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五人目の幼馴染(下)


 三年生の授業が午前だけで終わり、午後から自由の身になった僕と恵里香は、その足で神社に向かっていた。


 初めは恵里香の安全を考えて、僕は一人で神社に行くつもりだったけれど「私が付いてないと、優君はダメだから」恵里香はそう言って付いてくる事を譲らなかった。その様子に、ガマズミ様を怖がっているような感じはまったくしない。恵里香も恐ろしい目に合っているはずなのに不思議だった。


 結局、説得も聞きいれてくれない恵里香は、僕の腕にくっついたまま一緒に付いてきた。


 秋になったとはいえ、真上にある太陽から注がれてくる遠慮のない日差しは充分に暑さを感じさせてくれて、首筋汗が滲んでくる。日傘をさした恵里香は涼しそうな表情のまま、神社に近づいてもその余裕が消えることはなかった。



「……着いた」


 住宅街を抜けて山道を歩き、ほどなくして古びた鳥居の前に到着する。相変わらず古びていて、見ているだけで異様な雰囲気が感じられる。


「行かないの?」


 僕がその空気に委縮していると、恵里香が促すように先に鳥居をくぐっていった。度胸があるというか、何も気にしていないようなその姿に、僕は自分が少し恥ずかしくなった。


 恵里香は堂々と鳥居の真ん中を通って行く、別に作法をそこまで気にはしていないけれど、ガマズミ様が怖かった僕は、端の方を歩いた。


 代り映えしないと思っていた境内には一つ大きな変化があった。


 いたる所に植えられていた低木が小さな赤い実を沢山つけている。まるで鮮血がぶちまけられたような、一面の赤。それでも怖さよりは美しさの方が勝っている。純粋に綺麗な空間だと思った。


「綺麗だね。この木はね、ガマズミっていうんだよ」


 恵里香は小さな赤い実を見つめながら教えてくれた。いつの間にか調べていたのだろうか。と言うことは、恵里香もあの日の事を何かしら調べようとしていたのかもしれない。


「ガマズミって、ここの神様と同じだね」

「うん……ねぇ、優君はガマズミの花言葉って知ってる?」

「いや、全然わかんないよ」

「ふふ、そっか……あれ? 何か聞こえるね」


 恵里香は赤い実から視線を外し、社殿に近づいていく。話の続きが少しだけ気になったけれど、僕にも音が聞こえて恵里香の後に続いた。近づくにつれて、社殿の裏手から何かを引きずるような音がはっきりと聞こえてきる。


 ザァーザァー。


 聞き覚えのある音だ。初めて聞いた時は、想像上の神様を作り出して怖がっていたけれど、正体を知っている今は、特に驚くこともない。


 丁度区切りがついたのか、音が止んで代わりに足音が裏手から近づいてくる。


「こんにちは」


 社殿の裏から出て来た予想通りの人物に挨拶をする。夏休み初日に出会った、近所のおじさんだ。


 近くに住んでいるらしいおじさんは、たまに境内の掃除をしていると言っていた。あの時僕たちに神社の話を色々と教えてくれた。人当たりのいい笑顔で僕たちの話を聞いてくれたおじさんは――



 ――今は、不審な表情を隠すこともなく、こちらを警戒しているようだった。


 思いもしなかった反応に、続けようと思っていた言葉がでない。おじさんの反応はまるで、初対面なのに馴れ馴れしい奴にするその顔で、それがどうしてなのか理解できない。


 結局、おじさんは軽く会釈をするだけで、そのまま無言で境内を出て行った。途中何度かこちらを警戒するように振り返りながら。


「あれ、どうしたんだろ? あれじゃまるで僕たちの事……」

「忘れちゃってるみたいだね」


 僕が言えなかった言葉を引き継いだ恵里香は、特に驚いているようには見えない。おじさんの反応を至極当然な物として受け止めているように見える。


「驚かないの? おじさんまるで人が変わったみたいに見えたけど」

「ねぇ優君……私はね、かくれんぼが好きなんだ。なんでか分かる?」


 僕の問いかけを真っ向から無視して逆に質問をぶつけてくる恵里香。その雰囲気に圧倒されそうになりながら、僕はなんとか口を開いた。


「いや、分からないよ」

「かくれんぼってさぁ、鬼になった人が必死になって探してくれるでしょ? 私だけを探して、私だけを意識してくれるのがさ、なんて言うか、幸せを感じられるんだよね。優君が私を見つけてくれた時は本当に嬉しかったよ!」


 恵里香がどうしてこんな話を始めたのか理解ができない。どうしていきなり昔のかくれんぼの話になるのか、返答が出来ないでいると、恵里香はそんな事お構いなしにまた質問をぶつけてくる。


「優君は、あの日何があったのか分かれば、もう過去の事は気にしない?」

「え? それは……」

「いつまでも過去に囚われてないで、私と一緒にいるこれからを見てくれるよね?」


 必死にお願いするような上目遣い。僕は、恵里香に大きな心配をかけてしまっていた事を自覚した。恵里香は、僕がいつまでも前に進めないままでいる事を何とかしたいと思っていたのだろう。だから、僕があの日の話をするのを嫌がったり、一真と神奈の事を考えないように言ってきたのかもしれない。


