二人目
「何があったの⁉」
「無事か恵里香⁉」
突如かかってきた恵里香から電話。微かな声で、それでいて明瞭に聞こえてきたのは助けを求める声。
呼びかける声に自然と力がこもり、一真の様子からも必死さが伝わって来る。
『あいつが、神様、来た』
隣で一真が息を飲む音がした。僕も一瞬スマホを落としそうになって、慌ててしっかりと持ち直した。
『はぁはぁ……私は、平気』
息が整ってきたように、恵里香の声はだんだんとしっかりしてきていた。平気と言う言葉に安堵する。けれど、ならどうして恵里香は助けてと電話をかけてきたのだろうか。どうして息が切れるまで慌てていたのだろうか。すぐにもう一人の存在が頭に浮かぶ。
「神奈は?」
『……神奈ちゃん、はぁはぁ、捕まった』
最悪の展開だった。叫びたい想いを左手を握りしめてグッとこらえる。
「いったいどうして? 御札は?」
『神奈ちゃんが、窓を開けてた。はぁはぁ、気が付いた時にはもう、遅くて』
「なっ⁉ なんでそんな事?」
『わか……分からない』
さっきから訳が分からない事ばかりだ。急にドアを叩かれて、収まったら一真にキレられて、なじられた。お次は神奈が自分で窓を開けたらしい。追い詰められた一真が豹変したように、神奈もこの状況に耐えきれなくなっておかしくなってしまったのだろうか。考えてみても分かるはずがなかった。
それに、理由を考えるよりも大事な事がある。今するべきことのために、必死になって頭を切り替える。
「恵里香は今どこ?」
『家から出て来ちゃった。どうしよう、私、神奈ちゃんのこと』
「いいから、家に戻っちゃダメだよ!」
『でも、神奈ちゃんが』
「僕が行くから! 危ないかもしれないから恵里香は戻らないで!」
『でも、私はどうしたら……』
何通りかの行動を考えてみる。
真夜中の外。恵里香は一人きりだ。神様だけじゃなく他にも危険な事は沢山ある。
家に戻るのはアウト。
道端で待機もアウト。
逃げて隠れられる場所を考える。ここしかない。
「恵里香、今すぐ僕たちの所に来て! ここなら御札がある、すぐに入ってしめれば安全なはず」
『ホテルに?』
「遠いけど、僕もそっちに行くから」
『神奈ちゃんは?』
「そっちも僕が行く、僕は鬼をしてたから大丈夫なはずだから」
『……わかった』
こうして話をしている時間さえももどかしさを感じていた。お互いになるべく線路沿いの道を通る事にして電話を切る。この時間、終電はもう終わっている。持とうとした財布を放ってスマホだけをポケットに突っ込んだ。
「オ、オレはどうすればいい?」
すぐに部屋を飛び出そうとしたところ、一真に呼び止められて振り向く。
おろおろと狭い部屋を行ったり来たりしている今の一真には、いつも感じていたカッコよさはなくなってしまっていた。
「危ないかもしれないから、一真は部屋から出ないでここにいて」
「あ、あぁ……優人、お前、オレの事なんとも思ってないのか?」
そんな事はない。大切な幼馴染の一人から、あんな事を言われたら傷つかないわけがない。なんて無神経な事をと言いたかったけれど、今がそれどころじゃない時だと言う事も分かっている。
それに、何だかんだと僕にとって一真は大切な幼馴染だ。危ない目にはあってほしくない。
「僕がおまけなのは事実だから」
「それは……」
「一真は恵里香をお願いね! 神奈の事は僕が絶対に連れ帰るから」
「優人……頼む」
会話はそれだけで切り上げた。
ドアに手をかける。一応確認した除き窓からは誰かがいるようには見えない。それでも、手に汗をかくほど、開けるのが怖かった。
自分より神奈が大切だろ! そう言い聞かせて、うろたえている自分に喝を入れる。
覚悟を決めて素早く開けたドアの向こうには、確認した通り誰もいなかった。
安心する前にすぐドアを閉める。二日間という時間はまたやり直しになってしまうけれど、そこまで深く考えてはいられなかった。
エレベーターを待っているのももどかしく、階段を駆け下りてホテルを出る。
すっかりと夜も更けたこの時間、小さな駅前は明るさこそ変わらないけれど、人は一人も見当たらない。特別に発展しているわけでもないこの辺では、特に珍しい事ではないけれど、誰もいない風景というのは、意識すればするほどに不気味さを感じるものだった。
僕は余計な事を考えない為にも、脚を動かすことにした。
