取り戻した日常
「だ~れだ?」
外を眺めていたら、急に視界を塞がれた。目に当てられた手は少しひんやりとしていて気持ちがいい。頑張って変な声をだしていたけれど、学校で僕にこんな事をしてくるのは、今は一人しかいない。
「こんな事をするのは、もう恵里香しかいないよ」
「あはは、せいか~い!」
目隠しを止めた恵里香は、そのまま一つ前の席に座った。元は神奈の席だったそこは、今は空席になっていて、休み時間の度にやってくる恵里香の特等席になっていた。ニコニコと可愛らしく笑っている恵里香は、機嫌が良さそうだ。
「なんかいい事でもあったの?」
「ふふふ、そこに気が付くとは流石優君。なんと、今日は優君の分のお弁当も作って来ちゃいました~!」
パチパチと自分で拍手をする恵里香を見ていると、自然と顔がほころぶ。あれ以来、一人でいると、死んでしまった三人の事ばかり考えて、自分でも分かるくらい笑う事がなくなった。
たぶん、恵里香はそんな僕を心配して、いつもこうして明るく振舞ってくれているのかもしれない。いつも僕のところに来てくれるようになった恵里香の、そんな気遣いがありがたいし、本当に嬉しい。もし、恵里香までいなくなってしまったらと思うと、僕は無様に壊れてしまっていたかもしれないと思った。
「なんか反応が微妙だなぁ。喜んでくれてる?」
「もちろんだよ。ありがとう恵里香」
「ん~それならいいんだけどね!」
僕が取り戻せた日常は、今目の前にいる恵里香だけ。他のものは全部失くしてしまった。だからこそ、余計な事は考えずに、恵里香だけは、何よりも大切にしようと思った。
そう思っていたけれど、どうしても三人の事を忘れることはできない。気が付くと、いつもいなくなった三人のうちの誰かの事を考えてしまう。一人でいる時はもちろん。恵里香といる時も……。
「進路はもう決めた?」
昼休み。恵里香から聞かれたその内容で、僕は強制的に現実に引き戻された。高校三年の二学期。それは避けては通れない話題。一応進学にしている進路は、本当なら夏休みの間に、もっとしっかりとした構想が出来ていたはずだった。けれど、あんな事があってから、何も手に付かなくなってしまい。僕の進路は宙ぶらりんのままだ。
「もう志望校決めなきゃまずいよね?」
「う~ん、そろそろ決めるだけでもしないとね」
「だよね。夏休みにしっかり決めるつもりだったんだけど、ほんと、どうしよう」
「なんならさ、私と一緒の大学に行かない?」
驚いて恵里香を見る。恵里香もその辺が手に付かない状況だと勝手に思い込んでいたけれど、実際にはちゃんと進めていたらしい。僕とは違ってしっかりと将来の道筋が定まっているみたいだった。
恵里香は後ろに隠していたらしき大学のパンフレットを見せてくれた。
そこは割と大き目の大学らしく、幅広い学部が存在していて、何かしらやりたい事を見つけられそうに感じた。こんな所があったのかと感心してしまうような大学だった。けど、問題は偏差値だ。恵里香は学年でもトップクラスの成績の良さ、対して僕はだいたい中間。
「いいところだけど、恵里香の偏差値と同じ大学にはいけないと思うなぁ」
「その点なら大丈夫! この大学の偏差値はね……」
恵里香はわざと耳元に顔を近づけてきて、小声で言われた偏差値に僕はとても驚いた。充分に僕でも安全圏で狙えるレベルだった。
「え? なんで恵里香がそんな大学を?」
「ここなら優君と一緒に通えると思ったから」
思わず見とれてしまうような笑みを浮かべて、そんな事を言う恵里香。別におかしな意味はないのだろうけれど、それでもなんだか気恥ずかしくなって、顔をそらした。
「そんな事で大学を決めたの?」
