ガマズミ様(下)
「まさか、形代を付けずにこの神社でかくれんぼをしたんじゃないだろうね?」
おじさんの言葉は鋭く、僕は小さい頃、先生に怒られてしまった時の事を思い出した。直接会話に参加していなかった一真と神奈も同じなのか、少し身を縮ませている。
「形代を付けずにかくれんぼをしました。もう十年くらい前ですけど」
恵里香だけが構わず口を開く、普段大人しい人ほど、何かあった時にも動じないというのは本当なのかもしれない。
「なんと……なんと馬鹿な事を」
恵里香の言葉を聞いて驚愕したおじさんは、すぐに力なく首を垂れた。その態度の変化が逆に恐ろしく感じる。てっきりこのまま怒鳴られて、神社での決まり事を破ってしまった事を怒られるのかと思っていたのに、おじさんはそんな気力もないというような態度になってしまった。
まるで、もうどうしようない、変えられない運命を悟ってしまった人のように、その身体からは全てを諦めたような空気を纏っていた。
「君たち、ガマズミ様に連れて行かれるぞ」
淡々と事実だけを告げるようなその言葉。背筋に悪寒が走る。
「連れて行かれるって、ただの迷信なんじゃ?」
今まで黙っていた一真が口を開いた。その顔はすでに青白く血色がない。
「いいや、私は実際に連れて行かれた子供を知っている」
一真は冗談だと言って欲しかったのだろうけれど、おじさんからはそんな期待を裏切るような言葉が返って来た。一真の顔色が一層悪くなり、死人のような表情になってしまっている。見ていられなくなった僕は、一真を石段に座らせて休ませ、それから話を切り出した。
「連れて行かれるって、どういう事なんですか? 本当に神様なんているんですか?」
おじさんは社殿に目をやり、少しだけ辺りを伺ってから話す覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開いた。
「私は昔からこの辺りに住んでいたと言ったね。もちろん子供の頃は、身代わりかくれんぼにも参加したよ。その時にね、一緒に参加した男の子がいたんだ。彼はとても元気のいい子でね、まぁよく言えばやんちゃだった。神様の話もまったく信じていなかった彼は、神様に会ってやると言ってきかなくてね。かくれんぼに付き合わされたよ。私は鬼だった。」
「……その人はどうなったんですか?」
「隠れてそのまま、見つかっていないよ。何も分からないままさ。当時は大きな騒ぎになってね。何人もの大人が探してくれたけれど、結局手がかりすら得られなかった。大人たちは誘拐とか遭難したのではないかと言っていたけれどね、当時の老人たちだけは、ガマズミ様に連れて行かれたと言っていたよ。まぁそんな話を信じていたのは、当時子供だった私だけだった」
おじさんの話がいったいどれくらい前の事なのかは分からないけれど、僕が聞いた事もないその事件はきっとかなり前の出来事なのだろう。けれど、実際に人が消えているというのは、否が応でも神様の存在を意識してしまいそうになる。
「連れて行かれるってどうなるんですか?」
「それは分からないよ。ただ、ガマズミ様は遊び相手が欲しくて子供をさらうと言われているからね、神様の世界で一緒に遊んでいるのかもしれないね」
おじさんは消えた子供と仲が良かったのかもしれない。目を細めて話す姿は、せめてそうであって欲しいと思い込もうとしているように見えた。
けれど、僕たちはそうじゃないと思っている。連れて行かれるというのは、ガマズミ様に『殺される』という事なのかどうか、それを確認しなければならない。
「私たちの友達が一人死んじゃったんです」
神奈も初めて口を開いた。漏れてきたのは振り絞るような声だった。
「……それは、本当かい?」
「はい、もちろん一緒にこの神社で遊んだ友達です」
恵里香が後を引き継いで話すと、おじさんは顔を歪ませて、それからゆっくりとため息をついた。
「けれど、ガマズミ様は遊び相手が欲しいだけのはずなんだ。神隠しのようなもののはずだ。いつかひょっこり戻って来ると、そう私は信じていた」
「私たちもそれぞれ危ない目に合いました。皆運よく大丈夫でしたけど、命に関わるような事です。私は実際に怪我もしました」
恵里香は処置されている腕を見せた。痛々しい腕の様子を見て、おじさんは呻いて何も言えなくなり、俯いた。なんだかその姿を見ていると、少し不憫に思えて来た僕は話しを変えることにする。もっとも重要な事。ここに来た本来の目的へ。
「おじさん、何かガマズミ様に連れて行かれない方法はないんですか? 僕たち、今日は神主さんにその話を聞きたくて来たんです」
