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三人目


「ぁ、あ、ぁあ」


 自分が見ている光景は到底信じられるようなものではなかった。


 むせかえるような血の匂い。部屋の色を変えてしまうほどの鮮血。その中心にいる……あるのは、大切な幼馴染だったもの。


 両手と首から血を流したままベットに寄りかかるように座っている。開かれたままの虚ろな目は、僕が近づいても斜め下を向いたままピクリとも動かない。当たり前だ。もう死んでるんだ。うごくわけない。


 揶揄うように抱き着いてくる事はもうない。


 気だるげでも、僕を見るとわざわざ笑いかけてくれることもない。


 彼女はもう何もしない。


 神奈はもう死んだから――。



「神奈?」


 呼びかけてみる。神奈が死んでると分かっていて、それでもその事実を受け入れたくはなかった。


 もちろん神奈は何の反応もしてくれない。だってもう死体になっているから。


「無視しないで」


 身体に触ってみる。いつもは抱き着かれたり、腕を組まれたりするとその温かさにドキドキした。けれど、今の神奈は冷たかった。揺さぶってもされるがまま、首ががくがくと揺れるだけ。


「あぁ、これ、神奈じゃないかも」


 そうであったらいいなと思った。けれど、これが神奈であるという事は間違いない。だって十年以上も一緒にいたから、見間違えるはずがない。


 半分口を開けたままだらしない顔をしているこれは、神奈だ。


 たとえどんなに血色の悪い顔をしていても、たとえ普段なら絶対しないような顔をしていても、これが神奈だと分かってしまう自分が嫌だった。


「ぅ……ぅう、なんで……」


 涙が出てくる。思わず顔を手で隠した。恥ずかしいから、神奈に泣いているところなんて見られたくない。


 すぐにそんな必要もない事を思い出した。


 僕が泣いているのは、神奈が死んでたから。

 僕は泣いているところを神奈に見られたくない。

 神奈は死んでいるから、泣いても見られることはない。


 顔を隠していた手を降ろす。


 神奈は斜め下を見て項垂れたままだった。揶揄ってくる事も、慰めてくれることもない。それが余計に悲しくて、涙が止まってくれそうになかった。


 泣きながらも、ガマズミ様の事が頭をよぎる。


 神奈をこんな姿にした神様が、まだ近くにいるかもしれない。そう考えた瞬間、ポケットに入れていたスマホから着信が鳴り響いて心臓が止まりそうになった。


 意味もなく周りを見渡して、音を止めようと急いでスマホを取り出した。


 画面には一真の表示。


 すぐに切ろうとしていた思考を止める。一真からの連絡と言う事は、もしかしたら恵里香が無事に着いた知らせかもしれない。それだけはすぐにでも聞いておきたかった。


「もしもッ」

『助けてくれ!!!』


 僕の声をかき消すように、向こう側から叫び声が聞こえた。悲痛な叫びだった。その声は紛れもなく一真のもので、その後は、大きな物音が続き、電話が切れた。


 いったい今、何が起きているのだろうか。訳が分からなくてどうにかなりそうだった。


 神奈は目の前で死んでいる。恵里香は行方不明。そして今、一真からは助けを求める電話がかかってきた。


 もう僕の中で消化できる状況をはるかに超えてしまっている。今から何をするべきなのか考えがまとまらない。


 冷静に、なるべく冷静になるべきだ。


 そう考えてまずは深呼吸をする事にした。どんな時でも落ち着くときには深呼吸をするイメージだったからだ。すぐに肺いっぱいに空気を吸い込む。血なまぐさくて吐き気がした。それでも何度かしているうちに落ち着く効果が出て来たようで、だんだんと思考がまとまって来た。


 深呼吸をしながら、今するべき事を順番に整理していく。


 まずは神奈をベットに寝かせてあげることにした。床に座りっぱなしでは可哀そうだと思ったからだ。なるべく血が付かないように丁寧に持ち上げてベットに寝かせてあげる。開いたままの目を閉じてあげると、少し表情が安らかになったような気がして満足した。


 次は恵里香か一真。緊急性が高いのは一真の方、恵里香もホテルに向かっている事を考えればすぐに引き返さなければいけない。そう考えて、僕は神奈に布団をかけた後、また外に出て駆け出した。