「そんな事じゃないよ。私にとっては優君と一緒にいるのが何よりも大切な事なんだから」
恵里香が寄り添ってきて身体が密着する。僕の腕に添えられた手はスベスベしていて、触られているだけで気持ちがいい。少し甘い香りもしてきて、幸せな気分になる。恵里香は僕に寄りかかったまま耳元で囁き続けている。
「今から焦って考えるのも大変だし、とりあえず決めちゃったらいいと思うなぁ」
「そんな風に決めてもいいのかな?」
「固く考えないでいいんだよ。それに、優君なら私と一緒にいてくれるでしょ?」
「それは……うん。恵里香と一緒にいたいよ」
だって、僕にはもう恵里香しかいないから。
「ふふ、ありがとう。一緒に頑張ろうね」
そう言って、恵里香が肩に頭を乗せて来た。重すぎず、暖かさをかんじる。そのまま二人で寄り添っていると、ふと、前もこんな事があった事を思い出した。
あの時も二人きり。
ただ、恵里香とじゃない。神奈とこうして寄り添っていた。
一瞬、その時感じた神奈の感触と香りを思い出し、恵里香との違いを感じる。またいなくなった幼馴染の事を考えてしまっている自分に気が付いたけれど、そのまま神奈との思い出が溢れてきて、少し悲しくなった。
神奈とお互いに食べさせあったおかず。
寄りかかって来た神奈。
頭を撫でた時の髪の感触。
すべてを鮮明に思い出せてしまい、だからこそ余計に辛い。
あの時、神奈はどうして僕に寄りかかってきたのだろう。どうして頭を撫でてなんて、お願いしてきたのだろう。ただの友達より少しだけ特別な関係、お互いが大切に思っていると信じていたあの時は、特に疑問に思わなかったけれど、実は神奈にも虐められていた事を知った今では、それが本当に不思議だった。
今更考えたところで、答えは出ない。もう過去の事を振り切るために頭をふる僕を、恵里香が心配そうに見上げている。
「優君、あまり気にすることないよ」
僕が何を考えているのか、十年以上一緒にいた恵里香には筒抜けのようで、何かを言う前に気遣われた。
「あの二人は、優君を陰で虐めてた。私たちを騙してた。それに翔也君のことも……」
「うん。それでも、なんでかな、心から嫌いにはなれなくて」
「優君は優しすぎるよ……。私は、あの二人のために優君が悲しむ必要はないと思う」
恵里香はきっぱりと言い放った。
驚きはしたけれど、それが普通なのかもしれない。
友達だと思っていた人から騙されていたら、好きだった分の反動で余計に許せなくなりそうだ。
でも、どうして僕はそうならないのだろう。
「恵里香は、やっぱり怒ってる?」
「もちろん。私たちの仲間のふりをして、一緒に笑ってたのが許せない。優君は違うの?」
「僕は……僕も許せない。けど、嫌いにもなれない」
「自分が虐められていたのに?」
「……うん」
そう応えると、何故だか恵里香は少し悲しそうな顔をした。
「ねぇ優君。あの二人を嫌いにならなくてもいいよ。けど、いつまでも引きずられる必要もないと思う。あの二人はそれだけの事をしたから。私は優君があの二人のせいで悲しんでるのが辛いよ」
優しく諭すような恵里香の声。その眼差しも相まって、どれだけ僕の事を考えてくれているのかが伝わってくる。僕が落ち込んでいると、恵里香に心配をかけてしまう。それは良くないことだ。
「ごめんね、恵里香」
「いいの。それに、ふとした時にいなくなった三人の事を考えちゃう気持ちは分かるから。だからね」
そう前置きした恵里香は、寄り添っていた身体を起こして、僕の手を握りしめた。
「これからは私だけを見て、私の事だけを考えて、私が、優君の心を満たしてあげるから」
恵里香の力強い瞳と言葉に押されて、思わず僕は頷いた。
恵里香は、いつも見たいに優しく笑ってくれていた。