顔を上げたおじさんは、ゆっくりと首を横に振った。
「聞いたことはあるが、無理だ。君たちも連れて行かれる。連れて行かれないで済むのは、鬼をした者だけだ。私のようにね」
声にならないかすれた悲は誰のものだったのか、おじさんの言葉に皆が絶望感がつのる。
「そんな、何でですか? 方法はあるんですよね?」
「あぁ、私も昔いた神主さんに聞いたことがある。消えた友達を見つけたかったんだ。どうすれば神様に連れて行かれないか、どうすれば神様に連れて行かれた人を返してもらえるかと、神主さんに泣きついた。けれど、残念ながら連れて行かれた人を取り返す方法はないと聞いた。ただ、神様から連れて行かれないために行う儀式は教えてもらえたよ」
「ならその儀式の方法を試せばいいじゃないですか! 教えてください! どんなに難しい事でもやりますから!」
方法があるなら活路はある。歓喜して食いつく僕とは裏腹に、おじさんは目を伏せてしまう。
「儀式なんて大層に言っていたが、要は隠れるだけで難しい事はないよ。ただ、問題は別の事なんだ。神様から姿を隠すためには、神主さんが持っていた大きな御札が必要だと言っていた。私はそれを持ってはいない」
御札。心霊的なオカルト話では昔から現在まで活躍している。御札の力で霊を成仏させたり、封印していたりというのはよくある話。ただ、そういうアイテムは、だいたいその道のプロからもらうようなものだ。もちろん僕たちにそのあてはないし、おじさんも持っていないとなれば、手に入れる方法はない。
「じゃあ、もうこの神社でかくれんぼを僕たちは……」
「私にはどうする事も出来ないよ」
「いったいどうして? かくれんぼをしてから、もう何年も経つのに」
「分からない。ただ、神様って言うのは気まぐれだ。実際に君たちに何か起きているのは事実なんだろう?」
すすり泣く声が聞こえる。石段に座っている一真の背中が震えていた。神奈も震える自分の身体を抱きしめている。
僕ももう話す気力がなくなっていた。どうしようもない。その事実だけが重くのしかかる。おじさんが昔、この神社の神主から聞いた方法。本当に効果があるかどうかも分からないけれど、一番試してみる価値のあるその方法は、御札がなければ成立しない。
何か対策を立てるために、神様の事を調べにこの神社に来たのに、結局は無意味になってしまった。初めから、どうしようもない事だった。幼い頃の僕たちが、かくれんぼをしてしまった時点で、この運命は決まっていたみたいに感じる。もう逃れる事は出来ないらしい。
無気力になる僕たち、最悪の空気だった。おじさんも居たたまれないのか気まずそうに見える。
そんな中、恵里香だけが動き出した。追いかける気力もわかない僕は、目だけを動かしてその姿を追う。恵里香は社殿に向かっていき、階段を上りだした。
「な、なにを」
おじさんが何か言う前に、恵里香は社殿の扉に手をかけた。
「諦められないよ。何か、何か役に立つような物があるかもしれない」
そう言う恵里香の目には、まだ力があった。この状況でもまだ恵里香は諦めていない。何か出来る事があると信じている。誰もが諦めているなかで、一人だけ立ち向かう事を止めていない。その姿は、見ているだけで力を貰えるような気がした。
段々と心に熱が戻って来る。そうだ。諦めたら、僕の大切な人達がいなくなってしまうかもしれないんだ。落ち込んでいる場合じゃない。
僕も社殿の階段を上る。恵里香は頷いて扉に賭けた手に力を込めている。鍵はかかっている様子だけど、だいぶ寂れているみたいだった。ガチャガチャと音を立てて、扉も開きかけている。あれなら二人で力を込めれば開けることもできると思う。
「おじさん、あの中って見た事ありますか?」
「いや、私も境内の掃除を頼まれただけだから、建物の中までは見たことがないよ。もしかしたら、置いてあるかもしれないね」
勝手に社殿に入ろうとする僕たちに、おじさんは怒る事はなかった。仮にも本当の管理人に変わって神社を管理してきたおじさんは、僕たちの境遇に過去の自分を重ねたのかもしれない。
おじさんが止めるように言わない事を確認して、僕と恵里香は扉を握る手に力を込めた。
バキッと何かが歪むような音がして、扉の間に隙間が出来る。その隙間を無理やり広げていき、人が通れるくらいまで扉を開く。
扉の向こうに見えた社殿の中は物置のようにされていて、沢山の荷物が置かれていた。開いた隙間から中に入り近くにあった箱を触ってみると、大量の埃が空に舞った。その凄まじい量から、長い間放置されていた事がよく分かる。
後ろから、恵里香とおじさん、神奈も社殿に入ってきた。三人も埃の酷さに顔をしかめている。