線路沿いをひたすらに走って恵里香を探す。
見える範囲には人影はない。
焦る気持ちのままに足を動かす。
けれど、走っても走っても、恵里香どころか、人っ子一人いない。
等間隔で立っている白い色の外灯が寂しさを増長させ、心に暗い影を落としていく。
しまいには隣駅に着いてしまった。
駅前を見渡すも、恵里香は見当たらない。
どんなに足が遅くても、何事もなければ隣駅からここまで来る前には、恵里香の方が早く着いているはず。
もしかしたら恵里香は違う道を通ってもう入れ違いになっているかもしれない。
僕はスマホを取り出して恵里香に電話をかけた。
コール音が続く。
恵里香は電話に出てくれない。
必死になって走っているせいで着信に気が付かないのかもしれない……そう思い込まなければ気が狂いそうだ。最悪の想像を振り払いながらも恵里香が出てくれるのを待つ。
「くっ、出ない」
コールが二桁を越えてしばらく待っても出ない。一度電話を切って考える。
もし、すれ違いになっていたとしたら、恵里香はホテルに向かうはずで、ホテルには安全な部屋があるから問題はない。
もし、恵里香が家に戻っているか、駅まで来る前に何かが起きていたら、すぐに助けなければ危ないかもしれない。
迷っている時間はなかった。
引き返すことはせずに恵里香の家に向かう。
進むにつれて駅前よりも外灯が減り、どんどんと辺りが暗くなっていく。もしかしたら動けなくなっているかもしれない恵里香を見落とさないようにスマホのライトで道を照らしながら走る。
スピードは緩めずに、隅々までチェックしながら走る作業は、目が疲れて頭が痛くなりそうだった。
そんな苦労も特に意味はなく、道中だれ一人としてすれ違う事もなく、僕は恵里香の家の前にいた。
暗闇の中に佇む家からは何の物音もしない。ただ静かにそこにあるだけ。その様相を見ていると、まるで他に人間がいない異世界に迷い込んでしまったような想像をしてしまう。人がいないのは、単に時間のせいだと分かっているのに、一度した想像はなかなか頭の中から消えてはくれない。
少し震えている手を動かして恵里香の家を照らしてみる。
二階の窓が開いていた。
位置的には恵里香の部屋だろう事は分かるけれど、中までは見えない。恵里香と神奈の無事を確認するには、入って確かめるしかないと覚悟を決める。
玄関に手をかけると、鍵は開いていた。
おかしい。と思うも、恵里香が逃げ出したなら当然かと考えなおす。
静かに開けるつもりだったけれど、手が震えていたせいで、思った以上の音が響いてしまった。
少しだけ動かずに様子を見る。
音に反応して何かがやってくる、という事はなく、静かな空間が広がっていた。
恐る恐る中に入り、電気のスイッチを押す。明るくなるはずの室内は、いつまで経っても暗いまま。何度かスイッチを押してみるけれど、電気が付かないことは変わらなかった。
暗いまま進まなければならない事実にくじけそうになる。それでも神奈と恵里香の顔お思い浮かべて奥へと足を踏み入れた。
「神奈? 恵里香?」
小声で呼びかけながら歩き、スマホのライトで隅々まで照らす。返事は帰って来ない。
とりあえず階段を上る。恵里香の部屋を真っ先に調べた方がいいと思ったからだ。何度か来た時の記憶を頼りに進み、一つの扉の前で泊まる。
ここが、恵里香の部屋のはず。
ゆっくりと手を伸ばしてドアノブを掴む。その瞬間、誰かに見られているような気がして振り向いた。
暗い廊下には誰もいなかった。
嫌な汗が背中を流れていく。早く中に入らなければと感じた。
振り返って、そのままドアを開ける。
臭い。
まず感じた異臭に顔が歪む。
ライトを部屋に向けると黒ずんだカーペットが見えた。
大量の液体でびちょびちょになって水たまりのようになっている。
水たまりは奥にあるベットの所まで続いていて、僕は追いかけるようにライトを向けた。そして、――
――そこにそれがあった。
ベットに寄りかかるようにして落ちている。
まるで人形。
それが人形でないと分かるのは、大量の血液が流れ出ているから。
まず、両手首には包丁のような刃物が刺さっている。
左手なんて今にもとれてしまいそうにプラプラと揺れていた。
そしてもう一か所。
絶望的な場所。
首に包丁が差し込まれている。
丁寧に二本。同じ向き。
それがもう死んでいる事は、顔を見れば理解できた。




