罠
夏休み初日。恵里香の発案で山奥の神社を訪れた僕たちは、思いがけない出会いに助けられて、大きな発見をする事ができた。
高校三年の夏。本当なら、進学組は夏期講習が開かれている学校に通っているか、塾か講座にでも参加して、必死になって勉強に励んでいるような時なんだろう。
一真はスポーツでの推薦を狙っていると聞いた。神奈は進路なんて適当でいいと言っていたけれど、何でもそつなくこなす神奈の事だ、きっと自分の中ではしっかりと道筋が立っているのだと思う。恵里香は元々成績がよく、後から挽回も充分できるはず。そう考えると、僕が一番危うい立場にいるのかもしれない。けれど、それでも今直面している危機を乗り越える事の方が重要事項だった。
神社でとある御札を手に入れた僕たちは、一度恵里香の家に帰り作戦を立てることにした。
僕たちに色々と教えてくれたおじさんは、御札を借りていくことも許可してくれた。管理していた一族がいなくなり、もう十年以上も放置されてきた神社を代わりに掃除をしていたおじさん。壊すようにして開けた扉の修理も引き受けてくれて、もし神主さんが戻ってきたら、説明もしておくと言ってくれた。
これ以上ないくらいに助けてもらったおじさんには感謝の言葉しかない。昔、僕たちと同じくあの神社でかくれんぼをして『ガマズミ様』に友達を連れて行かれた経験をしているらしく、僕たちの事も自分の事のように話を聞いてくれた。
今日神社に行かずに、あのおじさんと出会えていなければ、僕たちはもうすぐ限界迎えていただろう。
そんなおじさんが、最後に大切な事を教えてくれた。
「ガマズミ様から隠れる時は皆で固まってはいけないよ。人数が多いと御札があっても見つかってしまう事があると神主さんが言っていたからね。御札一枚に一人か二人がいいだろう。それと、うまく二日間隠れられたら、二度とこの神社には来てはいけない。せっかく諦めたガマズミ様に、また目を付けられてしまうからね」
御札を返しに行くつもりだった僕にも、おじさんは首を横に振った。何が起こるか分からない以上、鬼をした僕でも来ない方がいいとのことだ。大切な幼馴染のためにも、少しでも危険がある事はしたくない。御札は返せない事にはおじさんも仕方ないと言ってくれた。
神社に行く前、僕たちに漂っていた陰鬱とした空気は今はなくなっている。どうすればいいのかも分からずに怯えていただけの時とは違い、今の僕たちは何をするべきなのかを知っている。助かるための方法を知っている。自然と活力もわいてきた。
恵里香の家には、仕事の都合で親は朝からいなかった。神様だなんだと話しをしているところを聞かれたら、間違いなく頭の心配をされてしまう事になるから、僕たちにとっては都合がよく、気兼ねなく作戦会議を始める。
僕たちはまず、聞いた情報をまとめることにした。
神社で祀られている神様は、ガマズミ様という子供の神様。
神社でかくれんぼをした子どもは、鬼以外、ガマズミ様に連れて行かれてしまう。
連れて行かれない方法は、御札を貼った家、もしくは部屋に隠れて、二日間外に出ない事。
その間、窓や玄関など、外に繋がっている箇所を開けてはいけない。
大人数で隠れてもいけない。せめて二人まで。
隠れ切った後は、二度と神社に行ってはいけない。
基本は御札を貼った家の中から二日間出なければいいだけの単純な内容。もう一度かくれんぼして、ガマズミ様が見つけられないまま二日間が立てば、諦めて帰ってくれるというもの。
ただ、一見簡単に見えるそのかくれんぼも、現実的に考えると、いくつか問題が浮上した。
「家じゃ無理だよね。家族が出入りするし、神様が来るからなんて言っても信じてくれないし、どんな言い訳しても生活していく上では無理がありそう」
神奈の言葉通り、一緒に住んでいる家族にも二日間家を閉め切って外に出るなというのは無理がある。だいたい、どう説明したら協力してくれるか考えもつかないし、仕事とか買い物、二日間外に出ないというのは無理がある。
「オレの家は無理だな」
「僕の家も」
「私の家なら使えるよ。今回の仕事は長いらしくて、一週間くらいは帰ってこないって言ってたから」
状況から考えて恵里香の家は一つ目の候補地になった。問題は、一か所に隠れる人数を多くても二人で抑えないといけない事。丁度御札は二枚ある。一枚を恵里香の家に貼って、もう一枚を使ってどこか隠れられる場所を探さなければいけない。僕の家、一真、神奈の家も条件的に厳しい。そうなると、他の選択肢を探す必要がある。
「ホテルはどうかな?」