 あの日の事からすぐに離れる事はできないかもしれないけれど、恵里香のためにも前を見るべきだとは思った。


「うん。疑問が、はっきりすれば、きっと」


 何とも歯切れの悪い返事になってしまったけれど、恵里香はそれでも嬉しそうに頷いてくれた。


 そして、言った。



「じゃあ私があの日の事を全部教えてあげるから、それで全部忘れてね」


 僕は少し唖然としてしまった。


 どうして恵里香はそんな事が言えるのだろう。訳が分からないまま恵里香を見つめると、そんなに面白い顔になっていたのか、恵里香は薄く笑った。


「もちろん、私が知ってる事だけだよ?」

「あ、そ、そうだよね」

「それで、約束は守ってくれる?」

「約束って?」

「あの日の事を教えてあげたら全部忘れて、これからの事だけを見てくれるって」

「……わ、わかった」


 可愛らしいいつもの笑顔の奥に底知れぬプレッシャーを感じた僕は、そう一言返事をするので精一杯だった。気圧されている僕とは対照的に、恵里香は満足そうに頷いている。


「じゃあ、優君に教えてあげちゃいます」


 えっへんと胸を可愛らしく張っていばる恵里香。いつもどおり過ぎるその姿が、この神社では浮いて見えた。




「あの日、神奈ちゃんと一真君を殺したのは私なの」


「…………え?」


 たっぷりと時間を使って恵里香の言葉を理解しようとしたけれど、結局、僕が出せた言葉はそれだけだった。


「何でかって言われたら、それは二人が優君を虐めてたから。ずっと一緒にいたのに、影ではそんな事をしてたなんて酷いよね? 死んで当然だよね? 言い出しっぺの一真君は有罪でしょ、止めるのが怖くて加担した神奈ちゃんも、もちろん有罪。翔也君も結局役に立たなかったし、私もこれ以上は我慢できなかったんだよ。だからね、優君もそんなにあの二人の事で気に病む必要はないんだよ?」


 混乱している僕の事なんかお構いなしに喋り続ける恵里香。一気に頭に入ってきた情報の多さと意味不明な内容に、僕の混乱も極まった。


「ちょっ、ちょっと待って、え? ちょっと待って!」

「どうしたの?」

「どうしたのって……いや、恵里香が訳の分からない事を言うから」

「訳の分からないって、そのままの意味だよ?」

「だから! それが意味わからないんだよ! なんだよ、二人を殺したのが恵里香って、どういうことなの⁉」




「……そのままの意味だよ。神奈ちゃんを刺し殺して、一真君を部屋の窓から投げ捨てたのは、私」


 恵里香がそう言い切った時、僕は確かに境内の空気が変わった事を肌で感じた。


 僕をまっすぐに見つめてくる恵里香の目が、まるでガマズミの実のように赤く染まっている。


 一言も喋れなかったし、なんなら赤い瞳から目をそらす事すら出来なかった。


「安心して、あの二人には、ちゃんと優君が味わった苦しみを味わってもらったから。優君の代わりに私が懲らしめておきました! ね、偉い?」


 いつも見ていた恵里香の愛らしい笑顔。見ている方まで明るい気持ちになれる、そんな魔法の笑顔は、今もいつも通り僕に向けられている。その表情と、言っている事のギャップが酷い。頭が理解する事を拒んでいるけれど、このままじゃ頭がおかしくなりそうだった。


「恵里香? なに、言ってるの?」

「何って……あぁ、どうやって苦しませたかって事ね! 神奈ちゃんにはね、ちょっとずつ身体に刃物が刺さっていく感触を味わってもらったの。手首と首筋同時にね。凄いじらしてね、少しずつ、少しずつ刺していったんだ。もう初めは泣き叫んで大変だったんだよ。まぁ優君のためなら何てことなかったけど、優君を虐めておいて、その事は後悔してるなんてふざけた事を言うから、最高に苦しめてあげたの」


 恵里香は何が面白いのか、心底楽しそうに笑いながら喋っている。


 神奈を何? 刺し殺した? 冗談にしては質が悪すぎる。


「一真君なんてねぇ……ふふ、優君にも見せてあげたかったなぁ。あのね、一真君ったら、怖がりすぎて、漏らしちゃってたの! 傑作だったよ。情けないくらい泣いちゃってね、あの姿を見たら優君も少しは気が晴れたと思うなぁ。最後に窓の外に突き出したら、何て言ったと思う? 許してぇ~だって、思わず笑っちゃった。最後はずっと優君を呼んでたよ。優人助けてくれ~って、あれは虫唾が走ったなぁ」


 バカにしたような笑い方。そんな笑い方もするのかと、思わず少し現実逃避してみるけれど、状況は何も変わらない。隣にいる恵里香が、何か別の存在のように感じた。


「反省させるために色々やったけど、いい演出だったでしょ。エレベーターとか、形代とか、優君のために頑張ったよ! 野球ボールを使った時はゴメンね。優君を怪我させるつもりはなかったのに、あれだけは本当に反省してる」

