1.出会い
モダンでオシャレな幾何学模様のタイルの道の端々を彩る様に、花壇や周囲の木々が、芽吹き始めている。新緑が暮れていく太陽の明かりに照らされて、綺麗に光り輝いていた。
フラン・オークはその道を、若干の不安を持ちながらも、傍目にはその事を気づかれないくらい堂々とした足取りで歩いていた。
周囲の人間は、近郊では珍しいレトロな雰囲気を醸し出す道を、楽しむかのようにゆっくりと歩いている。しかし、フランは見慣れた光景のためか見向きもせず、人を追い越しながら黙々と歩く。
一歩また一歩と歩く度、しっかり短く整えられた黒髪が微かにフランの頬を撫でる。フランの唇の右上にある大きい黒子がその度に見え隠れした。フランはシックな紺色のジャケットを羽織っているが、今日の肌寒さだと、もう少し厚着をしても良かったと歩きながら思う。
優雅な道並みを抜けると、うす紫色の屋根が印象的な大きな建物の数々が姿を現す。
ここが、フランが勤めている、独身男性のみの役者が所属している歌劇団である『ウォルージア国立歌劇団』である。
フランは、目的地であるウォルージア国立歌劇団の入口にある一層と荘厳な門の前に着く。男性にしては小柄なフランが門に立つと、大きい門がより大きく見えた。
フランは大きく息を吸い、深呼吸をゆっくりと二度ほど遂行する。
周囲に観光客と思われる男性達が複数組いたが、その行動を不審がる者はいなかった。
フランが深呼吸をするのには理由がある。
今日から大役を務めないといけないからだ。
「新人公演の演出家を君に頼みたい」
ウォルージア国立歌劇団の現役演出家であり、演出チームの長でもあるライ・レパルスからこの打診があったのは数週間前の事だ。
「僕でいいんですか? まだ入団して三年目ですが……」
「もちろん。君は仕事ぶりを見ての評価だよ。今度、僕は秋組で演出家を担当する事になった。その舞台の新人公演をオーク君にお願いしたい。オーク君は本公演の舞台演出の補佐をしてもらいながら、学んでもらいつつ、新人公演を演出してもらう事になる。精神的体力的にも厳しいかもしれない。それでも引き受けてくれるかな?」
「はいッ! 精一杯努めます! よろしくお願いします」
あの時は、深々と頭を下げ、決意と意欲を見せたが、正直、フラン自身がこの大役を果たせるのかという微かな疑念が今でも払拭できていない。
深呼吸をして、落ち着いたものの、不安に押し潰されそうになっていた。
――こんなんじゃいけないぞ。
演出家として堂々としないといけない。指示を出す人間が迷ってしまっては演者の気持ちまで迷わせてしまう。両手を顔の方まで持っていき、勢いよく微笑むかって振り下ろした。
パチンと乾いた音が微かに鳴る。
観光客と思われる男性達はやはり見向きもしなかった。
フランは気合を入れて一歩を踏み出す。
今日ここから、憧れの演出家としての道が始まる。
フランは緊張からか禍々しくも見えるようになった歌劇団へと続く門をくぐる。
門を抜けると、より一層と華やかで、緑あふれる道が広がった。
この日のために、綺麗にした革靴が、コツコツと心地よい音を鳴らす。途中、歌劇団専用劇場へと向うか稽古場に向かうか別れる岐路がある。フランはその岐路を右に曲がり稽古場へと向かった。
劇場へ行く道とは違って、小道になり、途端に静謐さが辺りを包む。植えられている植物が多いからだろうか。木陰が寒さをより引き立たせた。
もう少しで、稽古場へ着くかという時だった。
ガサッガサッガサ。
田舎でしか聞かないような動物が林の中を通る音が聞こえてきた。フランは思わずたじろぐ。
今まで何度もこの道を通ってきたが、こんな音が聞こえてきたのは初めての事だった。
音が段々とこちらに向かってくるが、その正体が分からない。
フランが後退しようと一歩下がった時だった。
フランの瞳に飛び込んできたのは、黄金色の綺麗な髪の毛だった。不気味な音に相反した優雅な光景に、思わずフランは息を呑む。フランと同じくらい小柄の人物だった。ふわふわのピンクの花柄のドレスが、地面に華麗に着地した。
驚いて身動きの取れないフランをよそに、人物はスクッと立ち上がる。ドレスは幸いにも汚れていなかったが、可愛らしい白い革靴が土や草の青さのせいで汚れてしまっている。かなり必死に逃げてきたのだと察せられた。
「だ、大丈夫ですか?」
フランは正気を装って話しかけたが、少し高めの声がさらにひっくり返り、甲高くなったのは明らかだった。黄金色の綺麗な髪がゆっくりと隠れていき、顔が徐々に姿を現した。
一切曇りのない透き通った肌。
すっと高い鼻。淡いピンクの唇だが、微かに下唇を噛んでいるのか歪んでいる。
深緑の瞳が、真っ直ぐ、ただ、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
目が合ったフランは瞬間、引き込まれてしまった。
可憐な瞳はうるうると、今にも涙が溢れ、目から決壊しそうになっている。
「お願い……助けて」
「へッ?」
フランの口から言葉とも空気とも分からない何かが出てきたが、その人物は構わず、フランにしっかりと抱く。爽やかな香りがフランの鼻を通り抜けていった。
「……ここから、私を連れて行って」
黄金色の髪の毛が柔らかく、まるで透き通っているようだった。柔らかい手が、フランの身体をさらに強く抱きしめる。小刻みな振動がフランの身体に伝わっていく。どのような思いがあるのかフランには計り知れない。ただ、落ち着いてほしいという思い一心で、フランはゆっくりと人物の身体を包み返した。
「いたぞ」
瞬間、ドスのきいた低い声が辺りに響き渡った。稽古場がある建物の方からだ。草木に囲まれて姿は見えないが、声からガタイの良さを伺うことが出来る。
「さぁ、早く」
フランをしっかり掴んで離さなかった手がスルリと抜けていこうとする。辛い現実から逃げ出したいという気持ちをフランは受け取る。その上で、フランは細い身体をそのまま抱きしめ続けた。
「えっ?」
「ゴメンね」
「早く――」
「一般客なら連れ出してたよ」
「――なんだよッ」
徐々に可愛らしい声が変貌していくのが分かった。フランにとって見慣れた光景だ。
男性にとって、女性らしい声を出すのは難しい技だ。演技し終えた後の聞き覚えのある男らしい声。
凄みがあるが、フランは一向に彼の身体を離すことはしない。
彼は必死に抜け出そうと抵抗する。しまいには、フランの身体を叩いたが、願いは叶わない。
「離せッ!」
先ほどまでの可憐な声がすっかり消えてしまった。彼は悟ったが、それでも、フランを身体を叩くのをやめる気配はない。
「エリシャさん」
「え?」
彼の芸名をフランに呼ばれて、驚いたエリシャはついにフランを叩くのをやめた。
「僕は君が主役の新人公演を演出したいんだ」
「ッ!!」
「悪いけど逃がさないよ」
エリシャの透き通る瞳が怒りと悔しさと驚きに満ちて淀んでいく。
それでも、フランはエリシャを離そうとしなかった。




