音桐一真
ジトっとした重い空気が立ち込めている教室に、不似合いな明るい声が響く。
クラスメイトたちの注目が集まる中、沢山の視線を気にすることなく堂々と教室に入って来る人物がいた。
音桐一真。
僕の大切な幼馴染の一人。
つんつんしているブラウンに染められた髪。鼻が高く、綺麗な肌をしている。他のパーツも整っていて男から見ても羨ましくなるくらいのイケメン。細身だが鍛えられた体つきをしていて、無駄のないカッコよさを感じさせる。
そんな見た目の一真は、当然みんなの人気者だった。その外見から女子の人気はもちろん高いし、気さくで明るい性格が上手くかみ合って、男子も沢山集まってくる。
学校中から注目される人気者で、僕をサッカー部に誘った張本人。つまり、皆から応援されて期待されていたエースが一真。
つまり、一真の活躍を無駄にしたから、僕は虐められることになったという事。けれど、僕が一真を怨むことはない。むしろ感謝している。
「優人、今日早いな」
笑いながら一真が近づいてくる。僕は返事をしようとして口を開きかけたけれど、その前に一人の女子生徒が立ちふさがった。
僕の姿を隠すようにして、一真を僕に近寄らせないようにしているみたいに立つ女子が笑顔で一真に声をかける。
「一真君おはよう!」
「ん? あぁ」
「ねぇねぇ、こっち来て皆でお話でもしない? 皆一真君の話が聞きたいって」
「優人に用があるから後で」
「……あんな奴、無視した方がいいよ」
はしゃいでいる女子とは対照的に不愛想な返事をする一真。それでも女子が笑顔を崩すことはなかったけれど、僕の名前が出た途端、声色が変わった。
「はぁ?」
「だって、アイツのせいで一真君はインターハイに出場できなかったんだよ? マジムカつくよね。せっかく皆で一真君の応援してたのに、ホント最悪。学校に来ないで欲しいのに、図々しく毎日来てるし」
「……」
「だからあんな奴気にする必要ないよ! 一真君が優しいのは知ってるよ。でもその優しさが、ああいうバカをつけあがらせるの。このままじゃ一真君、一生あいつに寄生されちゃうよ」
僕を罵倒する時は激しく、一転して一真には、優しく諭すような口調を使い分ける女子。
散々な言われようだと思った。虐められているとは言え、ただ皆は面白がってふざけているのだと思っていた。けれど、今の言い方を聞くに僕はどうやら、本気で嫌悪されているみたいだった。
無理やり大量の毒を飲み込まされたような気がした。胸のあたりがむかむかしてきて、こみ上げてくる何かを押さえ込むため、慌てて口に手を当てた。
こちらに背を向けている女子の顔は見えない。きっと顔を歪ませて僕への感情を吐露しているのだろう。
そうして肩を怒らせていた女子のその背中が、不意に震え出した。気が付くと、一真の顔から笑顔が消えていた。
「どけよ」
ただ一言。
恐ろしく冷たい声。
別に大きいわけじゃないその声はどこまで届いたのか、少なくとも教室中には聞こえたみたいだった。女子の言葉に同調して僕を嘲笑っていたクラスメイトたちが、凍り付いたように静まり返っていた。
一真に話しかけていた女子は、消え入りそうな声で「す、すみません」とだけ言って友達の元に戻っていった。少しの間その女子を睨みつけていた一真は、それ以上は興味を失ったようでこちらに振り向いた。僕に向けられたのは、先ほどまでのゾッとするような無表情ではない、こちらを心配している温かみのある表情だった。
「優人、大丈夫か?」
「平気だよ。ありがとう一真」
笑ってみせる。一瞬驚いたような表情をした一真は、やれやれと頭をかいて前の席に座った。一真がいてくれるだけで、あんなにも心細かった気持ちはどこかに行ってしまったようだった。
「さっきの気にすんなよ。それこそあんな奴の言うことだ、聞く価値もねぇよ」
一真がわざと声のトーンを上げて言った。僕の視界の隅に映っていた女子の背中がビクッと震える。一真としてはさっきの意趣返しだったのだろうけど、見ているこちらが不憫に思えるほど、女子は震え続けている。
一真は人気者だ。かっこよくて、運動もできる。皆から期待されるような人間。
必然的に知り合いや友達は多いし、前から僕のクラスによく来ていたこともあって、ここのクラスの人達とはかなり仲がよかった。それでも、僕のためにこうして怒ってくれている。僕を虐めている人たちは、一真のためと言っているけれど、一真はそんな人達に敵対するような姿勢を貫いている。「オレはそんな事望んでない」はっきりと僕の側についてくれた時は、思わず泣きそうになった。
そんな一真だからこそ、周りの人間はよかれと思って暴走してしまうのかもしれない。勝手に望んでもいない事をされている一真も、ある意味被害者の一人だと思う。
「か、一真、僕は気にしてないから、ね?」
「……まぁ優人がそう言うなら」
そうは言いながらも一真はまだ根に持っているのか、鋭い視線を先ほどの女子に送っていた。それから、すぐに何かを思い出したのか教室を見渡して口を開く。
「神奈はまだか?」
「うん、今日はまだ来てないみたい」
「何やってんだアイツ。教室では優斗の事は任せて、とか言ってたくせに」
「あはは、僕は気にしてないから、むしろありがたいよ」
一真が言った『神奈』という人物も、僕の幼馴染の一人。他にも幼馴染は二人いて、皆幼い頃からずっと一緒だった。もう十年以上の付き合いになる。
僕にとって何よりも大切な繋がり。
そのうちの一人が、今目の前にいてくれる一真。
言い方は悪いけれど、僕が虐められているのは一真が影響している事は事実だった。皆が期待していた一真の活躍を台無しにしたせいで、今の状況がある。
けれど、それは周りが勝手にしている事。当の本人である一真は僕を虐めてはいない。むしろ庇ってくれて、心配してこうして教室まで様子を見に来てくれる。少し前、一真は「オレのせいですまん」と頭を下げてきたけれど、一真のせいでなんて一度も思った事はない。こうなったのは、すべて自分のせいだ。
むしろ一真は、僕のせいで負けてしまい、あんなに頑張っていた部活動で何の成果も残せなかったのに、僕を責めることもせずに、今まで通りこうして一緒にいてくれる。それがどれだけ嬉しかったか、僕はその全てを一真に伝える語彙力がないことを悔やんだ。
一緒にいてくれるだけで、自分にとって大切な存在である一真から、自分は大切に思われていると実感できて何度も泣きそうになった。
「ありがとう一真」
「な、なんだよ急に、いいんだよ感謝なんかしなくて」
真顔でお礼を言うと、一真は照れたのか顔を赤くしていた。その様子がなんだかおかしくて自然と笑えて来た。僕が笑ったのを見て、一真もつられて笑ってくれた。
「教室出るか?」
ひとしきり笑いあったあとで、一真が切り出して来た。居心地の悪さを感じたのかもしれない。僕たちが話しをしている間も、クラスメイトたちからの無言の視線は常に感じていた。視線だけならもう慣れてしまった僕とは違って、一真はどこか気持ち悪そうにしている。
もうそこまで時間があるわけじゃないけれど、一真の事を考えれば外に出た方がいいかもしれない。そう考えた僕が腰を浮かしかけた時――
「おはよう優人」
孤立しているはずの僕に声がかけられた。
それはもう一人の、大切な幼馴染の声。