無自覚な挑発
昼食後、しばらく中庭でだべっていた僕たちは、予鈴がなってからようやく動き出した。
いつもならそれぞれの教室に戻るけれど、今日は皆が僕と神奈の教室まで付いてきてくれた。僕のお弁当事件を聞いて皆心配してくれているのが痛いほど伝わって来る。申し訳なさを感じながらも、それ以上に嬉しかった僕は、皆の行為に甘える事にした。
神奈は「私がいれば充分なのに、ねぇ優人」と少し不貞腐れたようにしな垂れかかってきた。対外的にはクールで大人っぽい神奈がこうして、拗ねた子供のような姿を見せてくれるのは幼馴染メンバーにだけ、信頼されている事を自然と感じられた。
教室には一真と翔也が先頭になって入っていった。周りを威圧するように見渡す二人に続いて教室に入る。僕を挟むようにして神奈と恵里香も入って来た。クラスメイトたちは学校の人気者が勢ぞろいしてきた事に少し興奮しているようで、ちょっとした騒ぎになった。
けれど、四人の発するただならぬ気配にすぐに意気消沈。一転してお通夜のように暗くなる。それだけこの四人の影響力が凄い事を実感した。
僕の机は教室を出ていく前と変わっていなかった。途中まで拾い集めたおかずの入った弁当箱と、まだ散らばったままの食べ物が落ちている。
僕がすぐに片付けようとすると、恵里香が真っ先に落ちているものを集めてくれた。どこかのお嬢様と言っても通用しそうな容姿をしている恵里香が、床に膝をついて集めているその姿に心を痛めたのか、教室の空気はさらに重くなったように感じられる。
僕もすぐに片付け初めて、三人も手伝ってくれたおかげで、授業が始まる前には片付けられた。わざわざ付いてきてくれた三人には感謝してもしきれない。もちろん神奈にも。
「皆、ありがとう」
「だから気にすんなって」
「放課後、迎えに来る」
「またね優君。神奈ちゃん、頼んだよ?」
「分かってるわよ。てか恵里香、アタシを脅すな」
賑やかに出ていく三人と入れ替わるように教師が入ってくる。タイミングよくそのまま授業に突入して、神奈もいてくれた事もあり、その後は何事もなく午後の時間を過ごすことができた。
「あ、翔也来たよ優人」
「俺が一番乗りか」
「早かったね」
放課後、すぐに翔也が来てくれた。続いて恵里香、一真もそれほど時間が経つ前に集合した。五人揃ったところで席を立つ。
「今日どうする? どこか寄って行くか?」
一真が僕を見て聞いてきた。こういう話に、いつもならすぐに賛成する神奈も今日は何も言わない。皆の気遣いを感じた。
「今日は、帰るよ。いろいろあったから」
「送ってくよ?」
神奈が右手を握って来た。
「神奈ちゃんはいいよ、優君は私が送ります」
恵里香が左手を引っ張る。
「俺がおぶってやろうか?」
ニヒルな笑みを浮かべて翔也が振り向いてきた。
「ちょっと皆! 子ども扱いしないでよ!」
僕がムキになって反論すれば「ハハハッ」と一真が愉快そうに笑う。
つられて皆で笑いながら教室を出た。皆のおかげですっかり余裕が出来ていた僕は、昼前にあった事件の事も、もうあまり気にしていなかった。このまま皆と一緒に楽しく帰る。それで今日も終わりを迎える。そう楽観的に考えていた。
「ッ⁉」
首筋に痛みを感じた。その瞬間には、身体が震えて自分の腕を抱いて、思わず振り向いた。それほど、背後から感じる視線が強烈だった。
教室を出ようとしている僕の背後からの視線。つまりはクラスメイトたちからの視線。けれど、何時もの視線とは違った。蔑んでバカにするようないつもの感じではない。恨みがましい怨念のこもったような視線だった。憎しみのこもった目で僕を見るクラスメイトたちは、同じ人間とは思えないような表情をしていた。
足がすくんで動けない。
異変を察した恵里香が咄嗟に自分の身を盾にして僕を視線から隠してくれた。その隙にすぐ廊下に出る。
「変に気にしない方がいいよ」
「……そ、そうだね」
心配そうに覗き込んでくる恵里香に、何とか言葉を返す。
たぶん、恵里香は気付いていないのだと思う。恵里香が僕を庇ってくれた瞬間。クラスメイトたちの僕を見る視線は、怨みからもっと上の何かに変わったように感じた。
殺す。
呪う。
そんな字が見え隠れする。
あんなに激しいものを向けられたのは初めてだったけれど、僕にはあの視線の持つ意味が理解できたような気がした。ただ守られているだけの僕には分かって、僕を守ってくれていた恵里香には分からない感情。
それは、嫉妬。
部を敗退させてしまった原因で、一真の活躍を台無しにした張本人。戦犯、役立たず、皆のお荷物。それなのに、学校中の人気者たちと幼馴染で、大切にされている。あんな奴が……。そういう感情。幼馴染の中だったら、きっと僕にしか分からない。
思えば、少し皆に甘えすぎたかもしれない。教室に入るだけでも四人が付いていてくれて、帰りの迎えにまで来てくれる。人気者の四人にここまで大事にされているところを見れば、誰だって、なんであいつばかりと、そう思うはずだ。
僕が皆に甘えてしまったせいで、余計な火種を生んでしまったかもしれない事に少し後悔する。
「ほら、行こ?」
そんな事を考えていた僕に手が差し伸べられた。恵里香だった。優しく微笑むその表情を見ているだけで、先ほどの不安が少しだけ和らいだ気がした。
「うん、今行くよ」
恵里香の手を取って歩き出す。一真も、翔也も、神奈も僕を待っていてくれた。皆がいれば何があっても大丈夫。四人の存在は、僕にそう思わせて、自信をくれた。
どうしようもない事を気にしすぎても仕方ない。誰から嫉妬されても関係ない、僕はこれからも幼馴染の皆と一緒に生きていく、大丈夫だ。それでいいじゃないか。
そう考えて、僕は皆と一緒になって家路についた。
それが楽観的すぎる思考で、ただ何の根拠もない自信だった事は、次の日にすぐ思い知らされた。