告白
どのくらいドアを睨みつけていただろうか。
ノックというには乱暴すぎる音が止んでから、部屋の中には静寂が続いていた。張り詰めていた気が少しずつ抜けてくる。
もう何もいないのかもしれない。そう考えると、痛いくらいに入っていた身体の力が抜けて、思わずベットに座り込んだ。
「……って…たのに、……は…よ」
呪いの呪文か何かのような呟きが聞こえてくる。
そこでやっと、ドアの外に気を取られて忘れていた一真の存在を思い出した。
一真はまだ伏せたまま頭を隠して、床に這いつくばっている。駆け寄ってみてもその呟きは小さくてよく聞こえない。ただ止まることなく一真の口は動き続けていた。
「か、一真?」
呼びかけてみるけれど、返答はない。一点を見つめたまま僕の事なんて目に入っていないかのように、一心不乱に何かを呟き続けている。その姿に流石に不気味なものを感じた。
「一真! しっかりして! もう大丈夫だから」
大きな声で呼びかけて身体を揺さぶる。
「一真!」
「……あ、あぁ」
流石に我に返ったのか、見開かれたままの一真の目がしっかりと僕の姿を捉えたようだった。
「落ち着いて、もう大丈夫みたいだから」
一真の目を見てゆっくりと伝える。荒い息をしながら目を見開いていた一真は、何度か頷いて状況を飲み込もうとしているように見えた。充分に落ち着いてくれるまでゆっくりと待つ。冷静になってもらわないと、この先何かがあった時に致命傷になりかねない。
ドアの向こうからは何の音もしてこない。
本当は向こうに行きたくもないけれど、一真のためにも、ドアの向こう側を確認しておかなければいけないと思った。友達を大切に思う気持ちの前には、得体の知れない存在への恐怖も乗り越えられる。僕は一真を何としても守りたかった。
意を決して立ち上がり、ドアに向けて一歩踏み出す。
「大丈夫なんて、なんの根拠があるんだよ」
背後から聞こえた棘のある声に足を止めて振り返った。
一真が僕を睨んでいた。今までそんな目で見られた事があっただろうか。思い出せる限りは初めての経験だった。
「適当言ってんなよ。本当に大丈夫かどうかなんて分かんないだろ」
吐き捨てるような言い方。小さい頃に喧嘩した時だってそんな言い方はされなかった。急変した一真の様子に少し戸惑い、なんと声をかければいいか分からない。それでも場の空気に耐えられなくなって、何か喋らないといけない気になる。
「で、でも、もう音はしなくなったし」
「だから何だよ。本当にいなくなったのか? 確認したわけでもないのによく言えるな」
「それは今見に行こうとしてたんだけど」
「だけどなんだよ。見てはないんだろ。それに、いなかったとしてもまた戻って来るかもしれないじゃないか!」
「それは、そうだけど……」
「ほら見ろ、やっぱり適当じゃねぇかよ。そんで都合が悪くなったらだんまりか?」
そこまで言われると、流石に少しだけ感じるものがあった。僕は一真に落ち着いて欲しくて言っただけなのに、どうしてそこまで言われないといけないのか。
「でも、一真は確認にも行けなかったじゃないか」
「……なんだと?」
はっきりと一真の空気が変わるのが分かった。ただわめいていただけの状態とは違い、明確な怒りを感じる。
「なんだお前、オレを見下してんのか?」
「別に、そういうわけじゃ」
「じゃあどういう事だよ? ふざけんなよ、オレのおまけみたいな存在のくせに何様だよ」
その物言いには、はっきりと傷ついた。一真がいつも僕の事をそんな風に見ていたのだと思うと、普段は考えないようにしていた汚い感情が湧き上がって来る。
ずっと自覚はあった。
幼馴染の中で僕だけがなんの取り柄もない。美男美女の中にぱっとしない見た目の僕がいる違和感。一真や翔也みたいにスポーツが得意なわけじゃない。恵里香みたいに成績が目立っていい事もないし、神奈みたいに誰とでも仲良くなれるような力もない。
ないないない。ないないづくし。それが僕。
そんな僕がどうして皆と仲良くしているか、それは十年以上の月日で築いてきた信頼ゆえ……そう思いたかった。いつも、そう思い込んで過ごしていた。
けれど、幼馴染の一人から今、はっきりと言われた。
僕は、”おまけ”なんだ。
最初から一緒にいたから、今も一緒にいるのはただそれだけの理由。別にいてもいなくても変わらない。だっておまけだから。
