茶の恋色(1)
「うん、大丈夫。せっかく助けてもらったのに、早川さんって呼び方何か赤の他人みたいじゃない? 嫌だなぁ。みどりって呼んでよ?」
そう言った、眩しいぐらいの彼女の笑顔を、俺はすぐに思い出すことが出来る。
分かっていた。分かっていたのに。
俺はベッドの上でうつぶせになっていた。
数分前、俺のもとに電話が掛かってきたときの話。
「みどり?」
電話越しの彼女の声は、あまり聞こえてはこなかった。かすかに俺の耳に届くのは、彼女のすすり泣く声。
何があったんだ……?
とてつもなく、嫌な予感がした。
「れ、れんく……」
上手く喋れないみどりの言葉を俺は待つ。
少し間があったと思ったら、今度ははっきりと声が聞こえた。
「ごめん……ごめんねっ……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心はスッと何か晴れた気がした。
好き。
みどりのこと、本当に好きだった。前の彼女に裏切られて、一時期の感情で好きになったんじゃない。
本気だった。
その分、今のみどりの気持ちが理解できる。
俺の頭は理解をしようとしている。
「ごめん……」
みどりの泣き声は止まることはなかった。それから数分間、みどりは俺に謝り続ける。
「みどり……」
俺は大きく息を吸って、言葉を発した。
「俺なら大丈夫だから」
つよがり。そういわれても仕方が無い。だけど、今はこれしかないんだ。ここで俺が泣いてしまったら、みどりは……幸せになれないと思う。
優しい子だから。気遣ってあげられる人だから。
「みどり」
俺は
「なっな、に?」
しゃっくりが出て、上手く喋ることが出来ないのか、つまりながらみどりは俺の言葉に反応した。
「俺の分までさ、幸せになってくれよ」
このときがピークだった。泣く声を抑えて俺はそう呟く。
「ありがとう……」
その感謝の言葉を聞いた瞬間、俺の目からは涙が溢れ落ちた。声を変えてはいけない。もう、さよならを言おう。
俺は一言呟いて、電話を切った。
席が隣のあの子。
噂に聞く、赤原 祐太の彼女と噂されている子。俺はそんな子に恋心を抱いてしまった。
それに、大好きだった彼女の面影がある。
そう思ったのはつい最近のこと。前の彼女と付き合っているときは、他の女なんて気にも留めなかった。
まさか、好きになるなんて思っていなかった。
友人とカラオケに行ったあの日、俺は偶然トイレの帰りに彼女が男に捕まっているのを目撃した。一瞬頭をよぎったのは、痴話げんかだったが、あきらかにあれはみどりが嫌がっていると思って、俺は駆け寄った。
とんとん拍子で彼女との関係が深まっていく。
早すぎた。
そういわれたら元も子も無い。
俺にとっては、遅すぎたも、早すぎたもないのだ。
みどりには、もう赤原 祐太という存在が心の中に染み付いてしまっていたのだから。
これを簡単には剥がせない。そう思った俺は、彼女に告白した。
彼女は一瞬でも俺のあの言葉に救われてくれたのだろうか?
もしそうだったら、俺はもう思い残すことは無い。
「赤原……祐太」
恋敵の名前をそっと呟いてみた。
明らかに赤原は、みどりのことが好きなのだ。俺とみどりが喋っているのを、睨みつけるように見ていたからな。
多分、みどりに彼氏が出来ないのは、赤原のせいだろう。あんなにも睨まれたら、常人の奴に耐えられない。
「今頃、仲直りしているのかな」
みどりから電話がきてから、早30分がたった。その間、俺はずっと自宅のベッドの上で寝転がっている。他に何もする気が起きないからだ。
俺は赤原がみどりのことを好きだと、みどりが赤原のことを好きだと知っていて、あんな言葉を持ちかけた。
一緒に道を探そうって。
卑怯な男だ。これじゃあ、女たらしといわれても仕方が無い。
そう思ったら、急に笑いがこみ上げてきた。
「はぁ……」
一通り笑うと、俺は大きく息を吐いた。どうやら、睡魔が襲ってきたらしい。
「みどり」
好きな人物。
「どうして、みんな俺から離れていくんだ」
辛いだけ。
恋なんてもんは、辛いだけ。
「いつも、こればっかりだ」
好きなのに。
「くそっ……」
涙がそっと、流れ落ちた。
「蓮! 私、私!」
「話しかけるな!!」
俺は声を張り上げた。
それは、高校入学してから二度目の春を迎えようとしていたとき。
「なんで、他の男と歩いていたんだよ! お前、俺のこと遊びだったのか!」
最近、少し付き合いが悪いとは思っていた。だけど、こいつが裏切るなんてことは無いと思っていたのに。
「なんだよ、この仕打ちはよ……」
「ちがうの……」
目の前で泣いている彼女を、俺は一切助けようとしなかった。今まで激しい虐めも耐え抜いてきたのに。
「違わないだろ!」
いくら泣いたところで、お前が男といた事実は変わらないのだ。
「浮気を許せると思うか?」
好きだから。
「お願い、許して……」
好きだから、許せないこともあった。
「別れよう」
その言葉を呟いた瞬間、目の前にいた彼女は崩れ落ちた。