山吹恵里香
「優くん!」
四限が終了するチャイムが鳴り響き昼休みになった後、まずやって来た幼馴染は、山吹恵里香だった。
幼馴染メンバー三人目の少女。
肩より下まで伸びたサラサラの黒髪。同年代の女子と比べても細く、ともすれば折れてしまいそうな手足。優しく微笑むその表情は、まるでどこかのご令嬢のよう。不健康そうではないが、見ていて少し心配になってしまうような儚げな少女。それが山吹恵里香。
神奈とはまったくタイプの違う少女だけど、恵里香もまた人気者だった。奥ゆかしい大和撫子のような雰囲気に守ってあげたくなるような容姿と、話してみると以外とおちゃめなところもある。一緒にいて楽しい、そんなふうに感じる女の子。
そんな女の子が男子から特別視されているのは、人が自力で空を飛べない事と同じくらい当たり前で、恵里香と一緒にいる時も、男子からの刺さるような視線を感じることがよくあった。
「早いね、あと神奈ちゃんも」
「ちょっと恵里香、おまけみたいに言わないでよ」
やや不機嫌そうに言い返す神奈と、まったく気にしていないように微笑む恵里香。並んだ二人は全てが対照的で、いつも見ている僕でも、油断すると二人が並んでいることに違和感を覚えてしまうこともある。それだけ二人の印象がかけ離れているという事なんだろう。
恵里香は僕を挟んで神奈とは反対側に座り、持ってきたお弁当を広げた。小さくて可愛らしい、女の子らしいという言葉がピッタリのお弁当だった。じっと見ている僕に気が付いたのか恵里香が顔を上げる。
「優君、お弁当は?」
その問いに、僕はすぐには答えられなかった。先ほど教室で見た光景が脳裏に浮かぶ。ぶちまけられていた自分のお弁当。あの惨状を正直に伝える気にはなれなかった。
「今日は忘れ」
「捨てられてた」
僕の言葉を遮るようにして神奈が言った。お弁当を広げていた恵里香の手が止まる。その顔からは優しい微笑みが消え去っていた。
あるのは能面のような無表情。
その顔をみているだけで、いつもの儚げ名少女はどこにもいない幻で、恵里香が本当は何か得体の知れないもののように見えてしまう。
「どういうこと?」
「トイレに行って戻ってきたら、もうぶちまけられてた」
「……神奈ちゃん、何やってたの?」
その声に思わず鳥肌が立った。恵里香がいる側の腕の毛が一気に逆立つ。恵里香が怒っている。僕は慌てた。
「待って恵里香! 神奈は僕を心配して付いてきてくれてたんだ! 悪いのは油断してた僕だよ!」
神奈を庇うように身を乗り出して恵里香の顔を真っすぐに見つめる。見開かれた真っ黒な目に吸い込まれそうな気がする。のまれてしまいそうになるのをグッとこらえて目をそらさない。
「……そっか、それなら仕方ないね。あと、悪いのは優君じゃなくて、お弁当を捨てた誰か、でしょ?」
「う、うん。そうかもね」
恵里香の顔に表情が戻った。ふわっとした笑みを浮かべて「辛かったね」と言って、そっと手を重ねてくれた。神奈の暖かい手と違って、ひんやりとした冷たい手だった。
儚げな笑みを浮かべる恵里香を見て少し安心する。僕が落ち込んだ時、恵里香はよく手を握ってくれたり、頭を撫でてくれた。気恥ずかしさはあるけれど、それで不思議と心が落ち着いてくる。
あの時、僕がサッカー部の頑張りを無駄にしたあの時。チームメイトですら来てくれなかった僕の元に、真っ先に駆けつけて来てくれて抱きしめてくれた恵里香。その行動は消えてしまいたかった僕を繋ぎとめてくれた。優しい恵里香には、助けてもらってばかりだ。
ただ、怒った恵里香はすっごく怖い。
身体も小さいし、その体格から想像できる通り、力もあまりない。それなのに、恵里香が怒ると何か得体の知れないものを相手にしているような気分になる。そうなると幼馴染メンバーの誰もが恵里香には頭が上がらない。
まぁ滅多に怒ることもないし、すぐに穏やかな恵里香に戻ってくれるから、後を引くようなことはないのだけれど、今ももう先ほどまでのピリピリとした空気は霧散している。
「何も食べないのは身体に悪いから、私のお弁当を一緒に食べようね」
恵里香は自分のお弁当から卵焼きを箸で取り上げると、手を添えて僕の口元に運んできた。いくら幼馴染とはいえ、流石に恥ずかしい。、初めは遠慮することにしたけれど、笑顔のまま無言で差し出し続けてくる恵里香に負けて、僕は口を開けた。
恵里香が優しく卵焼きを口に運んでくれる。好みの甘さでかなり美味しかった。
「優君、どう?」
「……けっこうなお手前で」
「ふふ」
続いてご飯を少量、次はミニトマト、気が付けば僕は差し出されるままに口を開ける機械みたいになっていた。
「恵里香~。私にも、ちょ~だい?」
物欲しそうに上目遣いで猫なで声を出す神奈。下から覗き込むような体勢で、強調された谷間が制服の胸元から見え隠れしている。男なら一発なそのお願いを、恵里香は笑って無視し、僕の口にまた食べ物を運んできた。
親鳥に餌をもらう雛はこんな気分なのかもしれないと思う。
餌を貰えなかった隣の雛は、恨めしそうに僕と恵里香を睨んでいた。