けれど、皆がそれをはっきりと言う事は今まではなかった。だって皆いい人だから、普通に気を遣うよね。言ってしまえば僕が傷ついてしまう事も分かっていたから、だから言わなかった。親友だから、幼馴染だからという聞こえのいい理由で、僕も一緒にいさせてくれただけだったのだろう。
その証拠が今の状況。
外面も取り繕う事も出来ないくらいに追い詰められて、心にまったく余裕がなくなった時、人はやっと本心をさらけ出す。
恐怖で余裕もなくなった一真から出た本音。それが本当の僕への評価。
それはそうだと思う。これまでの人生、僕は本当に一真のおまけだった。
幼い頃、なかなか友達が出来なかった僕に、声をかけてくれた一真。一真と一緒にいるようになってから、僕にも友達が出来た。翔也、神奈に恵里香も、一真と一緒にいたから出来た幼馴染。他の友達も全部そう。高校で部活に入ったのも、一真に誘われたからだった。
僕は一真にただくっついて、金魚の糞みたいに一緒にいただけ。そんな僕を一真が自分のおまけと思っていたとしても、何の不思議もない。他人から見たらまさしく僕はおまけ。他の幼馴染たちにとってもそれは変わらないだろう。翔也も神奈も、恵里香だって、一真と仲良くなりたかっただけで、僕とはついでに仲良くしてくれていただけなのかもしれない。というか、そうなのだろう。
けれど、そんな風に思われている事を気が付かないふりして、僕は今までやってきた。
大切な友達。大事な幼馴染。そういう素晴らしい括りで、僕も皆の仲間として一緒にいたかった。
「何とか言えよ」
「……ごめん」
「謝ったって事はやっぱり見下してたんじゃねぇかよ! 調子にのってんじゃねぇぞお前、何の取り柄もないくせに」
「違うよ。一真の言う通りだよ。僕はただのおまけだ」
「ハッ、今更気が付いたか? いつも神奈や恵里香が良くしてくれて勘違いしてたもんな!」
「……ごめん」
「だいたいよぉ、なんでお前はオレと一緒に隠れてるんだ?」
「え? だって神様から隠れないと」
「それはオレと神奈と恵里香だけだろ! お前は鬼をやらされてたんだから関係ない! お前だけ! 隠れなくていいんだよ!!」
立ち上がってきた一真に胸倉をつかまれた。そのまま壁に押し付けられる。一真は憎しみのこもった目で睨みつけてくる。最後の叫びが、一真の心を爆発させた本当のきっかけなのかもしれない。
「何でオレ達がこんな目に合わなきゃならないんだ? 何でおまけのお前が……お前が神様とやらに連れて行かれちまえばいいのによ!」
ありのままの増悪をぶつけられたまま僕は、他人を気遣える余裕がなくなった時、人はここまで変わってしまうのかと、頭の冷静な部分で考えていた。
一真が言ったオレ達には、僕は含まれていない。それはやっぱり、幼馴染のメンバーとして見られていないという事の証明で、ついには僕がいなくなればいいとストレートに言われてしまった。
こんな時、普通なら怒るのだろうか。きっとそうなのだろう。けれど、僕には怒る気力もなかった。
「ごめんね。けど、僕は一真の役に立ちたくて」
「はぁ? お前が何の役に立つんだよ? 役に立つどころか、お前はいつもオレの邪魔ばかりしてきたくせに」
「そんな、この前危ないところで一真を助けられたじゃないか」
「何だ? 恩でも着せてるつもりか? あんなの誰だって助けるだろうが、たまたまお前がいただけだろ」
「それは、そうだけど」
「それにたった一回助けたのが何だ? お前は今まで何度オレの邪魔してきたんだよ? 小さい頃からオレに面倒見させて、最近はオレの部活の活躍まで奪いやがった」
流石にその事を持ち出されると何も言えなかった。
僕が虐められるようになってしまった原因の出来事。一真は僕を庇っていてくれていたけれど、これが本音。心の中ではずっと恨んでいて、それに気が付かない僕へのイライラを溜めこんでいたのかもしれない。
「だいたいよぉ、あの頃だってお前は、本当はオレは……恵里香を……」
恵里香の名前が聞こえたけれど、何と言ったかまでは聞こえない。今までの責めるような大声とは違い、振り絞るような一真の声は何故か悔しがっているように聞こえた。
「な、何のこと?」
「うるせぇ! マジでイライラするんだよ! お前は人の気も知らないで、いつもヘラヘラしやがって! 」
「そんな、僕はいつも一真や幼馴染の皆の事を考えてたよ」
「だったら何でお前は何も知らないんだ? オレがどれだけお前の事を怨んでて……羨ましいと思ってたか分かるか?」
予想外すぎる言葉に声が出ない。
羨ましい? 一真が僕の事を?