この中から何かを探すのは骨が折れそうだ。荷物の量だけ見ても相当ある。それをこの埃舞う環境の中で全てチェックするには、マスクと防護ゴーグルでも必要だと思った。
とりあえず、外に出した方がやりやすいかと思い、手ごろな荷物に手をかけて持ち上げる。立ち上がったところで、他の三人が微動だにせず一点を見つめている事に気が付いた。一瞬、背筋を冷や汗が流れたけれど、三人の表情から恐怖は感じない。少し心を落ち着けて視線を辿る。
三人の視線の先には、二枚の長い御札が壁にかけられていた。
御札にかいてある字は読めない。けれど、形代のような人型の模様が描いてあり、何かしら関係のあるものだと感じた。荷物の間を縫って壁際まで進み御札の前まで来る。一度振り向いて三人を見た。
神奈は微動だにしない、おじさんは目を細めてこちらを見ている。恵里香は頷いてくれた。その頷きに後押しされて、僕は御札を手に取った。
「……あれ?」
手触りに違和感を感じて裏を見る。御札の裏側は黒く染められていた。
いや、違う。
「うわっ⁉」
その瞬間、思わず御札を手放していた。
御札の裏は黒く染められているわけではなかった。
黒く染めてあるように見えるほどの量の髪の毛が、びっしりと張りつけられている。触ってしまった手から全身に向けて鳥肌が広がっていく。
僕が手放した御札をおじさんが丁寧な手つきで拾ってくれた。張ってある髪の毛を見て驚愕しながらも、大事そうな手つきで御札を扱っている。
「こ、これだ。あの時見せてもらったものに間違いない。残っていたのか……」
「もう一枚もこうなってるの?」
同じく髪の毛を見た恵里香が聞いてくる。正直さわりたくないけれど、僕は裏側を触らないように注意してもう一枚の御札を手に取った。裏を確認すると、同じように髪の毛が張り付けてある。予想はしていたから今度は投げ捨てるような事はせずに注意して持つ、皆を救えるかもしれない大事な御札だ。ただ、それもずっと持っていたいような物でもない。髪の毛には触らないようにしておじさんに御札を向ける。
「おじさん、これがその御札なんですか?」
「あぁそうだ! よく残っていたものだよ。これがあればガマズミ様に連れて行かれなくて済むぞ!」
薄暗い社殿の中、おじさんは一人興奮して声を上げた。
外にいる一真にも状況を知らせるため、一度全員で外に出た。
一真は相変わらず石段に座って落ち込んでいたけれど、御札があった事を伝えると勢いよく顔を上げてくれた。驚きに溢れていた表情の中に希望の色が見え隠れする。少しだけ人間らしい顔に戻ってくれた事が嬉しかった。
「これがあれば、本当に助かるんですか?」
神奈が疑うようにして言った言葉には、隠しきれない期待がにじみ出ている。おじさんも安心させるように笑みを浮かべて頷いた。
「確かにこの御札だよ。神主さんが見せてくれたものと同じだ。これがあれば、神様から隠れることができるはずだ」
力強い肯定に、一気に活力が戻って来る。
助かる方法があると断言してもらった事で、絶望して表情の消えていた三人が自然と笑顔になっている。皆の明るい表情は本当に久しぶりに見た気がした。ただ、まだ気を緩めるわけにはいなかい。しっかりと神様から隠れる方法を聞かなくては、宝の持ち腐れになってしまう。
「それで、儀式っていうのはどうすればいいんですか? さっきは簡単だと言っていましたけど」
聞くと、おじさんも緩みかけていた顔を引き締めて教えてくれた。
「本当に簡単な事だよ。ガマズミ様に目を付けられてしまったら、この御札を家に貼って、丸二日間その中で過ごすんだ。その間決して外に出てはいけないし、窓とか玄関、外に続いている扉は開けてはいけない。完全に閉じこもって過ごすんだ。けれど、それ以外の制約はない。神主さんの話では、この御札がある場所は、ガマズミ様には見えないらしい。そして、二日間隠れ続けていれば、辛抱強くないガマズミ様は諦めてしまうらしい。そうなれば、もう連れて行かれることもないと言っていたよ。要は、またやればいいんだよ、かくれんぼを」
この神社でかくれんぼをした子供、鬼を除いて隠れた子供たちは、ガマズミ様に見つけられて連れて行かれてしまう。なら、ガマズミ様に見つからない所に隠れてしまえばいい。その方法はまるで意趣返しのようで、理にかなっているようにも思えた。
幼馴染たちと視線を交わす。
皆の目には力が戻ってきていた。
ただ、怯えて過ごすしかなかった時とは違う。僕たちにはやれることがある。そう思えるからこそ、気力が身体から湧いてくる。
神様とのかくれんぼが再び始まる。