 必死になって走って来たばかりの道を逆走する。自分が何の意味もないような事をしている気がしてきて、虚しさがこみ上げて来そうになる。それでも急がないと今度は一真が危ないかもしれない。


 走り出してすぐに足が重くなってきた。来た時の疲れを一度実感してしまうと、急激に苦しくなってくる。それでも足は止めない。こんなに必死になって走ったのは、部活をしていた時以来……いや、初めてかもしれない。


 ただ、気合だけではどうにもならない事もある。行きの時間の倍はかかっていそうなくらいの時間をかけて、もはや歩いている速度しか出せなくなった頃、ようやく隣駅が見えて来た。相変わらず人は誰もいない。


 ホテルも見える。もう少しだと自分に言い聞かせて、よたよたとした足取りでホテルに向かう。


 そうして、ホテルの目の前まで来たとき、僕は流石に限界を迎えて一度立ち止まった。壁に手をついて息を落ち着ける。


 それからまたダッシュで部屋に戻るつもりだった。


 結果的に、立ち止まったのは正解だったのかもしれない。何気なく見たホテルと隣の建物の間にある狭い路地に、何か大きな物が落ちているのが見えた。


 すぐに一真の元に戻らなくてはならないのに、その物体が異様に気になって目が離せない。


 真夜中でも電灯が多くあり、比較的に明るい駅前でも、その路地までは灯りが届かず、その物体が何なのかは今の位置からは分からない。普段なら、そんなものをわざわざ近くまで行って見ようなんて思わないのに、どうしてか今だけは確認しなきゃいけない気がして、僕は路地に入って行った。


 物体が近づいてくる程、鼻につく臭いがある。どこかで嗅いだばかりのような異臭だった。


「……うそでしょ?」


 初めに見えたのは、ゴミの山。そのゴミ山を崩すように何かが落ちている。その何かには見覚えがある。ごく最近みたばかり、記憶に焼き付いて離れないそれは、翔也の飛び降り死体。それとそっくりなものがまた落ちていた。


 あたりの壁に赤い液体が飛び散っている。

 両腕からは折れた骨が皮膚から突き出していて、うつ伏せになっているそれは、顔面が潰れてしまっているようだった。たとえひっくり返したとしても、顔ではもう誰かも判別できないだろうその死体。それでも、それが誰かなんてすぐに分かった。


 髪の毛とか、着てる服とか、これが誰かを判断する要素は沢山ある。上を見上げれば一部屋の窓が開いていた。だいたい僕たちがいた部屋だと分かる。


 つまり、今ある全ての要素が、この死体が一真だった事を証明していた。


「ぅ、嘘だ。そんなはずない、だって部屋には御札が貼ってあったはずなのに」


 受け入れたくない。さっき神奈の死体を見たばかりなのに、どうしてすぐに一真の死体まで落ちているのか、まったく意味が分からない。


「一真?」


 肩を揺さぶる。もちろん返事はない。当然だ。死んでるから。力が入らなくなって膝から崩れ落ちた。


 座り込んだまま、どうしてこんな事になってしまったのかと考える。


 僕たちは解決策を見つけたはずだった。


 御札を貼って二日間外に出なければ、ガマズミ様、つまり神様が連れて行くのを諦めてくれる。その筈だったのに……。御札が本当は意味のないものだったのか、それとも神奈と同じく一真も自分からドアや窓をあけてしまったのだろうか。真相は分からない。けれど、神奈が死んで、一真も死んだ事に変わりはない。


 僕はまた失った。


 四人の幼馴染はもう一人しか残っていない。その一人も連絡が付かないまま。


 もしかしたらもう……そんな想像が止められなくて、一人になってしまったような、とてつもない孤独感に襲われる。


 怖い。一人は嫌だ。恐怖に負けて地面にうずくまる。そのまま芋虫のように這って、一真にくっついた。神奈よりは少しだけ温かさを感じたけれど、安心感はくれなかった。


 無音の路地で、何かの音が急に鳴り響いた。


 働かない頭が、それが何の音かを理解した瞬間、僕はスマホを取り出した。


 着信は恵里香からだった。

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