冷静になって考えるほど意味が分からない。いつも主役だった一真が、おまけの僕を羨ましく思うことなんてないはずだ。僕の事をおまけ扱いしたのは一真自信だし、おまけを羨ましがる必要性がない。
「羨ましいって、何で?」
「ほら見ろ! 何も知らないじゃねぇか! オレの気持ちも、神奈の事も、翔也の事も……恵里香の気持ちだって知らないだろ! お前はおまけだから、オレたち幼馴染の事は何も分からないんだ!」
ここでどうして皆の事まで出てくるのかが、まったく分からない。混乱する僕を見て、一真は乾いた声で笑い始めた。
「ハハッ、それでオレたちの事考えてるなんて、ホント馬鹿みたいだなお前。お前は何にも知らないんだ。本当は誰がお前を虐めてたのか、翔也が何で死んだのか、何にも知らないだろ!」
「ど、どういう事?」
僕の混乱は最高潮に達した。
どうして今、僕が虐められていた事が出てくるのか、どうして翔也が死んだ真相を知っているように話すのか。
一真とは十年以上一緒にいた。
向こうからそう思われていなかった事は今実感したけれど、僕は大切な幼馴染だと思っていた。だから、一真の事なら他の幼馴染たちと同じくらい分かっているつもりだったのに……。
一真が言う通り、僕は皆の事を何も知らないみたいだった。今、一真が何でこんな話をしているのか、見当もつかない。
聞くのが怖い。けれど、この状況で聞かないわけにもいかない。喋るだけのその動作に、寿命を使うような疲労を感じる。
「一真、何を知っているの?」
「教えてやろうか――」
嫌な笑顔だった。
まるで僕を虐めて来たクラスメイトたちのように、ニヤニヤとした笑みを浮かべた一真が口を開いた時、部屋の中から音が聞こえてきた。
薄ら笑いを引っ込めて、真っ青になった一真と同時に音の元を振り向く。
僕のスマホが振動していた。
画面には、恵里香からの着信が表示されている。
気が付けば、日付をまたいだこの時間。恵里香が電話をかけてくる理由はなんだろうか。
瞬間的に一番いやな想像が頭の中を駆け巡り、一瞬だけ一真と目を合わせた後、僕は恵里香からの着信を取った。
「もしもし」
『……』
「もしもし、恵里香?」
『……ぁ……』
「恵里香? 恵里香⁉」
向こう側からはかすかに乱れた息づかいが聞こえるだけ、確実に何かあったような雰囲気に、思わず声も大きくなる。すっかりと険悪になっていた一真も、我を忘れたように僕に近づいてきて様子を伺っていた。
スマホのスピーカーを切り替える。一真にも微かな息づかいが聞こえたようで、表情が真剣になった。電話をかけてきた恵里香からは、まだ何も聞けていない。何も言ってくれない状況に焦りが募り、ただ無事を確認したくて何度も呼びかけと、一真も隣で声を上げる。
「おい恵里香! なにがあったんだ⁉」
「恵里香? お願い、返事して!」
『……ぇ……たす、けて……』
最悪の想像が現実となって襲い掛かってきた。




