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ガマズミ様(上)


 じめじめとした曇り空。


 神社への山道は薄暗く、歩いている僕たちに重くのしかかってくるようだった。


 湿気と汗で張り付いた服を身体から引きはがす。それだけの行為が、必要以上に精神に負荷をかけてくる。


 心なしか、神社が近づくにつれて人が住めない環境に近づいているようにすら感じた。


 元々遅かった歩みがさらに遅くなり、ノロノロと亀のように歩く。これではいつまでも到着しないかもしれないという思いとは裏腹に、神社はしっかりと見えて来た。


 皆の足が自然に止まる。誰かが唾を飲む音が聞こえた。


 全員が緊張している事は漂う空気が物語っている。まるで結界でも張ってあるかのように、そこから一歩が踏み出せない。そう思いたいくらい、神社に入るのが怖く感じた。


「行こう」


 恵里香が呟いた。


 その目はしっかりと神社を見据えている。覚悟は出来ているのだろう。僕は恵里香のその目に促されるようにして、気が付けば一歩を踏み出していた。


 すぐに恵里香が付いてきて、神奈、一真も遅れながら歩き出す。


 名前も分からない古びた神社は、ついこの前に来た時から、何ら変わりはないように見えた。


 低木が植えられていて、小さな社殿は相変わらず寂しげに佇んでいる。


 そのまま社殿に近づこうとすると、腕に冷たいものが触れた。


 心臓が痛いほど鼓動し、思わず声を上げそうになる。


 けれど、自分の腕を掴んでいるのが、後ろから伸びて来た恵里香の腕だという事が分かり、口から出かかった悲鳴を懸命にのみ込んだ。


「え、恵里香?」

「何か聞こえない?」


 そう言われて、落ち着きかけた心臓が、また鼓動を速める。


 耳をすませば、恵里香の言う通り何か聞こえてくる。


 社殿の裏だ。


 ザァー……ザァー……と一定の感覚で、何かを引きずるような音がする。


 後ろを見ると、一真と神奈もすでに気が付いていたようで、かなり後方で足を止めていた。


 誰も動けなかった。


 静かな空間に、ザァー……ザァー……という音だけが響いている。


 この奥には、いったい何がいるのだろう。僕は自らの頭脳が作り上げたおぞましい神様の姿を慌ててかき消した。


 少しの間膠着した時間が過ぎる。誰も音の発生源を見に行きたくない事くらい分かっている。僕以外の三人は、笑えないような命の危険にさらされているし、恵里香に至っては実際に怪我までしているのだ。自分たちに害を与えるような存在には、誰だって近づきたくない。


 僕だってそうだ。今すぐこのまま皆を連れて神社から抜け出したい。


 けれど、それでは何も分からないまま。このまま皆の命の危機が続いて、耐えられなくなった精神が壊れるか、その前に命を落としてしまうかもしれない。


 大切な幼馴染たち。


 僕はもうそのうちに一人を失っている。


 これ以上は失いたくない。


 もし、ここには本当に神様がいて、その神様が僕の大切な人達を連れて行こうとしているなら、それは阻止しなければいけない。むしろ、もう連れて行かれた一人だって返して欲しいくらいだ。


 僕が見てくる。と伝わったらいいなと思いながら三人に向けて頷く。


 結果、伝わっていなかったのか恵里香が付いてきた。


 正直心強かった僕は、その存在に後を押されるようにして、社殿の裏を覗き込んだ。


「……あ」


「ん? おや、珍しい。参拝しに来たのかい?」


 そこにいたのは、どう見てもただの人。人間。


 しかも、何も怖そうな要素がない、穏やかそうなおじさんだった。




「この神社で人に会うなんて珍しいねぇ。麓の町の子かな?」


 おじさんは掃除の手を止めて、わざわざ表まで出てきてくれた。この神社に人が来た事がよほど嬉しいようで、ニコニコとした人好きのする笑顔を浮かべている。


 身長は僕よりも少し小さい。年齢はどれくらいだろうか、六十か、七十、その辺りだと思うけれど、正直自信はない。ただ、背筋は真っすぐで動きも健康的に見えた。


 ちなみに、先ほどしていた謎の音は、おじさんが掃き掃除をしていた音だった。分かってしまえば怖がっていたのが少し恥ずかしくなる。


 いったいこのおじさんが何者なのかも分からないけれど、わざわざ境内の掃除をしていたという事は、この神社に関係のある人なのだろうと思う。込み入った事情を話すかどうかは別にして、まずはこの人に話を聞いてみる事にした。


「あの、おじさんはこの神社の、神主さんですか?」

「い~や、わしはただのあれだよ。ボランティアってやつだ。昔から近くに住んでいてね。たまに来ては掃除してるだけ」

「そ、そうなんですか、ここって神主とか、管理している人はいないんですか?」

「本当はいるんだけどね。ここ数年は見てないねぇ。それで神社も荒れて来ちゃって、昔ここの神主さんから掃除とか頼まれてた事があってね、その名残で今でも掃除に来てるんだよ」