「恵里香、もう止めて」

「え? どうしたの?」

「それはこっちのセリフだよ! どうしたの急に? 恵里香が二人を殺したとか、何でそんな訳の分からない事を言うんだよ!」

「だって、優君が知りたがったんだよ? あの日のこと」


 一点の曇りもない瞳で小首をかしげる恵里香。僕が感じている混乱や、憤りをまるで理解していないかのような純粋な視線。それはまるで自分が悪い事をしている自覚がない子供のようで、今の恵里香は年齢よりもだいぶ幼く見える。


「優君がいつまでのあの二人の事を考えてるから、だから全部話そうと思ったの。疑問がなくなれば、もうあの二人の事を考えることもなくなるでしょ? そしたら、常に私の事だけを考えてくれるよね?」


 無邪気に笑う恵里香。そのセリフさえなければ、写真に撮っていつまでも眺めていたくなるくらい可愛らしい。セリフせなければ……。


「冗談は止めてよ。恵里香にそんな事できるわけないじゃないか」

「簡単だったよ?」

「ッ……第一、警察は自殺だって言ってたじゃないか、遺書もあったし、恵里香がやってたらすぐにバレるでしょ?」

「優君は、それに納得できなかったんじゃないの? 自分が見たものとは違うから」

「そ、それは、そうだけど……」

「私は優君の疑問に応えてあげて、優君も自分の記憶が正しかった事を確認できてる。全部優君が望んだとおりになってるのに、どうして信じてくれないのかな?」


 そんな事はない。僕は、あの日までに起きた様々な異変を含めて、全部ガマズミ様という神様の仕業だという可能性を捨てきれなかっただけだ。


「違う、違うよ! 僕は、僕はガマズミ様っていう、ここの神様のせいだと思ったんだよ! 恵里香だって覚えてるでしょ? 沢山異常な事が起こったよね? 三人とも連れて行かれたと思ったんだ!」




「連れて行ってないよ。私はただ、殺しただけ」


 まるで神様みたいに尊大な言葉だった。


「優君を陰で虐めてた二人なんていらないよ。翔也君を二人の所に行かせたのは私だけど、殺したのはあの二人だしね。私は誰も連れて行ってないよ。私には優君がいればそれでいいんだもの」


 二人の事をいらないと言ったその声には、一切の情が感じられない。十年以上共に過ごしてきた幼馴染たちに対する言葉だとは到底思えない。


「え、恵里香に、そんな事できるわけない」

「出来るよ。私には、何でもできる」

「なんで、なんでそんな事……」


 もう何を聞けばいいのかわからない。聞きたい事が沢山ありすぎて、恵里香の返答の全てが僕の理解を超えるもので、なんでという言葉しか出てこない。


「最初は遠慮してたんだよ。五人でいるのも悪くないかもって思ってた。けど、私が間違ってた。二人が優君を虐め始めた時は、本当に失望したよ。それで確信したの、やっぱり私には優君だけでいいって」


 少しだけ申し訳なさそうな表情になる恵里香。けれどそこに二人を殺した事への後悔の気持ちは微塵も感じられなかった。


「もし、恵里香が殺したのが本当なら、捕まっちゃうよ」

「大丈夫」


 自信満々に答える恵里香。僕はそんな恵里香を見ながら、頭に浮かんでくる嫌な想像を打ち消すのに必死だった。


「……僕が警察に言ったら?」

「優君はね、ここから出たら全部綺麗に忘れるの! 今の話も、もういない三人の事も全部! そして、これからは私の事だけを見て生きるんだよ!――



 ――約束したからね」


 底抜けに楽しそうな声を出す目の前の人物が、僕にはもう恵里香には見えなかった。


「恵里香、君は本当に恵里香なの?」

「私は恵里香だよ。優君が見つけてくれたあの日から、私は恵里香」


 その返答に、思い出すのは幼い頃の記憶。


 この神社で恵里香が一度いなくなる前の事。今のお淑やかな性格とはまるで違い、恵里香は男の子みたいに活発で、やんちゃだった。一真や翔也と外で遊ぶ方が好きで、インドアだった僕とはあまり馬が合わなかった。あの日までは……。


「優君だけが私を探してくれて、優君だけが私を見つけてくれたよね。あの日からずっと一緒に過ごしたね。私は、今までもこれからも優君だけを見てる。だから、これからは優君も私だけを見ていてよね」


 眩しいほど綺麗な笑顔を見せてくれた恵里香は、話は終わったと言わんばかりに歩き出した。来た時と同様に、鳥居の真ん中を堂々と通り境内を出ていく。入った時とは違い、今ではそれが当然の事だと認識できる。


 僕はしばらく動けなかった。


 ここから出てしまったら、僕は今聞いた話を覚えていられるのだろうか。


 そんな答えが分かり切った事を考えながら、僕は五人目の幼馴染の背中を、ただ見つめ続ける事しかできなかった。

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