考え込んでいると恵里香が言った。初めはホテルなんて不特定多数の人が出入りする場所は向いていないと思ったけれど、よくよく考えれば、これ以上ないくらい条件にはピッタリだと思った。
二日間部屋を借りて、部屋だけを閉め切ってしまえば、中にはお風呂もトイレもある。後は籠城用に食糧と水を持ち込めば、わりと簡単に条件を満たせる。お金を払えば家にいるより遥に簡単、誰にも迷惑をかけずに二日間閉じこもれる。
「恵里香の家とホテルで、二人ずつに別れよう」
恵里香の家に、恵里香と神奈。ホテルの部屋を借りて、僕と一真。この組み合わせで隠れる事にする。女子を二人にするのは心配だったけれど、流石に男女でホテルで部屋は借りれない。この組み合わせが一番問題なく事が進むと思えた。
作戦が決まれれば、あとは実行に移すだけ、いつまでも神様の存在に怯えていたくはない。
僕と一真、神奈は一旦家に帰り、籠城の準備をする事にした。
恵里香の家には充分な水と食料がある。神奈がちょっとした準備をして恵里香の家に戻れば女子たちは準備完了。僕と一真は泊まれるホテルを探す必要があったけれど、検索すると、すぐに隣駅の駅前にあるホテルの一室が予約できた。近場ということもあって移動にもそこまで時間はかからない絶好の場所だった。
「どうする? 一旦別れる?」
神奈の言葉に少し逡巡する。その方が準備は短い時間で済むけれど、ガマズミ様から逃れられる方法を知った今、一人になるのは危険な気がした。
「一人にならない方がいいと思う。最初は僕と神奈で荷物を取りに行こう。戻ってきたら恵里香と神奈はそのまま御札を貼って隠れて、僕と一真で一緒にそれぞれの家に行って、食料を買ってからホテルに行こう」
その提案に皆が頷いた。いくら助かる方法が分かったとはいえ、皆心細かったのだと思う。誰も今一人にはなりたくないと、安堵した顔が物語っていた。
方針が決まった僕たちはすぐに動き始めた。
すぐに神奈を自宅まで送り、荷物をまとめて恵里香の家に戻る。神奈は家族には恵里香の家に泊まりに行くと説明して、何の問題もなく出て来た。昔からの付き合いで、特に心配されるような事もなかったらしい。僕と一真も、ホテルとは言わない方がいいかもしれないと思った。
神奈との外出は何の問題もなく、無事に恵里香の家まで戻って来ることができた。
待っていた一真と頷きあう。
出発する前に、恵里香に御札を渡し、四人で向かい合った。
お互いの顔をよく見合う。慣れ親しんだ三つの顔。少し前まではここにもう一人いたはずだった。いなくなってしまった翔也。一人いないだけのその穴が、あまりにも大きくて、だからこそ今いる幼馴染たちは絶対に失いたくないと改めて思う。
「じゃあ、僕たち行くね」
そう言ったところで神奈が抱き着いて来た。突然の事で一瞬固まったけれど、神奈の身体が震えている事に気が付いて、そっと背中を撫でてあげた。
「きっと大丈夫だよ神奈。二日過ぎたら、また何事もない日常に戻れるから」
「うん、うん……優人、ごめんね」
「おい、神奈……オレにはハグないのか」
「……一真はいやらしい顔するから無理」
腕を広げて待ち構える一真と、ぼくに抱き着きながら拒否する神奈。ふざけ合っている二人の姿は、これまでに何度も見て来た光景。けれど、最近はまったく見られなかった姿で、僕は何だか泣きそうになった。
直前に、神奈が何を謝ったのかと気になったけれど、些細な事だと特に気にせず、二人のやり取りを眺める。
「優君は大丈夫だと思うけど、気を付けてね」
恵里香も二人のやり取りを見て、少し緊張が和らいだのか、穏やかな顔をしていた。その顔を見ているだけで、きっと大丈夫だと思えてくる。
「一真の事は任せて、恵里香も気を付けて」
「うん。また二日後にね」
二日後。そう聞くと、たった二日と思っていた期間が、とても長く感じた。二日も恵里香と神奈に会えないと思うと、少し不安が湧き出てくる。二人と別れる事に後ろ髪を引かれた。本当なら四人で一緒に居たい。けれど、ここだけ我慢だと自分に言い聞かせる。
同じく名残惜しそうにしている一真と頷きあって、僕たちは歩き出した。恵里香と神奈は、姿が見えなくなるまで見送ってくれて、僕たちは何度も振り返って手を振った。
神奈の時も思っていたけれど、外に出ると何となく不安な感覚に襲われる。いつガマズミ様がやって来るか分からない緊張で、勝手に心がすり減って行くような気がする。一真もそれは同じみたいで、元気を取り戻していた表情が、また緊張してきているように見えた。
僕たちはどちらともなく早歩きになり、途中のコンビニで食糧を買い込んでから、一真の家に向かう。
五階建てのマンションの一室が一真の家だ。
