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栗原神奈


 顔を上げると、そこにいたのは想像通りの人物だった。


 カーキベージュの目立つ色の髪。女子にしては少し高めの身長に、制服の上からでも分かるスタイルの良い身体。普段はきつめの目元が、今は優し気に緩んでいる。


 栗原くりはら神奈かんな


 幼馴染メンバーの二人目。幼馴染の中では唯一同じクラスの女の子。


「おはよう神奈」

「ん、元気?」

「うん! 一真がいてくれたし、神奈も来てくれたから」


 笑顔を見せると神奈は微笑んで頭を撫でてくれた。暖かい掌から伝わって来る熱が心地いい。


「おせーぞ神奈!」


 一真が割って入るようにして神奈を睨みつけた。


「うっさいよ、てかそこどけ!」


 神奈も負けずに睨み返している。そのまま僕の前の席に座っている一真を引っ張り立たせて、神奈は自分の席についた。そう、僕の前が神奈の席だ。


「んだよ、力強すぎだろ。ホントに女か?」

「もう一回試す?」

「いや、冗談」


 もう何回見たかわからない、いつものやり取りを始める二人。喧嘩腰の二人だけど、いつも一真が神奈に負けて終わる。そのいつものやり取りが、今の僕には何よりも安心できるものだった。


「さてと、授業始まるし、オレはもう戻るわ。神奈も来たしな」


 一真が神奈から逃げるように距離を取って言った。


「わざわざありがとうね一真」

「気にすんなよ、オレ達の仲だろ」


 明るく笑ってくれる一真。僕を元気づけようとしてくれている事は痛いほど伝わって来た。


「神奈、お前優人から離れんなよ」

「分かってるっての、いいからアンタはさっさと教室に戻りなよ」

「なんだとぉ? オレはなぁ優人の事が心配で」

「優人ならアタシがいるから平気よ。ねぇ優人?」


 そう言って神奈は僕を後ろから抱きしめて来た。こういうボディタッチをあまり気にしない神奈に、今では慣れたつもりだけど、やっぱりいろいろと恥ずかしい。


「か、神奈、離して」

「え~何気にしてんのよ、アタシらの仲でしょ?」


 わたわたしている僕たちを見かねたのか、神奈に怒っていた一真は脱力したように肩を落として教室から出て行った。一真に気を遣っていたであろうクラスメイト達は、気が緩んだように息を吐いている。


 それでも、すぐに僕にまた嫌がらせをしてくる事はない。今は神奈がいるからだ。


 神奈も一真とは違う層からの人気者だった。一真は男女ともに人気があるけれど、神奈は特に男子からの人気が高い。理由は言うまでもなく、その容姿。女性的な魅力にあふれている神奈は、同年代の女子たちに混じっていても、存在感が際立っている。


 そんな神奈の周りにも以前は人が沢山いた。けれど、その関係を捨ててまで、神奈も僕の傍にいる事を選んでくれた。今では周りに自分から敵対して、常に僕の傍で目を光らせてくれている。


 神奈に抱きしめられている僕に、今はさっきまでとは違った意味で、男子から恨みがましい視線が飛んでくる。神奈が幼馴染メンバーの男子と親しくしている事なんてほぼ皆無で、だからこそ、男性陣からの視線はいつも痛いほどに感じていた。


 僕が一真や神奈、幼馴染たちと一緒にいる時は、皆が直接手を出してくることはない。皆僕のことは嫌っているけれど、人気者の幼馴染たちからは嫌われたくないのだと思う。だいたい、この状況も一真の事が好きな人達が勝手に暴走した結果であり、皆が幼馴染たちに何も出来ないのは道理だった。


「お? 大人しくなったね。アタシの胸の感触楽しんでる?」

「ち、違うよ!」


 慌てて否定する僕に冗談だと明るく笑う神奈。考え込んでいたことで神奈にも気を遣わせてしまったみたいだった。それからは、授業が始まるまで二人で喋って過ごした。クラスメイト達はただ、チラチラとした視線を向けてくるだけだった。





「どこ行くの?」


 いくつかの授業を終えた後、休み時間になった瞬間に立ち上がった僕に、振り向いた神奈が声をかけてきた。


「ちょっと、トイレ」


 実は授業中に結構我慢していた僕はそろそろ限界だった。軽く答えて歩き出そうとすると神奈に手をつかまれる。


「じゃ、一緒にいきますかぁ」

「いや、トイレは一緒には行けないからね」


 ゆっくりと立ち上がる神奈に呆れた視線を向けてみるけれど、どこ吹く風の神奈は気にせずに僕の手を引いて歩き出した。これも気を遣ってくれているからだろう。神奈は本当に出来るだけ僕と一緒にいようとしてくれている。それが分かるから、僕はただありがたかった。