「そう、だったんですか……ちなみに連絡先とかは知ってますか?」

「私も分からないんだよ。この神社もいったいどうなっちゃうんだろうねぇ」


 名残惜しむようなおじさんの声。僕は少なからず落胆した。


 神社に来た目的、ここに祀られている何かを知るためには、管理している人に聞くのが一番正確だったのに、数年前から姿が見えないとなれば、すぐに話を聞くことなんて出来ない。


 僕が知っているような怖い話なんかだと、大抵は神社の神主さんがお祓いとかをしてくれて、それで何とか助かるっているのがパターンなのに、その神主さんがいないのではどうしようもない。


 明らかに意気消沈する僕に気が付いたのか、おじさんも少しだけ申し訳なさそうな顔をする。


「何だかすまんのぉ」

「いえ、そんな」

「何か用でもあったのかい?」


 そう聞いてくるおじさんに、僕は話してもいいものか少し悩んだ。


 祀られている神様の話を聞きたい。とかくらいなら知っている事を教えてくれそうだけど、ここの神様に殺されるとか、呪われたなんて言ってしまった時には、わざわざ掃除にまでくるようなこのおじさんには、悪い印象を与えてしまうかもしれない。


 どう話せばいいか考えあぐねていると、今まで黙っていた恵里香が変わりに話し始めた。


「私たち、小さい頃にこの神社で、身代わりかくれんぼっていう行事をしたんです」


 恵里香の話を聞いていたおじさんは、みるみるうちに顔をほころばせて言った。


「おぉ! そうかそうか、それはいい事をしたなぁ、きっとガマズミ様も喜んでおられただろうよ」

「ガマズミ様?」


 聞きなれないフレーズに思わず口をはさむと、おじさんは愛おしそうに社殿を見つめた。


「ここに祀られている神様の名前だよ。そこまでは聞かなかったのかな?」

「はい、初めて聞きました」


 思わぬ収穫だった。


 ただ祀られている神様の名前が分かっただけ、ただ、僕たちがそれすら知らなかったのも事実。昔から近くに住んでいたらしいこのおじさんは、『身代わりかくれんぼ』の事も知っていた。もしからしたら、僕たちが知らない事をもっと知っているかもしれない。今は何でもいいから情報が欲しい。恵里香も頷いている。


「おじさんはガマズミ様について、詳しく知っているんですか?」

「そうだねぇ。ガマズミ様はそれは凄いお力を持った神様なんだよ。私が生まれる前には大きな祈祷も何度かされていたみたいだね。ただ、ガマズミ様はまだ子供の神様でな。こんな山奥で一人寂しい想いをしているんだよ。その寂しさを紛らわせて上げるためにしていたのが、身代わりかくれんぼだった」

「昔からあったんですか?」

「そうだよ。毎年子供たちを集めてねぇ、君たちも付けただろう? あの大きな形代を作って皆でかくれんぼをした。懐かしいねぇ」


 そう語るおじさんは、空を見つめて目を細めた。その顔は初めに想像した年齢よりも、もっと年を取っているように見えた。


「それじゃ今もあの行事は?」

「いいや、数年前から管理している家の人達を見ていないと言ったけれど、行われていないよ。私ももう歳だからね。正確には覚えていないんだけど、もしかしたらもう十年くらいはしていないかもしれないね」


 十年。だいたい僕たちが『身代わりかくれんぼ』をした年代だった。もし、僕たちがした回が最後だったとして、それはいったいどういう意味になるのだろうか。ガマズミ様と最後に遊んだ子供たち。それが僕ら。そう考えると少しだけ鳥肌が立つ感覚がした。


「君たちはガマズミ様について知りたくてやって来たのかい?」

「えっと……」


 答えにくい質問に言いよどむ。そこでまた代わりに返答をしてくれたのは恵里香だった。


「身代わりかくれんぼをやった時、あの紙人形を付けないと、この神社で遊んじゃいけないって言われたんですけど」

「あぁそうだよ。ガマズミ様はとても寂しがり屋なんだ。神社で遊んでいる子供がいたら、もっと一緒に遊びたいからと連れ去ってしまう。だから神社で遊ぶ時は必ず形代を身体に着けて身代わりにする。ガマズミ様は子供を連れて行ったつもりでも、それは形代で、実際には無事に済むんだ」


 前回この神社に来たときに、恵里香が教えてくれた事はだいたいあっていたみたいだった。子供の神様という事、連れて行かれてしまう事、それを防ぐ身代わりが形代だという事。


 ただ、僕はおじさんの話に少し違和感を覚えた。


 普通は、こういう話をするとき、らしい。とか、伝えられている。なんて言い方をするものじゃないだろうか。神様の言い伝えなんて、知っている人から聞いて代々伝えられていくような事だったら、伝聞形式になるのが自然だと思う。


 それこそ、おじさんはまるで今の話が事実だと知っているような、まるで、実際に経験してきたことのように話している。それがなんだか奇妙だった。


「もし、形代を付けずに遊んだら、どうなるんですか?」


 恵里香が流れ出そう聞いた瞬間。


 穏やかだったおじさんの顔は、一瞬で豹変した。


 垂れ下がった目元が見開かれて、険しい目つきで僕らを見据える。


「君たち、何かしたのか?」


 その固い声に込められていたのは、怒りか、はたまた悲しみか、僕には判断がつかなかった。

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