これまでにも数えきれないほど遊びに来ている場所。見慣れたエントランスに入り、エレベーターを待つ。少しすると、すぐにエレベーターが降りてきて口を開けた。
比喩じゃない。一瞬、本当に口が開いたように見えた。
ギョッとしながらも、乗り込もうとする一真の腕を掴む。引き止められた一真は怪訝そうに振り返った。
「どうした?」
「……なんとなくだけど、エレベーターには乗らない方がいい気がした」
返答はそれだけしか出来なかった。ただ、一真も何となく嫌の想像をしたのかもしれない。あっさりとエレベーターに乗るのを止めてくれた。
階段で五階まで上がり、一真の家へ、家族には僕の家で泊まると嘘をついた。何度となく泊まり合っているから、特に心配されることもなく了承される。
おやつでもと勧められたところを遠慮して、荷物をまとめた一真と足早に家を出る。
下へも階段で降りるため廊下を歩いていると、正面でエレベーターが口を開けていた。まるで僕たちを追いかけて来たように見えた。
思わず足が止まる。一真が唾を飲む音が聞こえた。
考えすぎだと頭をふる。丁度、誰か他の住人が乗って来た所だったのだろうと懸命に思い込む。それでもエレベーターには乗る気にはならなかった。
階段を下り、一階へ戻る。
エントランスに出た時、丁度マンションの住人がエレベーターのボタンを押したのが見えた。
その後すぐ、僕は思い切り耳を塞いだ。
エレベーターから黒板をひっかくような大きな音がして、直後に轟音が鳴り響いた。
突然の出来事に状況が理解できない。
エレベーターのボタンを押した住人は悲鳴を上げて尻もちをついている。
その視線の先で、落ちて来たであろうエレベーターが粉々になっていた。
もしエレベーターに乗っていたら、僕たちは一緒に落ちて死んでいた。とても生きてはいられない事は、エレベーターの状況を見れば一目瞭然で、死がすぐそこまで迫っていた事を嫌でも実感してしまう。
「ぁ、ぁあ、そ、そんな……」
一真は声を漏らしながらその場にへたり込んだ。少しでもエレベーターから離れようとしているけれど、腰が抜けたのか足を動かせていない。ガチガチと歯を打ち鳴らして、目を見開いたまま壊れたエレベーターを見つめている。
少しだけ元気を取り戻していた所にこのアクシデント。上げて落とされたようなものだ。
僕も一真と同じだ。足が動かない。
ただ純粋に怖かった。
あの後。僕は一真を引きずるようにしてマンションを出た。
騒ぎを聞いて駆け付けた住民たちが管理会社や警察に連絡を入れ始めたからだ。もし、足止めをくらえば、もっと命の危機にさらされかねない。足元がふらついている一真に肩を貸して、電車を使ってなんとかホテルまでたどり着いた。
道中、僕たちは気が狂ってしまいそうな緊張感を味わう事になった。
エレベーターが落ちてくる現場を目撃してしまい、本当に何でも起こりえる事を意識してしまうと、目に映る者全てが危険に見えてくる。
すれ違う車。
後ろから歩いてくる人。
建物についている看板。
工事で使われていた重機。
ヒビが入ったブロック塀。
落ちている石ころまで、見えたものすべてにビクついて、脈は長距離走をしている時のように、早く、息切れがする。
そんな状態でホテルについた僕たちは、もちろんエレベーターを使わずに、五階にある部屋まで階段を上った。
部屋に入ってすぐ、鞄から御札を取り出す。ドアには誰も訪ねて来ないように、すぐにドアプレートをかけて、御札はセロハンテープで壁に貼り付けた。これなら壁に跡を付けずに、すぐはがすことができる。
壁に貼った大きな御札を見て、僕たちはやっと一息ついた。
蒸し暑さと緊張のせいで、服が肌に張り付くほど汗をかいていることに気付いたのは、お互いが呼吸を落ち着けた後だった。
結局、僕の家には戻らずにホテルに来た。そこまでできる心の余裕がなかったからだ。下着は駅前のコンビニで買ったものでなんとかする事にして、家には電話をして一真の家に泊まると嘘の説明をした。
一真も家族からの連絡が沢山来ていた。エレベーターの騒ぎを聞きつけたのだろう。けれど、一真はとても話す気にはなれないようで、無事である事だけをメッセージで送っていた。
やる事をやった僕たちは、そこで力尽きてベットに倒れ込んだ。
酷い精神的な負荷で、身体にまで影響が出ている。
けれど、これでやっと安全を確保できた。
「やった……やったぞ、優人! これでもうオレは安全なんだよな⁉」
倒れ込みながらも興奮した様子で話しかけてくる一真に頷く。
外は夕暮れ、完全に暗くなる前に、僕たちはなんとか安全を手に入れた。