 だから、少しだけ無防備になっていたのかもしれない。


 ふざけて男子トイレにまで入ってこようとする神奈を女子トイレに押し込んで、自分は男子トイレに入る。その後は言われていた通りに神奈を待って一緒に教室に帰った。


 そして、教室に入った瞬間におかしな光景が僕たちを待っていた。


 いつもと変わらない教室の中、明らかに僕の机だけがおかしかった。


 鞄にしまっていたはずのお弁当が机に出ている。ただ出ているだけじゃない、中身が机と床にぶちまけられている。ご飯が直接机に盛られていて、おかずは椅子や床に飛び散っている。空になった弁当箱が虚しく机の端に転がっていて、とりあえず食べられる部分は何一つ残っていない事は理解できた。


「……ッ……ブフッ」


 呆然と立ち尽くしていると近くで誰かが笑いをこらえられずに噴き出した。その声で我に返った僕は、とりあえず机に向かう。


 歩いている間にも周りではクスクスと笑う声が聞こえてきて、皆段々と笑い声を隠そうとしなくなった。


「……」


 お弁当の中身は見事に全て出されていた。床に落ちたものには、よく見ると埃が沢山ついている。とても食べたいとは思えなかった。それでもこのままにもしておけない。僕はポケットティッシュを取り出して、拾った食べ物をお弁当箱に戻していった。


「ブッ! アハハハハ!」

「見ろよ! アイツ拾ってんぞ!

「ギャハハハ! まさか食う気じゃねぇか?」

「マジ? きったな~い」


 教室中が爆笑に包まれた。


 楽しそうに響く笑い声。こんな状況じゃなければ、仲良しで楽しそうなクラスに見えるのかもしれないけれど、僕はもうこんな人達の中に戻りたくはないと思った。


 一人で散らばったお弁当の中身を拾い続ける。

 響き続ける楽しそうな笑い声。


 うるさい。

 うるさい。

 うるさい。

 五月蠅い。

 ウルサイ。



 静かにしてくれ!


 きつく目を閉じて願った。


 その瞬間、大きな音がして教室は一瞬で静まり返った。


 目を開けてみると、皆が俯いていた。少し震えているように見える人もいる。まるで何かを怖がっているみたいに見えた。


 まさか、心で念じていただけのはずの言葉が、口から実際に出ていたかもしれないと慌てるも、所詮僕が言ったところで、こんなに影響力はないだろうと考え直す。


 静まり返った原因は、教室を見渡すとすぐに分かった。


 神奈が教室の壁をグーで叩いたみたいだった。


 俯いたままの壁に拳を当てていた神奈が手を動かすと、壁にはすっかり跡が出来て凹んでいた。神奈は無言のままこちらに近づいてくる。俯いたままの表情は良く見えない。皆怯えたように脇に避けていく。まるで海を割って歩いたモーゼみたいだと、呑気な事を考えてしまう。


「いこ」


 僕の目の前まで歩いてきた神奈は、それだけ言うと僕の手を握った。


「でも、まだ片付けが」

「いいから」

「……分かった」


 有無を言わさぬ凄みがあった。


 神奈に手を引かれるままに教室を後にする。一瞬だけ振り返った時、クラスメイト達は、まだ怯えたように誰もその場所から動いていなかった。


 神奈は無言のままに歩き続けている。何か言おうと思ったけれど、何を言うべきなのかが分からない。結局僕は、何も話せずに付いて行った。


 そうして連れてこられたのは、僕たちにとっては馴染みの場所だった。


 中庭の一角にある大きな二つのベンチ。


 僕たちが幼馴染でいつも集まって昼食を食べる場所。


 神奈はベンチに座って、自分の隣の席をゆっくりと二度叩いた。座れってことらしい。


「神奈、まだ四限があるよ」

「サボろう」


 躊躇なく言う神奈に、ダメだよと言おうとして、止めた。


 いつも優しくてカッコいい神奈が、今は泣きそうで、どうしたらいいか分からない子供のような表情をしていたからだ。


 僕は隣に座って空を見上げた。そっと神奈が手を握ってくれた。その手が暖かくて、すごく安心できて、泣きそうになった。


「ごめん」

「神奈のせいじゃないよ。むしろ、ありがとう」


 大丈夫だと伝えたくて笑ってみせた。神奈はもっと困ったような顔をした。クシャっとしたその悲しそうな顔が網膜にこびりついた。


 僕たちはそのまま空を見て過ごした。神奈の手のぬくもりだけが、僕の心を平常に保ってくれていた。

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