようとしていた。
人目があるところでは、今までどおりイチャつく気配のない二人。
みどりはというと、俺に前と何も変わらない接し方をしてくれている。同情なのか、ただの天然なのか。
その辺は、今のところ分かっていない。
「おい、みどり帰るぞ」
その日の放課後、後ろの席からあの赤原祐太が、俺達のいる席へと向かって歩いてきた。もちろん、俺に用事があるわけではない。隣にいるみどりが目的だ。
イチャつく気配が無いとは言ったが、昔と比べてこいつらの関係は一変した。
学校ではよく話すし、最近はよく二人でいつも一緒に帰っている。
こんな光景を見る日がくるなんて、誰が思っただろうか? 今までは、顔を合わすだけで怒鳴りあっていた二人。
それが時には笑い合い、気持ちを確かめる。
そんな二人が正直言うと羨ましい。
噂に聞くところによると、お互いが自分のことを嫌いだと思っていたらしい。なんとも、すれ違いの恋愛なのだろうか。
そしてみどりは、隣の席で恥ずかしそうに笑みを浮かべながら、頷いて教室から出て行った。
「さて、俺もそろそろ……」
女たらしという噂が流れてから、学校で俺の周りには友達と呼べるものがいない。それは玲奈と別れた現在も変わらないことだ。
いつものように、電車に乗って自宅へと向かった。
窓側の席に座り、外を眺める。
もう1年間、俺はこの窓の外を見てきた。
きっと、ずっとこのままこれが続くんだろうな。
なんて、思っていたのに。
「すいません、隣の席いいで……」
まさか、こんな場所で会うとは思っていなかった。
「れ……ん?」
この声の懐かしい響きが、俺の心の中にすっと入ってくる。心が温かくなる現象を一瞬感じた。
「玲奈」
俺は、隣に腰掛けた元彼女を見つめた。
「蓮……」
気まずそうに、俺の顔を見る玲奈。そのまま立ち去ろうと思ったが、玲奈が通路側の席。それの前を通っていくほど、俺の度胸は据わっていない。
「久しぶりだね」
「……あぁ」
出会いたくなかった。
それが、本当の気持ち。
「元気にしていたの?」
玲奈は保護者かのような、優しい声で俺にそう質問してきた。
「元気……だったよ」
だけど、俺からは話を振ることは出来ない。
それは話したくないからではなく、ただ上手く話すことが出来ないのだ。
何を聞けばいいのか分からない。
「玲奈、その……」
男とはまだ続いているのか?
そんな質問が、俺の頭をよぎった。そんなことを聞いてどうすると、自分自身に投げかける。
理解しているつもりだ。
聞いても意味は無い。それは百も承知。
「最近、何しているんだ?」
そして、俺が搾り出した言葉は不確定的なものだった。簡単に言うとアバウト。全てを含めた意味をこめて質問した。
もしかしたら、その問いの答えに男についての情報を得られるかもしれないと考えたからだ。
「最近は、勉学に励んでいるよ。将来、学校の先生になりたいからね」
周りの男が注目するぐらいの、明るい笑みを俺に見せた。
昔から、玲奈は学校の先生になりたいとずっと言っていた。どうやら子供が好きらしい。俺はそんな一途な玲奈を愛していた。
「そっか」
自分から質問したのに、そっけない返事をしてしまった。
それからしばらく、俺と玲奈は会話を交わす。しかし、肝心な男について語ろうとはしなかった。
もう少しで、俺達が降りる駅が近づいてきた。そこを降りれば、多分もうしばらく会うことはないだろう。
「ねぇ、蓮は……その」
そんな時、玲奈はそっと口を開いた。
「今、付き合っている人は居るの?」
唐突な質問。まさか、されるとは思ってもいなかった。
俺が聞きたかった質問を、そのまま俺が聞かれたのだから。
「いや、居ない……」
付き合いたかった人ならいたんだけど。
ふっと、そのときみどりのことを思い出していた。
よく、隣の玲奈を見てみると、やっぱりどこか雰囲気が似ている。
もしかしたら……。
あってはならないことが、一瞬だけ俺の頭をよぎった。
「まさか……」
小さく、玲奈に聞こえない程度に俺は呟いた。
『まもなく―――』
電車の中で、俺達が降りる駅名が呼ばれ、電車がゆっくりとスピードを落としていった。その間、必死に玲奈はメモ帳らしきものに何かを書いている。
俺はそんな玲奈を見ながら、そっと立ち上がった。
「蓮」
すると、名前が呼ばれる。
「何?」
俺は見下ろすように、玲奈を見た。その顔は、本当に整っている。しばらく会わなかった期間で、また綺麗になったのではないかと思うぐらいだ。
「これ、私の携帯の電話番号と、メールアドレス。お願い、連絡して……」
そう言った玲奈の声は、どこか悲しそうな声をしていた。
「俺がすると思ってるの?」
そんな玲奈にかまわず、俺はそう言い放つ。
分かっている、自分でも。俺は冷たい人間だ。仲直りしたいと間接てきに言ってきている玲奈を突き放すのだから。
「蓮……」
玲奈は今にも泣きそうな顔をして、ばいばいと俺に言って立ち去っていった。
『お願い、連絡して……』
そう言った、玲奈の顔が少し忘れることが出来なかった。
玲奈はいつも笑っていて、みんなを明るくさせてあげられる正確なのだ。なのに、あんな悲しそうな顔をするなんて、滅多にない。
昔は。
俺の前で、玲奈が泣いたのは、別れるときだけだった。初めて見たあいつの涙は、俺の網膜にはっきりと焼きついて、今でも忘れることは出来ない。
『許して……』
あの時、俺が玲奈を許していたらどうなっていたのだろうか。
「……」
その迷いが、俺の感情をおかしくさせる。
連絡したい、声を聞きたい。
なぜか、もう一度そう思わせる。
「玲奈……」
駅のホームで、改札へと向かうことの出来なかった俺は、ゆっくりとベンチに腰掛けた。
――――あってはならない。
そう、俺はみどりに恋心を抱いたはずだ。
玲奈の雰囲気に似ていたからじゃない……よな。